つボイノリオの聞けば聞くほど

つボイノリオ激白!森田童子に会って問い詰めたこと

1970年代にシンガー・ソングライターとして活躍した森田童子さん(65)が、4月24日に亡くなっていたことがわかりました。
日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報において訃報が掲載され、これがニュースとして伝わりました。

6月12日『つボイノリオの聞けば聞くほど』では、森田童子さんの訃報を受けて、パーソナリティのつボイノリオが森田さん本人に会った時のエピソードを語りました。

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いつ聴いたかで世代がわかる

「ちょっと、みんな早やないか?僕らのような年代からすると、悲しいという気持ちと腹立たしい気持ちがいっぱいですね」とつボイノリオ。

小高「プライベートな情報と言うのは、ほとんど森田童子さんは、公開されてないんですけども、掲載されたJASRACの会報によると66歳でお亡くなりになったそうです」

森田さんの「ぼくたちの失敗」は1976年(昭和51年)にヒットし、さらに1993年(平成5年)に放送したテレビドラマ『高校教師』(TBSテレビ)の主題歌に起用されて再びヒットしました。

「ぼくたちの失敗」をいつ意識したかで世代がわかります。

森田童子さんと会っていたつボイ

「つボイさんとデビューした年があまり変わらない、ほぼ同世代のアーティストだったんですよね」(Aさん)

「表舞台に一切出ないという姿勢を最後まで貫いた彼女ならではの美学だったんではないでしょうかね」(Bさん)

おたよりを紹介して「私は、実際会ってます」と語るつボイ。
つボイが担当していた番組に、森田さんがゲスト出演したことがあったそうです。

「その時、ずーっと疑問だったことがあって、それを問いただしたんですけども、答えはもやもやもやとしてわからなかったです。むしろ否定的な答えだったんです」

森田童子から来たハガキの謎

実はつボイが岐阜放送の番組を担当していた時に、「森田童子」という人からハガキが届いたそうです。
そこには、他の投稿者とは違い、しっかりした字であることが書かれていました。

「たまたま私は岐阜に来て、この放送を聴いています…と、ずーっと書いてあって『海底劇場 森田童子』と書いてある。
たぶん、私の記憶に間違いがなければ、あの人も劇団に所属していて、そこで歌ったりしていたんです。そこのところまで、きちんと書いてあるんですよ」

森田童子さんの所属事務所は、まさにこの海底劇場でした。

森田童子を問い詰めてみた、が

小高直子アナが「ゲストに来た時に、以前貰ったそのおたよりが本人が出したのか、どうなのか?」とつボイに確認します。

つボイ「それを聞きたかった!森田童子が岐阜に来て、俺の放送を聞いててくれるって嬉しかったんですよ。それで、その後、ゲストで来た時に、実は森田さん、こういうことがあったんですけど、どうなんですか?って聞いた」
小高「そしたら?」
つボイ「そしたら『覚えてない』って言われた」

笑う小高。

「これ、『その時の勢いに乗って書いてはみたけど、一応神秘の歌手としてやってるのに恥ずかしい』と思ったんじゃないだろうか?」と推測する小高。

「本人は否定してますけども、しっかりした字体とか内容とか、それは絶対森田童子さんに違いない、と今でも思います」とつボイ。

もう問い詰める機会は来ない

「いや、森田童子さんがつボイさんの深夜番組聴いてたって、それ、おかしい。自分自身でも認められないっていう、ちょっと後悔の念があったんじゃないですか?」と重ねて言う小高。

さらに小高は「だって、そんなイメージじゃないもん。森田童子さんは、そういうのがない神秘的なイメージだから。ほとんど私生活わからないし」と続けます。

確かに森田さんには神秘的な雰囲気のものしか残っていません。

「もう一回、今度会ったら問い詰めたろうと思った機会がもうなくなりましたね。そのハガキ、僕、まだとってあるんですよ」と名残惜しそうなつボイ。

「この字体はあんたの字体やろう!と、ハガキをつきつける機会もなくなりましたね」

そう、寂しげに続けるつボイでした。

代筆説

その後も「森田童子さんが岐阜でつボイの番組を聴いていた説」「森田さんがハガキを番組宛てに送ってきた説」の検証は続きます。

つボイ「たまたま岐阜に来たんですよ。公演かなんかで」
小高「ちょうど、そういう時期にハガキが来てるから?」
つボイ「そうそう!来てラジオを点けたら、あなたの声が流れてきたと。そこで感想を書いてくれたんです」

小高「でも、うちの番組でもそうですけど、つボイさんの番組、よう代筆でリスナーさんが勝手に書いてくることも多いからね」
つボイ「京都の番組は代筆ばっかり。毎回トランプやら金正恩やら、いっぱい届くよ」

小高「そんなこと今言ったら、金正恩さん、トランプさんから、いっぱい来るから止めてください。本人からの米朝首脳会談レポートとか絶対来るから!」
つボイ「トランプさんから、ヘイ、ミスター・つボイ、元気でやってるか?京都は住みやすいか?って日本語で来る」
小高「送ってこないように!」

時代を象徴する歌

森田さんに関するおたよりを紹介するつボイ。

「『僕』という中性的な呼び方が彼女のトレードマークのようになりました。団塊の世代の少しあとの僕は歳が近いということもあり、また団塊の世代による学生運動の失敗、民主主義の後退の中、妙に虚無的な彼女の歌い方に心を揺さぶられた一人です」(Cさん)

つボイ「時代を表してましたよね。熱かった60年代70年代。その後、みんな挫折していくわけですよ。挫折した時に彼女の歌が流れてくるわけです。ああ、なんにも革命は起こらへんかったなあと、みんなが思った時に、こういう歌が流れて来た」

小高「私たちはドラマの主題歌で。ドラマがテーマにしてた若い時の虚無感とか寂しさとか、ひとりぼっち感とか、そういうのがこの時代にも凄くぴったりくる歌だったですねえ」

「バブルがバーンと弾けるそんな予兆・予感があるような、そんな時でしたよね」と言うつボイノリオ、この話題を次のおたよりで締めました。

「パーマヘアーとサングラスの姿。一貫して、素顔、実人生は明らかにならなかった人ですね」(Dさん)
(尾関)
 
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2018年06月12日10時10分~抜粋

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