「つボイノリオの誰かとどこまで」のコーナー名は、2015年に亡くなられた永六輔さんの長寿番組『永六輔の誰かとどこかで』(TBSラジオ)をオマージュしたものですが、9/8は「永さんの幻のラジオCM復活」について取り上げました。
きっかけは6日に寄せられた、次のようなおたよりです。
「先程、永さんの短いラジオCMを聴くことができました。永さんの短い語りに、(永六輔さんの娘である)永真理さんの語りが加えられていました。久しぶりに元気な頃の永さんの声を聴くことができました」(Aさん)
娘さんが語る、永六輔さんとの最晩年の思い出
幻のラジオCM音源を発掘!
最近、ラジオCM用のデモテープが見つかり、その内容は永さんが自ら考えた約10秒のキャッチコピーを読み上げたもので、録音日時は不明ですが、他のラジオCMが2003年~2007年の頃に流れていたため、その頃に録音した可能性があると関係者が語ったそうです。
つボイノリオは「いろんなことをやってこられた永さんのことだから、これからも『未公開の○○』というのが、いくらでも出てくるかもしれない」と推測しました。
「永さんの出ておられた浅田飴のテレビCMは、『かろのうろん』など、印象的なものが多かったのですが、ラジオCMがあるとは知りませんでした」(Bさん)
「かろのうろん」とは、福岡では訛りと寒い日に「角のうどん(=その角にあるうどん屋さん)」が言いにくいことにより、「かろのうろん」と言ってしまうというところから来ています。
そして、おなじみの「咳・声・のどに浅田飴」というフレーズをわざと「せきこえのろにあさらあめ」と語るというユーモラスなCMでした。
ちなみに、福岡には実際に今でも『かろのうろん』という名前のお店が存在します。
永さんとの最晩年の思い出
もう一人の娘である永千絵さんが、最近『父「永六輔」を看取る』(宝島社)という本を上梓されました。
永六輔さんが晩年、どんな様子だったのかをまとめた内容となっています。
ある時、永六輔さんの看病を妹に交代する時でしたが、なぜか「2人で看病しよう」という話になったところ、そこで奇跡的に永六輔さんは元気になり、いろんな話をしたそうです。
その時は「まるで母も一緒にいるかのような気持ちになった」そうですが、その翌日に亡くなられてしまったため、「いまだに(亡くなったことが)信じられない」そうです。
生前、永六輔さんはよく旅をされており、その留守を預かるのが普通の家族の生活だったため、「今もどこかへ旅に出ていて、ひょっこり帰ってくるのではないか」と思ってしまうそうです。
つボイが調べたところ、娘さん以外にもさだまさしさんが、『永さんとの最晩年の思い出』(小学館)を綴っていることを知り、「その他にも、さまざまな方が永六輔さんとの思い出を活字にしていることを感じた」とまとめました。
著名な方はもちろんのこと、長く続けられた永さんのラジオ番組のリスナーなど、影響を与えた人々は数知れないようですね。
(岡本)
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