つボイノリオの「トーマスの箱」。今回は懐かしいYMOの「ライディーン」に乗せて、つボイノリオの大切な思い出が語られました。
そして、小室哲哉やミッキー吉野との意外な共通点も!さあ、一緒に「トーマスの箱」を開けましょう。
つボイノリオ、日本初のシンセサイザーを入手していた!
梯郁太郎さんの残念な訃報
4/4の火曜日は、リスナーからYMOの「ライディーン」へのリクエストが多数ありました。
「『ローランドという楽器音響メーカーの創業者である梯郁太郎(かけはし・いくたろう)さんが4月1日に87歳で亡くなられました』と教えてくださったんです」と、少ししんみりした、つボイノリオの声。
梯郁太郎さんは、ローランドの創業者であり技術者。日本で初めてシンセサイザーを作り、また電子楽器同士を繋いで演奏できるMIDIという規格も作り、世界に普及させました。音楽演奏を趣味としている方、とりわけキーボーディストにとっては有名な方です。
音楽家以外でハリウッドにある「ロック・ウォーク」に殿堂入りして手形を残したり、また、2013年にグラミー賞のテクニカル・グラミー・アワードを受賞しています。
つボイノリオと小室哲哉の共通点
実はつボイノリオも、ローランドが日本で初めて発売したシンセサイザーSHー1000を購入していたのです。
SHー1000についてつボイ自身がネットで調べたところ、1973年に発売された国産初のアナログシンセサイザーで、小室哲哉がこのシンセサイザー欲しさに、自宅にあるエレクトーンをリヤカーに載せて友人に5万円で売って、その資金を元に手に入れたと、印象的なエピソードを語ってくれました。他にもゴダイゴのミッキー吉野も愛用していたそうです。
CBC初のシンセサイザー演奏
発売当時の値段は16万5000円。「高かった!」とつボイノリオ。
「あの頃ふつうの時給が300円か400円のころ。当時はギャラだけで、週に1日しか働いてない。月に4回、1回のギャラが4000円でしたから。そこから源泉徴収で1割引かれます。全然足りないわけです。相当頑張って買ったわけですね」
日本で初めてということでうれしくて、当時持っていた自分の番組で演奏したことがあるそう。
「私はCBCで初めてシンセサイザーを放送で流した人です。歴史には一切残っていません!が、私が最初のはずです、おそらく。買ってすぐやりましたから」とも。
不安定な楽器・シンセサイザー
当時のシンセサイザーは、和音は鳴らせず単音(1音)だけだったそうです。
キース・エマーソンがロック雑誌で「シンセサイザーの父」と呼ばれるモーグ博士に対して「あなたのシンセサイザーはとてもいいが、気温の高いところ、湿気の高いところで演奏していると、ピッチが狂うのでそこを改善して欲しい」と言っていたそうです。
このエピソードでもわかるように、国やメーカーを問わず、当時のシンセサイザーは非常に不安定な楽器だったようです。
ちなみに現在では、当時のように電気部品のみで作られたシンセサイザーを「アナログ・シンセサイザー」と呼んでいます。
つボイノリオもSHー1000の演奏については苦労したそう。熱を持つとどんどん音が変わってくるので、一曲ごとピッチを調整していたそうです。
ただしツマミで直感的に操作できるアナログ・シンセサイザーは、いまなお人気があり、中古市場でも高値がついているといいます。
「(出てくる音は)非常にデジタルでありながら、ぐっと回すようなダイアルがいっぱいあってアナログっぽい感じの、一番最初のシンセサイザーを僕も買いました。小室くんも買ったかぁ、ミッキー吉野くんも買ったんだ」
と、様々な思いをかみしめるようなつボイノリオ。
YMOの「ライディーン」から、梯郁太郎さんが亡くなられたという話にしんみりしつつ、当時のシンセサイザーへの熱い思いを感じさせる話でした。
(みず)
編集部注:
ページの画像は、ローランドから1976年に発売されたSH-5です。
(弊社使用スタジオで2012年に撮影)
残念ながら弊社で公開できるSH-1000の画像はございませんでした。ご了承ください。
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