世界の黒澤明さん、もともと映画監督志望ではなかった!

つボイノリオの聞けば聞くほど / カルチャー

『つボイノリオの聞けば聞くほど』のコーナー「歴史の知恵袋」では、さまざまな著名人の名言や格言を取り上げています。

5/14の名言は、世界的な映画監督・黒澤明さんの「人間はいつどこで一生の仕事に巡り合うかわからない」。

説明は不要だと思われますが、『七人の侍』や『羅生門』などさまざまな映画を撮り、日本に限らず、外国の著名な映画監督にも影響を与えているため、「世界のクロサワ」と呼ばれるほどです。

元々は画家志望だった

日本を代表する映画監督ですが、ずっと映画監督を目指していたわけではなく、最初は画家を目指していたそうです。

小学校の時、担任の先生に絵を褒められたことがきっかけで絵を描くことが好きになり、美術学校(現在の東京芸術大学)を目指すも、受験に失敗。

その後も絵の修行を続け、昭和3年(1928年)には二科展に入選しました。

その翌年、洋画家の岡本唐貴さん(『サスケ』などのマンガで知られる漫画家・白土三平さんの父)に師事しました。

しかし、昭和11年(1936年)に兄の死などが元で画業を辞めた時、映画の助監督募集の広告が目に留まり、100倍の難関を突破して映画制作会社に入社しました。

その後はシナリオ作家の経験も経た後、映画監督になります。

多くの絵コンテが残っているそうですが、絵が上手なのは、画家の経験があったからということですね。

影響を受けた外国の映画監督が多数

昭和18年(1943年)に『姿三四郎』で監督デビュー。この映画では、雰囲気の良い景色だったからか、愛知県半田市にある運河が撮影の舞台に使われています。

監督としては完ぺき主義、妥協を許さない姿勢でも有名で、本読み(撮影前に台本を読むリハーサル)の時も衣装を着せる、徹底的にリハーサルを行うなど役者に対して厳しかったと言われています。

それだけではなく、細部まで徹底的にこだわった美術、巨大なセット、カメラに映らない部分も作り込むようにスタッフに要求するといったエピソードは、今も語り継がれています。

黒澤監督の手法に影響を受けた世界の監督はスティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・コッポラなどが挙げられますが、これらの監督の映画には、影響を受けたと思われるシーンや設定があったりします。

例えば、『スター・ウォーズ』の一部の設定は『隠し砦の三悪人』が元となっているという話や、モノクロ映画の『シンドラーのリスト』で唯一、少女の服が赤く映っているシーンは、『天国と地獄』で煙だけが赤く映るシーンを参考にしています。

映画のためなら風景も変える!

完璧主義と言えばということで、つボイが黒澤監督のエピソードを紹介しました。

スタッフに「この草原をペンキで金色にしてくれ」と言うと、スタッフは即座に行動し、一面をペンキで塗ったことに、見学に来ていた別の監督は驚いたそうです。

さらに驚いたのが、黒澤氏がカメラを覗くと「これは使えない」と言って、あっさり捨てるという思いきりの良さ。予算や時間の都合もあるでしょうから、今ではなかなかできないことでしょう。

最後につボイは、「最初は映画監督がどんな職業かもよくわからない状態で映画業界に飛び込んだのですが、ひたむきに努力することで自分に合うかどうかわかり、一生の仕事になることもあるのではないでしょうか」とまとめました。
(岡本)
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2018年05月14日10時33分~抜粋

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