現在、名古屋市中区の名古屋PARCO 西館6階のパルコギャラリーでは、『創刊40周年記念 ムー展~名古屋版~』が開催されています。
『ムー』とは学研プラス発行のオカルト・ミステリー情報誌です。
2月12日放送の『つボイノリオの聞けば聞くほど』は「祝日スペシャル・ムー特集」。
『月刊ムー』編集部の望月晢史さんをスタジオに招きお話を伺いました。
実際に「ムー展」を訪れたつボイノリオが、ある歴史的な展示物についての疑惑を望月さんにぶつけました。
読む展覧会
『ムー展』を「読む展覧会」と表現したつボイに、「圧倒的な文字量。創刊号から460号までの表紙が全部並んでいる」と望月さん。
表紙の見出しだけ見ていても楽しめる上に、歴代の人気記事を抜粋したものがパネルとなって、読むことのできるサイズで展示されているそうです。
展示は一部NGはあるものの、基本的に記念写真の撮影はOK。
「抜粋記事が貼ってあるやつを、全部写メしてきました」と言うつボイ。
会場ですべての記事に目を通すことは難しいため、家で拡大してじっくり読んだと言います。
つボイ「1日いても読み切れないでしょ?」
望月さん「記事パネルで読み尽くしたかなと思っていくと、バックナンバーを読むことができるコーナーもあるので」
実際、何時間もずっと座って読んでいる方もいるそうです。
焼死なのにデスマスク?
『ムー展』を訪れた番組のスタッフが、「信長のデスマスクがあった!」とものすごく興奮していたと語る小高直子。
普段は西山自然歴史博物館にある、本能寺で信長の首を持ち帰った弥助が残したというデスマスクのレプリカが展示してあるのです。
望月さんいわく、「名古屋限定、名古屋ご当地の"つて"でやらせていただいているんで」とのことで、名古屋ならではの特別な展示なんだとか。
「でも信長って、リアルに言っちゃうと焼死?」と、焼け死んだはずの信長のデスマスクが存在していることそのものに疑問を抱く小高。
信長のデスマスクは、家臣であった黒人男性・弥助が、焼け落ちる本能寺から持ち帰ったとされています。
「火が放たれて、切腹し、介錯をして、首を弥助が持って出た」と説明する望月さんに、「もうちょっと言うならば、火が放たれました。切腹する前に『に~んげん50年~』」と、信長が死の前に舞ったという敦盛の一説を披露するつボイ。
信長の首は岐阜県の崇福寺まで運ばれ、そこでデスマスクがとられたといわれています。
ヒゲの謎
「ただ私はね、『ムー』を全面的に信じる方じゃないんですよ」とつボイ。
信長のデスマスクについて、「ちょこっと引っかかるところがある」と言います。
「髪の毛って燃えやすいんですよ。火を放たれた本能寺でね、ヒゲが残っておりましたもんでしたから…」
デスマスクにリアルに残る、信長の立派なヒゲに疑問を呈します。
これには「もう1つ説がある」と望月さん。
それは「信長が本能寺で死んでないっていう説、生存説」。
小高「そうすると、そのデスマスクはどうなるの?」
望月さん「まあ、ライフマスクですよね。生きた状態でとった」
信長のデスマスクとされているものは、もしかするとライフマスクかもしれないというのです。
鉄壁の理論武装
さらにこのデスマスクには、崇福寺でしか出ないはずの土がちゃんとついているんだとか。
望月さん「当時、そこで作られたマスクであることは間違いない」
小高「それならヒゲがあっても、おかしくない」
2人のやり取りを聞いていたつボイは、「だから『ムー』はね、必ずこういうやつに対しての理論武装がキチンとしてる」と感心しきり。
「『宇宙人なんかおるか!そんなもんおれへんわ!』と言っても、『いや、こういう写真があって。こっちがニセモノですけど、これはどう考えても』。いろいろね、反論の理論武装があるのは『ムー』ですよ」
真偽の定かでない事柄についても、きっちりと論理的な説明ができる『ムー』に、感服した様子のつボイでした。
(minto)
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2019年02月11日11時10分~抜粋