奥山景布子著『葵の残葉』につボイノリオの愛知ナショナリズムがうずく

つボイノリオの聞けば聞くほど / カルチャー

名古屋在住の歴史小説家・奥山景布子さんが6月5日『つボイノリオの聞けば聞くほど』に出演しました。

徳川家の母体・松平家の悲運を描いた最新作『葵の残葉』の裏話に、歴史好きのつボイノリオの興味津々です。

地元の歴史小説家

奥山景布子さんは、平成29年度の愛知県芸術文化選奨で文化新人賞を受賞し、さらに最新作『葵の残葉』(文藝春秋刊)で本年度の新田次郎賞を受賞しました。

「私も28年度の愛知県芸術文化選奨もらいましたけど、他は、みんな放送禁止とかばっかりですよ」とつボイ。

その新田次郎賞を受賞した最新作『葵の残葉』の帯には「維新に引き裂かれた悲運の四兄弟」とあります。すかさず「高須四兄弟」と言うつボイに「よかった。なかなかご存じない方もいらっしゃって、高須四兄弟と言っても、は?って言われることがあるんですよね」と奥山さん。

「高須クリニックの四兄弟の誰かとかさ。あそこ、四兄弟かどうか知りませんけど。そういうやつかと思って。違う?維新の?」と小高に、「あの人はゴーイング・マイ・ウェイですけども、ゴーイング・マイ・ウェイに行けなかった人ですよね」と説明するつボイです。
 

いまいちマイナーな高須四兄弟

高須四兄弟と言っても初めてその名を目にする方も多いでしょう。
現在の岐阜県海津市付近を領地とした美濃高須藩の第10代藩主・松平義建には10人の息子がいました。中でも幕末に活躍した4人を高須四兄弟といいます。上から4人ではありません。

奥山「たぶん、一番知名度が高いのは、四兄弟中、三番目の松平容保さんですよね。NHK大河ドラマ『八重の桜』でいっぺんに知名度が上がりました」

つボイ「京都守護職であり、会津藩ですよね」

奥山「4人の中で一番上(長男は夭折のため次男)が徳川慶勝。尾張藩主なんですけど、地元名古屋の方にも知名度が低いんですね」

徳川慶勝は、幕末に藩の舵取りで非常に苦労した尾張藩第14代藩主です。その弟で後に一橋家の跡取りになった五男の茂栄が二番目。三番目が七男の容保。一番下が桑名藩の藩主になった八男の松平定敬です。

「皆さん、幕末にはそれぞれがとっても重要な役割を果たしているんですけど、知名度がなかなかないのが残念です」と奥山さん。

愛知ナショナリズム

つボイ「僕ら、愛知県人ですから愛知ナショナリズムで歴史を見ますと、尾張徳川藩は、幕府との対立軸みたいなのが常にある。さらに御三家筆頭であるにもかかわらず、一人も将軍を出してないでしょ。最後の方、幕末は倒幕か勤王かでゴタゴタした」

奥山「悪口を言われる方は尾張徳川家で筆頭のくせに一番最初に勤王に行っちゃったじゃないかって言われるんだけど、いや、それには事情があるんですよっていう話なんですね」

つボイ「青松葉事件というのもありました」

「青松葉事件」とは、1868年(慶応4年)1月、尾張藩で佐幕派が処刑または処罰された事件ですが、勅命を受けて弾圧の判断を下したのが、高須四兄弟の徳川慶勝なのです。

奥山「尾張徳川家は、割に昔から勤王の志のある人が家臣に多いお家柄なんです」

つボイ「っていうか水戸学みたいなものが学問として、ずっと入ってましたよね」

奥山「慶勝公も、おじさんが水戸の斉昭なので、割りに水戸の影響も受けてるんですね。だから、割と早く勤王にいってるんです」

つボイ「にもかかわらず、明治になってからも、あんまり取り上げられてないでしょ?」

奥山「その理由は、おそらく青松葉事件にあると私は思っていて、その辺のところを是非、皆さんに知っていただきたくて『葵の残葉』を書きました」

悲劇の青松葉事件

青松葉事件の背景について説明する奥山さん。

「幕末の時に、尾張の家中には、幕府にシンパシーを持ってる家臣と、そうじゃなくて勤王型の家臣との両方がいて、派閥が二つあったわけです」

大政奉還後、藩主慶勝は、我が藩は勤王だと決めて京都へ派兵して官軍と合流します。

「だけど京都からは、本当に、尾張が勤王に味方してくれるのか?どっか裏切って幕府につくんじゃないかって疑いを最後まで持たれちゃう」

勤王派の証を立てる方向に追い込まれた慶勝は、名古屋城で幕府方に近かった家臣14人を処刑、20人を処罰してしまいます。

「名古屋城にちゃんと記念碑があるので、ぜひ、お城へ行く方は本丸御殿だけじゃなくて、見ていただきたいと思います」

歴史小説の醍醐味

『葵の残葉』の巻末には参照した資料が掲載されています。

奥山「書き方とか、それぞれの作家のスタイルがあると思うんですけど、私自身はできれば、こういうものを調べましたって読者の方に明らかにして、フェアにやっていきたい気持ちがあるんです。
幕末なので資料はいっぱいあるんですよ。でもその割には、資料のこことここが繋がってないってことがたくさんあるんです。そこを繋げることを作家の手法でやらせてもらった。研究者の先生だと、証拠もないのに繋げるのは無理だと思うんですよね」

そのつながってない部分を補うのが「私たち作家の領域なんです」と語る奥山さん。

つボイ「学者は資料がないと一行も書かないんですもんね」

小高「空白のところで、登場人物の心の動きを想像するみたいなことですか?」

奥山「ここで兄弟が対面して、互いにこんなことを言うんじゃないか、とか」

つボイ「この流れからしたら、きっとこの言葉を吐くに違いないと。そこが歴史小説の味わいだと思うんですよ」

奥山「慶勝公と、西郷隆盛が会ったっていう証拠はあるんですよね。じゃあ、会って二人がどういう話をしたのか?そこを一生懸命考えて書きました」

幕末だけじゃない

奥山さんがこの『葵の残葉』を書き上げるのに、どのくらい時間をかけたのでしょう?

奥山「幕末の政治については、あまり詳しくなかったので、勉強しながら他の作品を書きながらで、構想・取材5年、執筆2年でトータル7年かかってしまいました」

小高「そんだけ時間かけて調べたら、もうあと、この幕末で、4~5本書いてやれって私だったら思う」

つボイ「司馬遼太郎さんなんか、一回調べた資料で、何本も書いてるというのがよくわかりますよ」

奥山さんが書く小説は、時代的に幕末のみならず多岐に渡ります。
例えば、江戸落語を始めた鹿野武左衛門の話『たらふくつるてん』。
豊臣秀吉にスポットを当てた『秀吉の能楽師』。

奥山「秀吉はお茶が有名ですが、実は利休を殺してしまった後に、お能に傾倒するんですよね。その熱中度合いがすごくて、自分のお城に能楽堂を作っちゃうし、それだけで済まなくて、帝の前に武将たちを率いて行って、無理矢理自分たちのお能を見せるんですよ」

つボイ「落語の『寝床』みたいなものですね」

奥山「まさにそういうものですね」

インタビューとサイン会

話は尽きませんが、さらに奥山さんに話を聞きたい方にはこんなイベントもあります。
6月16日土曜日午後2時から、名古屋栄のジュンク堂書ロフト名古屋店7階のブックサロンで公開インタビューとサイン会が開催されます。

インタビューの内容は後日、中日新聞にも掲載されますが、実はこのインタビュアー、奥山さんが高校教師時代に生徒だった中日新聞の記者だそうです。

小高「奥山さんが来る前は、つボイさん、芸術文化選奨の一年先輩って言ってましたけども」
つボイ「これは、かなわんわ。だって思いつきでしゃべっとるのと違うんやもん」

奥山景布子の歴史小説、どれも面白そうです。
未読の方は、まず最新作から読んでみては?愛知ナショナリズムに火が付くかもしれません。
(尾関)
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2018年06月05日11時09分~抜粋

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