平成を振り返る。19年前にストリッパーから届いた手紙

つボイノリオの聞けば聞くほど / トーク

2018年も間もなく終わりますが、一方で「平成」の時代も残すところあと半年となりました。

そこで12月24日『つボイノリオの聞けば聞くほど』では、平成11年に起こった出来事を振り返りました。
この年にリスナーから寄せられたおたよりを、つボイノリオと小高直子が紹介していきました。

リスナーとの約束を19年後に叶える

平成11年(1999年)は、速水けんたろうと茂森あゆみが歌う「だんご三兄弟」が大ヒットした年でした。その年の5月11日に寄せられたおたよりから。

「今度の日曜日に、ギターの発表会で『だんご三兄弟』を演奏するので、もしよければジョグフェスタの時に使っていた"だんごの被り物"を貸していただけませんか?もしラジオで読んでいただけるなら木曜以降でお願いします」(Aさん)

この年のCBCラジオが主催したイベント「ジョグフェスタ」において、「だんご三兄弟」が流行ったのを受けて、つボイが被り物をしたのでした。

小高「真ん中の団子を頭に被ってました」
つボイ「長男や末っ子だったら被りにくいですから」

小高「左右のだんごの横から、さらに串が出てました。あれ、振り返ったら邪魔でしたね」
つボイ「あれを被ってオリンピックの100メートル走に出るといいですよ。後ろから抜いてけえせんので、スタートさえよければ1位になれる」

小高「もの凄い妨害。そんなことよりも、最後の方でクルっと横向いたら、あっと言う間にゴールできますよ」
つボイ「身体の一部が入ってるということで」
小高「串でサッとゴールできます」

「私の番組は如何に皆さん方と約束を守るのか、ということです。『木曜日以降にお願いします』と書いてあるので、ちゃんと木曜以降にこうやって読んでいます」と言うつボイに、「遅いわ。何年経っとる」と突っ込む小高です。
 

松坂大輔が2勝目

次はその年の4月28日に寄せられたおたより。

「西武の松坂君、やりましたね。2勝目、それも完封です」(Bさん)

「この人のために教えてあげましょう。この松阪は将来、日本の球界に名を成すばかりか、アメリカにも渡る。やがて中日にも入ってきます」と言うつボイの言葉を、「知ってる」と一言で斬り捨てる小高。

「この前の試合で負けてしまって『リベンジします』というのが流行語になりました。高卒1年目でこの大活躍ぶり。28イニングぶりにやっと入れてもらった1点をよく守りました。嬉しそうな、あのフニャフニャとした笑顔はやっぱり可愛いなと思います」(Bさん)

「この人は知らんと思いますが、後にドラゴンズにやってまいりますので応援していただきたいと思いますよ」と、19年前のBさんに告げるつボイです。
 

名古屋にストリップ劇場があった頃

最後に平成11年5月29日の消印があるおたよりを紹介するつボイ。

「先日27日は早朝より3時間の間、番組に出させて頂いてありがとうございました。あれから劇場には1回目の公演からたくさんのリスナー様がいらっしゃいました。皆さん、放送聴いたよと言ってくれました」

このおたよりを書いたのは、ストリッパーの杉本菜摘さんでした。

つボイ「まだ名古屋にも、ストリップ劇場が2軒あった頃でした」

杉本さんには「老人にもストリップ劇場で思いっきり楽しんでもらいたい」というポリシーがありました。またこの頃「ストリップ劇場に将来はあるのか?」という危機感を持って踊っていたそうです。
 

裸が氾濫する時代

つボイ「平成11年当時の杉本菜摘さん曰く『裸が氾濫してる時代』。昔はストリップ劇場が裸を見るための大変貴重な場所のひとつであった」

しかし雑誌には昔以上に裸が載るようになり、さらにインターネットではグラビアどころか動画まで上がるようになります。

杉本さんはストリップダンサーとして照明の当て方や、衣装を脱ぐ工夫をしていたそうです。しかし、ストリップ劇場で人気を集めていたのはAV女優だったそうです。

つボイ「『桜木ルイ来演』となるとウワーっと客が来るわけです。脱ぎ方、見せ方の努力は、今後、必要ないかもわからへんな。ストリップ劇場に明日はあるのか?

そして、老人の性の問題。高齢者にもうんと楽しんで欲しい。恥ずかしがらずに来て欲しいとかの問題意識を持って踊ってらっしゃったのが杉本菜摘さんでした」

残念ながら杉本さんの想いは叶わず、やがて名古屋市からその2軒のストリップ劇場は消えてしまいました。
 

だんご三兄弟と桜木ルイ

小高「しかしなんですねえ。だんご三兄弟からストリップ話へ行くのは、なかなかないと思いますよ」
つボイ「時代ですよ。だんご三兄弟が流行った頃に桜樹ルイも流行ったということです」
小高「その名前、すぐ出てきたね」

杉本さんからは「今日、リスナーの方からおチップをいただきました。放送を通じてありがとうと言ってください」というお葉書も届いていました。

「その後北海道に渡られた、という話も風のたよりにありました。語りだしたら、キリがございませんが、そういった年でもありました」と言うつボイノリオでした。
(尾関)
 
この記事をradikoで聴く

2018年12月24日10時03分~抜粋

この記事をシェアする

あなたにオススメ

アーカイブ

同じカテゴリー

×