東日本大震災から8年。3月11日の『つボイノリオの聞けば聞くほど』では、CBCの伊藤敦基が宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区についてレポートしました。
伊藤は閖上地区で取材やレポートを続けており、今年も現状についての報告、募集していた絵灯篭のお礼などを語りました。
東日本大震災から8年、宮城県名取市閖上地区の現在。
たくさんの絵灯篭
あれから8年経ちますが、いまだに25,000人が避難生活を余儀なくされています。番組にはこうしたメッセージが寄せられました。
「今年も3月11日という日がやってきました。今年もスポーツ部に異動されてからも伊藤敦基さんは閖上に行かれたようで、本当に頭が下がります。仙台出身の私も14時46分になりましたら、黙とうができたらと思っています」(Aさん)
伊藤「現地に行ったから偉い、というわけでなく、みなさんいる場所で少しでも考えていただけたらと思います。私はたまたま現地とご縁ができて毎年お邪魔していますけど。
また今年もたくさんの絵灯篭をお寄せいただいたので、そのお礼から申し上げたいです。
1万枚以上集まりました。CBCラジオだけでなく、このエリアですっかりおなじみになりまして、賛同していただいた方からたくさんいただきました」
伊藤アナは2013年から、震災犠牲者の追悼のための絵灯篭作りに協力しています。今年も絵灯篭に貼るイラストやメッセージを描いた紙の郵送を広く募っていました。
「今年も3月11日という日がやってきました。今年もスポーツ部に異動されてからも伊藤敦基さんは閖上に行かれたようで、本当に頭が下がります。仙台出身の私も14時46分になりましたら、黙とうができたらと思っています」(Aさん)
伊藤「現地に行ったから偉い、というわけでなく、みなさんいる場所で少しでも考えていただけたらと思います。私はたまたま現地とご縁ができて毎年お邪魔していますけど。
また今年もたくさんの絵灯篭をお寄せいただいたので、そのお礼から申し上げたいです。
1万枚以上集まりました。CBCラジオだけでなく、このエリアですっかりおなじみになりまして、賛同していただいた方からたくさんいただきました」
伊藤アナは2013年から、震災犠牲者の追悼のための絵灯篭作りに協力しています。今年も絵灯篭に貼るイラストやメッセージを描いた紙の郵送を広く募っていました。
閖上地区の今
先月2月、その絵灯篭の組み立て作業の手伝いに行ってきた伊藤。
伊藤「その時にみなさんに現地の様子を聞いてまいりました。また実際に見て、こんな風に変わったのかというのがありました」
閖上地区についに小中学校が完成しました。去年の4月から授業が始まっています。146人の児童生徒が通っているそうです。
この小中学校は、3階建て(一部4階建て)で防災拠点の機能も持っています。今度こそ津波に強い建物にしようと様々な工夫をしています。
またこの4月からは生徒児童が200人に増えます。閖上地区以外の生徒児童たちが全体の4割を超えるそうです。
つボイノリオは「人が来ないことには復興になりません。そういう意味では学校に人が寄ってくるということは、ひとつの足掛かりになりますね」と、感慨深げです。
伊藤「その時にみなさんに現地の様子を聞いてまいりました。また実際に見て、こんな風に変わったのかというのがありました」
閖上地区についに小中学校が完成しました。去年の4月から授業が始まっています。146人の児童生徒が通っているそうです。
この小中学校は、3階建て(一部4階建て)で防災拠点の機能も持っています。今度こそ津波に強い建物にしようと様々な工夫をしています。
またこの4月からは生徒児童が200人に増えます。閖上地区以外の生徒児童たちが全体の4割を超えるそうです。
つボイノリオは「人が来ないことには復興になりません。そういう意味では学校に人が寄ってくるということは、ひとつの足掛かりになりますね」と、感慨深げです。
校長先生の言葉に感銘
現在この学校の校長を務めている八森先生は、震災当時、閖上中学の学年主任でした。
八森校長先生は、開校のあいさつでまず「この地で14人の教え子の命を守れなかったことを、私は未だに悔やんでいる。本当に申し訳なかった」と、地元の親御さんたちに頭を下げたそうです。
地元の被害にあった人たちと向き合う姿勢に伊藤アナは深い感銘を受けたそうです。
つボイも校長先生の言葉に思わず涙が…。
八森校長先生は、開校のあいさつでまず「この地で14人の教え子の命を守れなかったことを、私は未だに悔やんでいる。本当に申し訳なかった」と、地元の親御さんたちに頭を下げたそうです。
地元の被害にあった人たちと向き合う姿勢に伊藤アナは深い感銘を受けたそうです。
つボイも校長先生の言葉に思わず涙が…。
「次の震災の前」
「伊藤敦基アナはラジオ『夕刊アツキー!』の中で閖上の震災以降をずっと取り上げ、現地に行って生々しいレポートをしていただき、ますます復興はまだ道半ばだなと感じております」(Bさん)
「明日は我が身と思って、少額ですが募金とかボランティア活動をしていきたいなと考えています」(Cさん)
「以前、『聞けば』で敦基さんが言っていた『今は震災の後ではなく、次の震災の前である』という言葉が、いつも私の頭の中にあります」(Dさん)
つボイ「この気持ちは忘れたらあかんですよね」
「明日は我が身と思って、少額ですが募金とかボランティア活動をしていきたいなと考えています」(Cさん)
「以前、『聞けば』で敦基さんが言っていた『今は震災の後ではなく、次の震災の前である』という言葉が、いつも私の頭の中にあります」(Dさん)
つボイ「この気持ちは忘れたらあかんですよね」
伝えることの大切さ
これを受け、伊藤は強く訴えます。
「亡くなられた方たちに『お悔やみ申し上げます』と簡単に言いますが、じゃ自分たちが何をしないといけないかというと、その犠牲になった方たちはなぜ犠牲になったのか、ということをしっかりと伝えていかないといけないと思います。
伊勢湾台風のことを名古屋の人たちはみんな覚えていますか?ちゃんと伝わっていますか?
あんな何千人も人が亡くなった台風のことを、名古屋の人たちは60年で覚えていないということと同じです」
つボイも「私が小学校4年生の頃ですから、風台風の伊勢湾台風は語れます。できる限り伝えていかないかんと思います」と、伝えることの大切さを言います。
最後に、伊藤アナは「今年もみなさんありがとうございました」と、ふたたび絵灯篭のお礼の言葉で締めました。
(みず)
「亡くなられた方たちに『お悔やみ申し上げます』と簡単に言いますが、じゃ自分たちが何をしないといけないかというと、その犠牲になった方たちはなぜ犠牲になったのか、ということをしっかりと伝えていかないといけないと思います。
伊勢湾台風のことを名古屋の人たちはみんな覚えていますか?ちゃんと伝わっていますか?
あんな何千人も人が亡くなった台風のことを、名古屋の人たちは60年で覚えていないということと同じです」
つボイも「私が小学校4年生の頃ですから、風台風の伊勢湾台風は語れます。できる限り伝えていかないかんと思います」と、伝えることの大切さを言います。
最後に、伊藤アナは「今年もみなさんありがとうございました」と、ふたたび絵灯篭のお礼の言葉で締めました。
(みず)
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