つボイノリオの聞けば聞くほど

南国土佐を後にしてウルトラの星に帰ってきたペギー葉山さん

音楽から様々な話題を取り上げる「トーマスの箱」のコーナー。
今回つボイノリオが箱を開けて流れてきたのは、ペギー葉山さんの代表曲のひとつ「南国土佐を後にして」です。

12日、歌手のペギー葉山さんが肺炎のため83歳で亡くなられました。
突然の訃報に驚いた方も多かったのではないでしょうか。急な別れを惜しむ数多くのおたよりが届いています。

「この歌声、もう聴かれないんでしょうかね…」とつボイノリオの淋しげな声からスタートです。

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心に生きる歌声や姿


「『ドレミの歌』が有名ですが、私は『南国土佐を後にして』が好きです」(Aさん)
「『ドレミの歌』、『学生時代』、『南国土佐を後にして』大好きなベスト3です」(Bさん)
「83歳の旅立ち。ペギー葉山さんよりも一つ年上の84歳の母の『年だでねぇ』の言葉に、寂しさを感じました」(Cさん)
「中学の時に音楽の先生が『学生時代』を教えてくれてとても印象深かったです」(Dさん)
「黒柳徹子さん、中村メイコさんとともに、いつも元気な印象」(Eさん)
「おしゃれでエクボがかわいくて、私生活がきちっとされている様子が画面から伝わってきた方です」(Fさん)

リスナーのみなさんそれぞれの中に、ペギー葉山さんの歌声や姿が生きています。

ウルトラ夫婦


2005年に亡くなられたご主人、根上淳さんについて想いを馳せる方も多かったようです。
根上淳さんは映画会社・大映の二枚目俳優で、1967年のテレビドラマ『白い巨塔』では誠実な里見先生を演じていました。

「ウルトラマンタロウでのウルトラの母が印象的でした。M78星雲に帰って行ったんでしょうか。ご主人と一緒に地球の平和を見守っていてください」(Gさん)
「根上淳さんに会えたでしょうか」(Hさん)
「おしどり夫婦で有名です」(Iさん)

ペギー葉山さんと言えば『ウルトラマンタロウ』(1973年)で演じたウルトラの母(人間体)を挙げる方も多いでしょう。
一方根上さんも『帰ってきたウルトラマン』(1971年)では、防衛チームMATの隊長役で知られています。
夫婦でウルトラマンシリーズに出演、ということをきっかけにファンになった方も多いようです。

ドはドーナツのド


BGMが「ドレミの歌」に変わりました。

「やっぱり『ドレミの歌』が印象に残っていますね」(Jさん)
「『ドはドーナツのド』と作詞したのはペギー葉山さんなんですね」(Kさん)

ペギー葉山さんは、あの、誰もが歌える「ドレミの歌」の日本語訳をされた方です。
疎開先で空腹の時にドーナツが食べたかったことを思い出して「ドはドーナツのド」を書かれたとのこと。
いつの時代も、こどもはドーナツが好きなもの。
戦時中に不自由な生活を送りながら、いろんな思いから生みだした「ドレミの歌」の歌詞は、終戦から70年以上経った今もこどもたちに親しまれています。

一方でこんなお便りも届いています。
「『ドはドーナツのド。シは知らないよ♪』と替え歌で歌っていました」(Lさん)

さすがはシンガーソングライターのつボイ、替え歌と聞いては黙っていられません。
「私も『ドはドレミのド、レはドレミのレ、ミはドレミのミ~♪』と全部作詞してましたよ!」と自信たっぷりに歌いますが、
「何の考えもない!」と小高直子に一蹴される始末。

「すぐ作ったにしてはおもしろいなぁと思いました」とめげないつボイです。「自分でほめるなよ!」と自己突っ込みも忘れません。

ツタノーカラ マルチャ ペルデ


「学生時代」の冒頭の歌詞を「ツタノーカラ マルチャ ペルデ」と聞き取り、長い間祈りの文句だと思っていたMさんのおたよりも。

正しくは「蔦の絡まるチャペルで」。
「そうずっと思っていた。呪文の歌かと思っていました」とのコメントに、思わず苦笑いするしかない小高です。

みんな大好きなペギー葉山さん


「以前デーサービスで働ていた時にカラオケの時間で『学生時代』『南国土佐を後にして』は必ずリクエストが入る曲でした。
一人が歌い始めても最終的には大合唱になって、みんなに親しまれていました。」(Nさん)

「独唱したい人はペギー葉山さんの歌を選んではいかんということですね。合唱になってしまうんで」とつボイ。

みんなが愛したペギー葉山さん。旅立ちに向けて、実に多くのおたよりが届きました。
(minto)
つボイノリオの聞けば聞くほど
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2017年04月13日10時14分~抜粋

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