4月4日に京都府舞鶴市で開かれた大相撲舞鶴場所で、多々見良三舞鶴市長が土俵上で挨拶中に突然倒れ、その場にいた女性の看護師が処置のため土俵に上ったところ、女人禁制ということで看護師たちに対し土俵を下りるようアナウンスがなされました。
このアナウンスに対して「人命と伝統のどちらが大事なのか」と批判が殺到し、日本相撲協会の八角理事長が謝罪しましたが、海外メディアでも女性蔑視として取り上げられ、今なお波紋が広がっています。
4月6日は金曜日、『つボイノリオの聞けば聞くほど』は「おたより復活デー」として、読み切れなかったおたよりをつボイノリオと小高直子アナウンサーが紹介しましたが、この週多くの注目を集めたのはこの話題でした。
伝統は守るべき?「女性は土俵から下りてください」アナウンス問題
人命よりも大事な伝統はあるのか?
さらにこの報道の後、女性が土俵から降りた後に塩をまいていたこともわかり、さらなる騒ぎが巻き起こりましたが、こちらは、女性が土俵に上がって汚れたという意味ではなく、土俵上で市長が病気で倒れたということに対する対処だという話もあり、力士がケガをした場合でも塩はまかれるようです。
一連の騒動に対し、番組にも批判的な意見が多く届きました。
「緊急時に人命を犠牲にしても守らなければならない伝統とは何でしょうか。このズレた感覚が、諸問題の根源ではないでしょうか。もし女性がアナウンスに従って土俵から下り、市長が亡くなったら、もっと大きな問題になっていたでしょう」(Aさん)
小高アナも外国の例も引き合いに出し、「医療行為で男女の差とか階級の差があると、いろんな矛盾が生じる」と批判しました。
女人禁制は古代からの伝統か?
一方で「女人禁制」という伝統を守ることがやはり大事ではないかという意見も当然あります。
「神様にとって血は汚れなので、生理がある女性は汚れと捉えられているようだと祖母から聞きました。室生寺(奈良県)の別名は女人高野で、昔、高野山は女人禁制だったため、室生山からしか拝めませんでした。
宗教観や信じる信じないはさておき、目に見えないものに対する畏敬の念を持つという謙虚な気持ちが忘れられていくことは、寂しいことです」(Bさん)
ただ、この伝統が古代から脈々と続いてきたものなのかは、つボイが古代史の観点から異議を唱えます。
「神道や宗教上、生理は汚れと捉えられていることはあるが、古代宗教はみんな女の人に関係あるんです。富士山や八甲田山など、火山は信仰の対象になってます。
なぜかと言ったら、溶岩が噴き出てくるさま、あれが女性の生理を感じる。生理が人の命を生み出してくるという古代人にとっては理解のできないことを女性が司っているんだと。卑弥呼にしてもそう、沖縄でも祝女(のろ)という女性が宗教を司り、天照大神も女性。本当に女性が素晴らしいというのが古代人です」
しかし、次第に男性が主体の社会が形成されていきます。
つボイは、「そこから男社会が来て、女性からどんどん奪って行ったんです。(男社会に転換させるには)前にあった権威や価値観をけなさなイカンのです。女は汚れたものだと」として、実は女人禁制のルールにはそんなに伝統はないのではないかと語りました。
最後には、長年女性の方が上という時代が続いてきたので、ちょっとぐらい男の方が偉そうな時代があっても良いと語り、「レディースデー」とかもちょっとズルイなと、オチを付けていました。
相撲の伝統を考え直す時期に
さらに折衷案として、人命を尊重しつつ伝統を守ることもできるのではないかという意見もあります。
「土俵に女性が上がるのはタブーなので、それを指摘するのは当然です。土俵下でも救命処置をやってもらうよう、女性に説明した人はいないのでしょうか」(Cさん)
土俵から下して処置を施せばよいのではないかという意見ですが、後に医療関係者の方からの反論が届きました。
「(もし救助する人が)素人なら病の危険性や救急について知識がないので仕方がありませんが、下手に動かすことで、逆に出血がひどくなる可能性があります。土俵上で処置をするのが正しいと思います」(Dさん)
観客から「女性が土俵に上がっても良いのか?」という声が挙がったためにアナウンスで注意したという話もあり、今回の一件では相撲協会だけなく私たちも含めて、伝統について改めて考えさせられることになったと言えそうです。
(岡本)