つボイノリオの聞けば聞くほど

ふたりの男が振り返る『つボイノリオの聞けば聞くほど』25周年

1993年(平成5年)10月4日に始まった『つボイノリオの聞けば聞くほど』、ついに25年目に突入しました。

実は、開始時からずっと番組に関わっている男性はふたりだけ。
パーソナリティのつボイノリオと、開始時から総合演出を務める加藤正史です。
今回はこのおふたりに番組の25年を振り返ってもらいました。

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番組開始時の意気込みは?


つボイ「世間の声は長く続かんだろうというムードが満ち満ちてましたから、私もそうやろなぁと思いながら(笑)やり始めてしまったわけです。でも最初から(聴取率の)数字が良かったんです。周りから、『最初から飛ばしたらいかんだろう。あと落ちるだけだろう』と言われて、もう下げられないなという雰囲気でしたね」

加藤「つボイさんとちゃんと仕事をするのは初めてで。むしろCBCでは『打倒つボイ』で若い方とやっていたんで、どうなるんだろうと思ってましたね」

今の気持ちが伝わるおたよりを


『つボイノリオの聞けば聞くほど』が画期的だったのは、開始時点で投稿手段としてファックスを導入したことです。名古屋はおろか、全国のラジオ局でもほぼ初めてと言える試みでした。

加藤「リアルタイムにおたよりを紹介したいということで、最初から使ってました。ちょうど普及しはじめた頃だったんです」

つボイ「電話も使ってました。ハガキだと普遍的な話ならいいですが、その日のニュースについて書いても3日4日後になってしまう」

加藤「完成度の高いおたよりよりも、今の気持ちが伝わる方を優先させてもらいました」


つボイノリオ

──メールの採用も早かったですね?

つボイ「ファックスは機械があるところしか送れないので、おたよりを送りたくてもそこまで行かなければいけない。でもメールは車の中からでも送れるから臨場感が違います」

最初からマンネリで最初から新しい。


『聞けば聞くほど』は、開始から半年後につボイ&小高コンビが固定しましたが、そこから番組に変化があったのでしょうか?
まずは変わっていないことを加藤正史はこう語ります。

加藤「最初からマンネリで最初から新しい。いま起こっていることをつボイさんと考えるところですね。それは日々変わりますから、つボイさんがいる限りずっと続けられるわけです」

──逆に当初予想できなかったことはありますか?

加藤「永六輔さん、山田貴敏さん…とにかく普段会えないような方が来てくれて。しかもキャンペーンではなく、番組の中身に関わってくれる番組になったことですね」

つボイ「それと、最初は浜美枝さんや多湖輝さんの番組をつなぐだけのフローティングワイドと言われてた。だからまとまりを作る必要があった。まあ『世間がテーマ』ですから、いくらでも喋れるし、喋り足らないほどです」

加藤「最初はリスナーさんから『テーマがないと書けない』とも言われましたね」

つボイ「テーマが野球だと、興味ない人はその日書くことないですから」

加藤「昔で言えば縁台将棋の周りに人が集まり、何の気なしに始まる世間話みたいなイメージを目指しましたから」


総合演出・加藤正史
 

小高直子という存在


もうひとり、番組スタート時から関わっている女性と言えば、小高直子アナウンサー。
よく男女のペアで女性が「女房役」という言葉を与えられることがありますが、ふたりの男性にとって、小高直子アナはどんな形容になるでしょうか?

つボイ「女房役なら、わたしが喋ったらハイハイ言いながらやってくれるんですが、押しのけて喋りますからね(笑)。さらにわたしが喋ったことに油を注ぎますから、形容のしようがないですね。だから永六輔さんも彼女を評価してましたしね」

加藤「この番組で人生狂ってると思うんですよ(笑)。これだけ長くやってるのに、テレビに出ない、ニュースを読まないアナウンサーはCBCにも…たぶん全国にもいません」

つボイ「経験不足や(笑)」

加藤「他の番組をやっていたら、普通の人間に育ってたかもしれない(笑)」
 

つボイ・小高が語る25周年への抱負


ここで、話題となった小高直子アナウンサーに登場してもらい、改めてつボイノリオと『聞けば聞くほど』の25年を振り返ってもらいましょう。



つボイ「皆さんのおかげで25年。これを機に、今までとは違った…」

小高「違った?」

つボイ「清らかな、そういう放送になると思う。見違えるような」

小高「そういうことは25年前から言い続けとる気がしますけども…これを機に清らかに…とか何回も聞いとる気がする」

つボイ「あっ、いま気づいた!なんでこの番組が続いとるのか。皆さん方のおかげでと言いましたが、そうじゃないです。『清らかな放送』と言ってそれが達成できないからまた来年、そしてまたその来年も…と、完成に向かってひたすら進んでいって、気がつくと25年」

小高「ナントカの置き瓦みたいなもんですか?」

つボイ「知恩院の置き瓦や(笑)。完成に向かっていくから進歩がある。完成してしまうと滅びがある。まさに『毎年言ってたよ』というのを原動力としてここまで来たと!」

小高「そういう言い訳をしながらやってきた25年(笑)」

つボイ「”言い訳”のひと言で終わるって…楽な立場やなあアンタは(笑)。変わらない努力をすることは大事ですよ、ホントに」

小高「ホントに…」

つボイ「ホントやな…こう確認しあいながらやってきました(笑)」
(文責:編集部)
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