俳優として活躍した鈴木ヒロミツさんが在籍していたGS(グループサウンズ)バンド、ザ・モップスの「月光仮面」。
ヒーローものの草分け『月光仮面』の主題歌を、ブルース調かつコミカルにアレンジした楽曲で、彼らの代表曲ともなりました。
2月10日放送の『つボイノリオの聞けば聞くほど』「トーマスの箱」のコーナーでは、この曲に乗せてつボイノリオがこのコーナー名の由来を語り始めました。
この「トーマスの箱」が意味するものは?
一宮のロック喫茶
「先週末に訃報をいただきました」と語りだすつボイ。
亡くなられたのは、名古屋のプロモーターの老舗「ジェイルハウス」創業者の春日井淳治さんです(享年72)。
つボイ「私は一宮生まれです。一宮に『文文(ぶんぶん)』というロック喫茶があり、それを作ったのが春日井淳治さんです。この店が結構うまくいきました」
まだ20代だった春日井さんは、コンサートも企画するようになります。そこで招いたのがザ・モップスだったのです。当時「月光仮面」が大ヒット中でした。
つボイ「僕は舞台の上でセッションやらしてもらいました。一宮の勤労会館です。その頃から春日井くんはロックコンサートの企画に目覚めたと思います」
亡くなられたのは、名古屋のプロモーターの老舗「ジェイルハウス」創業者の春日井淳治さんです(享年72)。
つボイ「私は一宮生まれです。一宮に『文文(ぶんぶん)』というロック喫茶があり、それを作ったのが春日井淳治さんです。この店が結構うまくいきました」
まだ20代だった春日井さんは、コンサートも企画するようになります。そこで招いたのがザ・モップスだったのです。当時「月光仮面」が大ヒット中でした。
つボイ「僕は舞台の上でセッションやらしてもらいました。一宮の勤労会館です。その頃から春日井くんはロックコンサートの企画に目覚めたと思います」
スマートなトーマス
そして春日井さんは一宮の店を引き払い、川名通(名古屋市昭和区)に「文文Ⅱ」を出しました。ジャズ喫茶はたくさんありましたが、ロック専門の店が珍しかった時代です。
つボイ「一宮から『文文』がなくなったので、そこの常連さんたちが『惜しい』『一宮からロックの灯を消すな』ということで、同じ場所で『テイクオフ』いうロック喫茶をやり始めた。
そこも1年くらいでやめるという。みんなコーヒー1杯でねばるから儲からない。
また『ロックの灯を消したらいかん』ということで、私たちはまた同じ場所で『スマートなトーマス』という名前の店をやりました」
この「スマートなトーマス」は下から読んでも上から読んでも同じ、しゃれた回文です。
つボイ「僕の音楽的ロックの原点はあの店にあるということで、そこから「トーマスの箱」というこのコーナー名をつけました。亡くなった春日井淳治さんの流れからこの番組もあります」
つボイ「一宮から『文文』がなくなったので、そこの常連さんたちが『惜しい』『一宮からロックの灯を消すな』ということで、同じ場所で『テイクオフ』いうロック喫茶をやり始めた。
そこも1年くらいでやめるという。みんなコーヒー1杯でねばるから儲からない。
また『ロックの灯を消したらいかん』ということで、私たちはまた同じ場所で『スマートなトーマス』という名前の店をやりました」
この「スマートなトーマス」は下から読んでも上から読んでも同じ、しゃれた回文です。
つボイ「僕の音楽的ロックの原点はあの店にあるということで、そこから「トーマスの箱」というこのコーナー名をつけました。亡くなった春日井淳治さんの流れからこの番組もあります」
サンデーフォークとジェイルハウス
つボイ「春日井さんは名古屋で『文文Ⅱ』をやりながら音楽企画をしました。
同じ頃『サンデーフォーク』が立ち上がりました。そして春日井さんの『ジェイルハウス』が立ち上がった」
70年代初頭に名古屋で生まれた2つのプロモーター。サンデーフォークプロモーションはニューミュージック系やフォーク系、そしてジェイルハウスはロック系や外タレ系と棲み分けをしていました。
つボイ「それまで歌謡曲を呼んでいるところはありました。けれどもロックは系列がまったく違うので企画できない。
それで学生などもいろいろな企画団体を作りコンサートをやった。井上陽水や吉田拓郎を呼んだ」
名古屋で若者向けコンサート企画に尽力したのが、サンデーフォークの創業者・井上隆司さんであり、ジェイルハウスの春日井淳治さんだったのです。
同じ頃『サンデーフォーク』が立ち上がりました。そして春日井さんの『ジェイルハウス』が立ち上がった」
70年代初頭に名古屋で生まれた2つのプロモーター。サンデーフォークプロモーションはニューミュージック系やフォーク系、そしてジェイルハウスはロック系や外タレ系と棲み分けをしていました。
つボイ「それまで歌謡曲を呼んでいるところはありました。けれどもロックは系列がまったく違うので企画できない。
それで学生などもいろいろな企画団体を作りコンサートをやった。井上陽水や吉田拓郎を呼んだ」
名古屋で若者向けコンサート企画に尽力したのが、サンデーフォークの創業者・井上隆司さんであり、ジェイルハウスの春日井淳治さんだったのです。
「はい、1万!」
こうした流れの中で、井上さんや春日井さんのフォロワーが現れます。
つボイ「私は目の当たりにしましたが、高校生が井上陽水とかの興行を打って、めちゃくちゃ儲かっていた。
私らは前座で出てました。だいたい1万円もらいます。私はそれでも大きいと思っていたけど、高校生からもらう時、バーンとした札束からペッと一枚とって『はい、1万!』」
「あいつすごいなー」と思いました。歌うより興行やった方が儲かるのと違うか、と一瞬思いました」
ところが、その高校生に不幸が訪れます。
企画したコンサートが試験期間と重なったため、客が入らず照明や音響のスタッフに金も払わず、夜逃げしてしまったというのです。
つボイ「やっぱりああいう世界はがばっと入るけど、赤字も大赤字。それよりちまちま前座で歌って確実に1万円手にした方がいいわと、私はそっちにはいかなかった。今のつボイノリオの原点はそこにあります」
つボイ「私は目の当たりにしましたが、高校生が井上陽水とかの興行を打って、めちゃくちゃ儲かっていた。
私らは前座で出てました。だいたい1万円もらいます。私はそれでも大きいと思っていたけど、高校生からもらう時、バーンとした札束からペッと一枚とって『はい、1万!』」
「あいつすごいなー」と思いました。歌うより興行やった方が儲かるのと違うか、と一瞬思いました」
ところが、その高校生に不幸が訪れます。
企画したコンサートが試験期間と重なったため、客が入らず照明や音響のスタッフに金も払わず、夜逃げしてしまったというのです。
つボイ「やっぱりああいう世界はがばっと入るけど、赤字も大赤字。それよりちまちま前座で歌って確実に1万円手にした方がいいわと、私はそっちにはいかなかった。今のつボイノリオの原点はそこにあります」
時代は変わっていく
そんなフォロワーたちの群雄割拠の中、老舗であるサンデーフォークとジェイルハウスは順調に経営を続けていました。
つボイ「『文文』でよく語り合ったりしたなということを昨日のことのように。みんなあの頃、ひとつになれて、純粋にロックを語ってたな、と。
こんなことを弔辞の代わりにしたいと思います。「トーマス」とはそういうことです」
ザ・モップスの鈴木ヒロミツさん、井上さんに次いで春日井さんも亡くなりました。
つボイはしみじみと「時代は変わっていくなと、ちょっと寂しく思っております」と語り、このコーナーを締めました。
(みず)
つボイ「『文文』でよく語り合ったりしたなということを昨日のことのように。みんなあの頃、ひとつになれて、純粋にロックを語ってたな、と。
こんなことを弔辞の代わりにしたいと思います。「トーマス」とはそういうことです」
ザ・モップスの鈴木ヒロミツさん、井上さんに次いで春日井さんも亡くなりました。
つボイはしみじみと「時代は変わっていくなと、ちょっと寂しく思っております」と語り、このコーナーを締めました。
(みず)
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