つボイノリオの聞けば聞くほど

歴史大好き芸人、房野史典が語る、家康が最後に天下を取れた理由

お笑いコンビ、ブロードキャスト!!の房野史典さんが2月11日『つボイノリオの聞けば聞くほど』に出演しました。

歴史大好き芸人として知られる房野さん、同じく歴史好きのつボイノリオと歴史談義。
特に戦国時代について盛り上がりました。

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『北条五代記』希望

つボイ「この地域(中京エリア)は三英傑が出たところや。房野さん、どこ出身や」
房野「岡山県の井原市です。関東の北条氏の祖で、戦国時代、下克上を最初にした北条早雲の生まれたところです」

三英傑と比べてしまうと、早雲は地味なのかつボイノリオと小高直子の反応はほぼなし。

房野「NHK大河ドラマでは北条早雲から始まる『北条五代記』を描いて欲しいんですけど、なかなか…」

現在放送中の大河ドラマは、明智光秀を主人公にした『麒麟がくる』。これも現在はエリアの岐阜が舞台となっています。
 

中国大返しの真実

房野さんの話は信長の後の秀吉へ…。

房野「大河ドラマでは最後の方に描かれるんですけれども、本能寺で明智光秀が謀反を起こしたんですが、その時、秀吉は岡山にいたわけです。あ、繋がりましたね。

信長の訃報を聞いた秀吉が、岡山から230キロぐらいを10日間ぐらいでザーっと帰ってきて、ポンッと明智光秀倒したのが世にいう『中国大返し』。これ、秀吉だからこそできた神業だって言われてるんですが…」

ドラマでは、物凄いスピードで必死で走る足軽の姿が描かれます。
また「中国大返し」は一日で100キロ走ったとも言われます。しかし、実際は神業というほどのことでもなかったそうです。

房野「例えば僕らが歩く速度は時速4キロぐらい。早歩きで頑張れば時速5~6キロ。早歩きで7~8時間ぐらい一日30数キロを繰り返せば行けるっちゃ行けるんですよ」
 

秀吉の自己プロデュース力

房野「なんでそこまで神業と言うのか?これが秀吉の自己プロデュースのすごいとこで、嘘つきなところなんです。一日で100キロ走ったというのは、実は秀吉自身が言ってるんですね」

信長が暗殺された後、秀吉は信長の三男の信孝と仲が悪くなり、それを修復するために書いた信孝宛ての手紙の中にこんなことが…。

房野「信長さんがやられた時、あなたもピンチだと聞いて、私は一昼夜で27里(約108キロ)を駆けつけたんですよって、自分で書いちゃってる。この時の関係性だと、そりゃ秀吉盛るでしょ、ってことですよ」
 

庶民の夢

房野「冷静に計算してみると行けるんですよ。そんなに神業ってほどじゃない」
小高「でも本人が、俺、すごいことやってのけたからね、って」
つボイ「その恩着せがましさとか、自己プロデュースが上手なんやわ。そういうことの積み重ねで、草履取りから天下人になれたんじゃないですか?」

天下人になった後も、直江兼続の書状の中には、秀吉は頻繁に庶民に話しかけている、と書かれたものがあるんだとか。

小高「ほとんどの武将は今までと違うイメージになるんだけど、秀吉に関しては、まんまやなぁ」
房野「僕らが思い描いていたことの倍のイメージですね」
つボイ「明智光秀は家柄もいいですが、秀吉は中村区の農民の出身です。身分制度がある時代に、天下人までいったわけやから。庶民の夢やわ」

日本が発展していく様と、出世していく様が重なり、高度経済成長期には秀吉の人気が絶頂だったようです。しかし、最近のドラマでは秀吉の晩年が酷く描かれるようになっています。
 

家康が天下を取れた理由

さて、最後に出てきた家康は?

房野「家康が、信長、秀吉と一番違うのは二人を見てたってとこですよね。しかも武田信玄の武田家が滅亡した後、その家臣たちを抱きこんで、武田のシステムを学んで受け入れてるんですよ」

二人の天下人を見て学び、さらに優れた部分があれば敵方であっても取り入れ、我慢に我慢を重ねて、最後に天下を取った家康の極意は…?

つボイ「私は、この歳になって思うんですけども、健康やないといかん。長生きをせんとあかんなぁゆうことや。長生きも芸のうちや」
房野「面白い風に、つボイさんはおっしゃいますけど、知り合いの先生も、なにより長生きだったからって仰ってました。死んだら終わるんですから」

小高「そう言われると、信長が本能寺で殺されなかったらって、これまた想像しちゃうわね」
つボイ「歴史にもしものことは絶対ないと学者は言いますけど、僕ら庶民はいろいろ想像する」
房野「そこが面白いところですよね」

つボイノリオと房野史典さん、歴史好きの二人は、まだまだ話し足りないようでした。 (尾関)
 
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2020年02月11日11時12分~抜粋

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