つボイノリオの聞けば聞くほど

宇野亜喜良が語った、三島由紀夫割腹自殺の理由

2020年03月23日(月)

カルチャー

3月20日放送の『つボイノリオの聞けば聞くほど』、この日の特集は「つボイノリオが読まずに語るダザイとミシマ」。

三島由紀夫研究家のちひろ先生を招いて、三島と太宰治について語り尽くす一日です。

学生時代、著名なイラストレーターの宇野亜喜良さんから、三島の割腹自殺の理由のひとつとなったであろう出来事を聞いたというつボイが、当時を振り返りました。

つボイというフィルターを通して三島を語る

「三島を"学問の対象"としてとらえた時に、本人や作品を分析したりすることはもちろん、それをとりまいていた環境や時代の空気も調べられたのでは?」と尋ねる小高直子アナウンサーに、「安保闘争の映像は観れるものは観た」と、ちひろ先生。
 
さらに、ちひろ先生は「その時のことを書いた人の立場によって書いてあることが全く異なるため、もっとその時代の空気感としてどうだったのかというところは純粋に興味がある」といいます。
 
このちひろ先生の言葉に、つボイが「つボイというフィルターを通して語る」と、自らの経験を話し始めます。
 
それは70年代に、美術家の横尾忠則さんと並び称されるイラストレーターとして名をはせた宇野亜喜良さんから聞いた、「三島が割腹自殺を考えたかもしれない瞬間」の話でした。
 

女性の裸より宇野先生の講義

芸大の友人から、「裸婦デッサンで女性の裸を見ることができる」と誘われ、ホイホイと潜り込むことにしたつボイ。
 
しかし、いざ芸大に行ってみると、ちょうどその日は年に数回の宇野さんの講義がある日。

宇野さんのファンだったつボイは「裸婦もええけどそっちがええな」と、一番前の席で宇野さんの講義を聞くことにしたのです。

「先生がご覧になった『サテリコン』の評論を読ませてもらいました。大変感動しました!」と話しかけたつボイに、宇野さんはにっこり。
 
「読んでくれたかね。じゃあ、そこでもっと書きたかったことがあるので、その話をしよう」と、三島との逸話を語り始めました。
 
 『サテリコン』の試写会を訪れた時に、三島のお付きの人から「三島先生がお話したいとおっしゃってますが」と声をかけられた宇野先生。
 
応接室で2人向かい合って座っていると、業界のチャラチャラした若者たちが「オイ!三島と宇野が向かい合ってるじゃないか!」と人だかりの大騒ぎとなったといいます。 
 

「僕はもう、ずれちゃったかもしれませんね」  

三島は「これだけの人が集まってますね、ちょうどいい機会だこれを聞いていただきたい」と、笑顔でその群衆に向かってある曲を流します。
 
それは、三島が結成した民兵組織「楯の会」の歌でした。

しかし、そこにいたロック好きの連中にしてみると、「盾の会」の曲の3分間はあまりにも退屈なものであったようで、人だかりがさーっと引き、誰もいなくなってしまったといいます。
 
宇野先生自身も、「僕も三島先生の名指しでなかったらその場から立ち去りたかった」と言うほど。

「三島先生の方から声をかけられたから、僕は立ち去るわけにはいかなかった」と、その歌のひどさを語ったといいます。

曲が終わると、レコードを袋に入れながら三島が一言。
 
「宇野先生、僕はもう、ずれちゃったかもしれませんね」
 
それからしばらくして、三島は割腹自殺をしました。
 

ずれた自分の結末

多くの文学者や評論家が三島の割腹自殺について考察していますが、宇野先生としては、「あの時向かい合って聞いた『僕はもう、ずれてきたかもしれないね』の言葉が、大きな要因のひとつではないかと思っている」というのです。
 
「書斎から離れ、筋肉を鍛え、ミュージカルも映画もやる。民兵組織も作る。『国はこうあるべきだ!』といって、常に最先端を走っていた三島が、宇野さんに向かってつぶやいたこの印象的な一言。
 
「ずれた自分の結末はどうするのか、という三島さんの答えがあの割腹自殺ではないだろうか。評論家がいろいろなことを書くけれど、僕の見た三島さんが割腹自殺の原因を話してくれたと思ってますよ」と、話してくれたそうです。

この話に「割腹した理由って、いろいろな人がいろいろ言ってて。書いている人によって全然違うんですよね」と、ちひろ先生。
 
「なので、宇野さんがいってたことも、確かにひとつあるのかもしれないなと思いますね」と、納得の様子。
 

こじらせた結果の自殺

「ちひろ先生は、"三島ウオッチャー"として、割腹自殺をどういう風にとらえてらっしゃるんですか?」と尋ねる小高に、「今のところの考え」ということで語り始めるちひろ先生。
 
「ちっちゃい頃に病弱で、おばあさんにずーっと育てられてたんですね。偏屈な方で、『自分の手元で育てる』というので、囲い込まれて育てられて。外遊びも禁止、遊び相手はおばあちゃんがみつくろった近所の女の子とままごとをするしかなくて」と、三島の幼少期の環境にふれた、ちひろ先生。

「その中で『自分自身ってなんなんだろう』とか。その当時の男性社会に『どうしたら自分はその仲間に入れるんだろう。男らしくあれるんだろう』というのをこじらせていった結果、自分が帰属する場所、所属する場所を求めていった結果、最後行きついたところが割腹」と、三島の割腹自殺についての考えを語ってくれました。
 
「盾の会も、人数が減っていって崩壊寸前だったんですよね、亡くなる頃には」と、このことも理由のひとつだったのではないかと語るちひろ先生でした。 
(minto)
 
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2020年03月20日11時09分~抜粋
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