つボイノリオの聞けば聞くほど

テレビ黎明期ならでは?実写版でがっかりした漫画

4/30放送の『つボイノリオの聞けば聞くほど』では祝日特集として『鉄腕アトム』が取り上げられ、後日この特集へのリアクションが多数寄せられました。

5/5の同番組で、このおたよりをアニメや漫画などのサブカルチャーに造詣の深いつボイノリオと、小高直子アナウンサーが紹介します。

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手塚治虫のライバル観

「あの頃、テレビはまだ白黒、テレビの前に正座でかじりついていた記憶があります。いつの時代でも、歳を重ねた人間は昔を思い起こして『あの頃はよかった』と言います。当時の手塚ワールドのすごさは何物にも勝るものだと確信しますが、それを説いてもあまり意味はないと思います。ただ言えることは、私たちはとてもいい時代に生を受けたのだとしみじみ思います」(Aさん)

「作家の北杜夫さんのエッセイに手塚治虫さんのことが書かれていました。以前手塚先生の新作アニメを北先生が手伝っていたことがあったそうです。漫画に対しては鬼と化して他の漫画家をすべてライバル視していたということ。
当時『あしたのジョー』(高森朝雄原作/ちばてつや画)が大ヒットしていて、手塚さんが北さんに感想を求め、『確かに面白い』と答えると、露骨に不愉快そうな表情をされたそうです。こういう一面があればこそ巨匠になれたんだと納得。やはり手塚先生は特別な人です」(Bさん)

このおたよりについて、つボイは「これはいろんな人からよく聞きます」と言います。

「手塚さんのアシスタントをしていた方の話です。手塚さんくらいになったら、誰が出てきても『そうか、そうか』と言っていればいいです。大友克洋さんが『AKIRA』『童夢』とか出した時に、パーティで会ったらしい。手塚さんは『大友君、君のような作品は僕でも書けるよ』と。
言わんでええやん。常に真剣勝負で新人でも誰でもライバルでやっていました」

大御所なんだから大きく構えていれば、と周りは思いますが、その貪欲さが大事なんですね。

つボイ「その手塚先生が『あれはよくない』とずっと言い続けた作品がジブリです。ジブリは最後まで認めなかった」

小高「作品のテイストは大友さんよりは近い方にいると思うけど、だから余計にだめだったのかな」
つボイ「あれはいかんと言い続けていたところに、ジブリの独特の存在位置があるのかな、と」
小高「かえって大きさを感じることもあるかな」

ちなみに手塚治虫さんが亡くなられる1989年(平成元年)2月までに公開されていたスタジオジブリ作品は『天空の城ラピュタ』(1986年)『となりのトトロ』『火垂るの墓』(1988年)の3本です。またジブリ設立の直前の1984年には『風の谷のナウシカ』(製作:徳間書店・博報堂)が公開されています。

『鉄腕アトム』につっこみ

4月30日のこの番組では『鉄腕アトム』について特集しました。

つボイ「天満博士の息子・飛雄(トビオ)くんが交通事故でなくなりました。『そうだ、俺は科学者だ、飛雄とそっくりなロボットを作ってやる』と作った。これがアトムの誕生です」

「事故で亡くなったこどもの代わりに作ったといういきさつにしては、すごいオーバースペックすぎますよね」(Cさん)

つボイ「10万馬力いるんかい。こどもの代わりするだけやないの」
小高「でも、今度は強い子を作りたかったかもしれないから。そういう悲しい親心?」
つボイ「空を飛ぶようなこどもいらんやろ、普通は」
小高「飛べたらいいな、うちの息子が、と思った?」

いろいろ疑問はありますが、「お茶の水博士が作ったわけではないのね」という、初歩的な誤解もよくあります。

残念過ぎる実写版アトム

『鉄腕アトム』といえば、アニメの前に実写版が1959年(昭和34年)に放送されていて、そのクオリティの低さが、特集番組でも話題になりました。

この特集では実写阪のエンディングで、アトムを演じた子役が頭部の被りものを取って挨拶するという演出を紹介しました。

「私も当時見た実写版はがっかりでした。今だったら特殊メイクやCGで、実写版もありかと思いますが、アトムは見た目もこどもでシンプルですから、やはり難しいかな」(Dさん)

つボイは「お茶の水博士の鼻が小さかったのが、がっかりでした」と感想を。

鼻くらいは当時でもなんとかなったと思うので、そこはがんばって欲しかったです。

『鉄人28号』にもがっかり

他にもがっかり実写版のおたよりが。

「一番がっかりしたのは『鉄人28号』の実写版だと思います。あれもブリキの塊みたいなのが出てきて、強そうに思えません」(Eさん)

「『鉄腕アトム』の実写版より『鉄人28号』の実写版は笑えました。ロボコンじゃん!しかも大きさが人間と同じじゃん」(Fさん)

ちなみに『鉄人28号』(原作:横山光輝)の実写版は1960年(昭和30年)に日本テレビで放映されていました。

つボイ「漫画の方でしたら、正太郎くんが現場に急ぐため鉄人を呼ぶと、鉄人が飛んできて、鉄人の手のひらに二人を乗せて飛んでいくシーンがあります。実写版になると、鉄人は等身大です。
でも、アニメもたいしたことなかった。手のひらに乗せてきた。次、洞窟の中に入る時は、大塚所長と正太郎の後ろから鉄人がついてくるんです、かがみながら。大きさどんなんや、わけわからん。
『鉄人28号』はアニメもクオリティが低かったです。私は『鉄腕アトム』のアニメの方は評価しています。言いだしたらきりがない世界ですが」

また、つボイは「ウルトラマンの満田監督に聞きましたけど、当時はとにかく突貫工事で、1週間に1回ずつ作っていかないといけない。撮って出しだから、多少のことはいいだろうと思った、今のようにDVDで繰り返し見られる時代になるとは思わなかった、と。あの時代だからこそです」と貴重な話を披露しました。

ニュースでは、『鉄腕アトム』の原画1枚がパリで5日オークションにかけられ、約3,500万円で落札されたとか。海外でも評価が高い作品をリアルタイムで見て育った世代は幸せです。
(みず)
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2018年05月04日10時52分~抜粋

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