小堀勝啓の新栄トークジャンボリー

俳優・石橋凌を生んだのは松田優作だった

ロックシンガーで俳優の石橋凌さんが、9月4日放送の『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』(CBCラジオ)に出演しました。

番組パーソナリティの小堀勝啓とはロックバンドARB時代からの付き合い。
8月31日にリリースされたニューアルバム『オーライラ』の話から、俳優業への転身についてまで振り返りました。

[この番組の画像一覧を見る]

最高傑作完成

新作『オーライラ』についてこう語る石橋さん。

石橋「福岡県久留米市で生まれまして、高校に入ってアマチュアバンドを始めたんですね。それからずっと約50年。半世紀に渡って音楽に携わってきたんですが、私の音楽史50年の中で最高傑作ができたと思ってます」

ARBからソロになり、自らの音楽スタイルを「ネオ・レトロ・ミュージック」と提唱。
昔のよかった音楽を、決してノスタルジーではなく、今の時代の音を意識しながら追及しているそうです。

小堀「これを聴いた時、アナログのLPレコードを聞いているような感じがどの曲にもあって。しかもスタジオの空気まで入っているような音ですね」

石橋「ライブの感覚で、ほとんど一発録りだったんですよ」

降りてきた10曲

行動制限がかかったコロナ禍を、石橋さんは逆手に取り、時間をたっぷりかけて曲を作ったそうです。

1980年代に書いた「魂こがして」「After ‘45」は、自動書記のように降りてきて1~2時間で出来上がったそうです。

今回は、行きつけの喫茶店でノートを目の前に置いて、歌詞とメロディーが同時に降りてくるのをひたすら待ったんだそうです。

石橋「今日もダメだと思って、店を出た途端にゲリラ豪雨のようにバラバラッと来たんですよ。で、また喫茶店に戻って、コーヒーお代わりって言って、降りてきたメロディーと歌詞をノートに書き留めるんです」

そんな積み重ねでできたのが今回のアルバムだそうです。

松田優作さんとの出会い

現在は俳優としての顔も持つ石橋さん。盟友だった故・松田優作さんの話題となります。

1978年(昭和53年)、ARBのボーカリストとしてデビューした石橋さんですが、鳴かず飛ばずで「もはやこれまで」と思った時期があったそうです。それが26~27歳の頃。

九州に帰ろうと思った時に、出会ったのが松田優作さんだそうです。

石橋「優作さんが『いつかお前は映画で名前と顔を売れ』って『ア・ホーマンス』という映画でチャンスをくださったんですね」

映画『ア・ホーマンス』は松田優作さんが唯一監督を手掛けた1986年(昭和61年)の作品。
石橋さんは、松田優作さん演じる謎の男と友情を育むヤクザの若い幹部を演じました。
この作品に参加したことで「もう一回バンドを立て直して歌える」という思いになったそうです。

遺志を継いで俳優の道へ

石橋「優作さんが『お前、今後俳優はどうする?』っておっしゃって。『もし自分にできるものがあれば…』としか答えてないんですね」

再び歌う道を歩き始めた石橋さんですが、1989年(平成元年)に優作さんが34歳で亡くなると役者の道へと進む一大決心をします。

石橋「自分を引っ張り上げてくださった方ですし、優作さんがいつもおっしゃってたのは、『なんで合作映画で、日本人の役を日本人ができないんだ?』ということ」

優作さんはリドリー・スコット監督の『ブラックレイン』(1989年)に参加するかなり前から、ハリウッド進出について考えていたそうです。
優作さんのその夢は、膀胱がんによって妨げられました。

石橋「ですから自分としては、なんとか自分の方法論で優作さんが思ってらしたことを継げないかなと思って、一旦、音楽を封印して俳優だけに専念した時期がありましたね」

石橋さんは国内の映画やドラマに出演し続け、1995年(平成7年)にはついにハリウッド進出。
ショーン・ペン監督、ジャック・ニコルソン主演の『クロッシング・ガード』で演技が認められました。

じゃあ、どうすればいいの?

優作さんの遺志を継いだ石橋さんですが、思わぬ弊害も。

石橋「私に回ってくる役の8割方が、悪党か危ない男なんですよ」

マスコミでは世代交代も進み、ARBを知らないスタッフも増えているそうです。
そういう人にとっては、ドラマや映画での強面の印象しかありません。

音楽のプロモーションで各地を回ると…。

石橋「『普通に話すんですね』っておっしゃるんです。二つ目が『笑うんですね』って(笑)。俺はバケモンかって。
で、笑ってたらパーソナリティの方に『気持ち悪い』って言われたんですよ。じゃあ、私はどうすればいいんだっていうね(苦笑)」

小堀「映画でしか知らない世代は、急に暴れるんじゃないかと思うんじゃないですか?笑うとめちゃめちゃチャーミングなのにね」

前を向いて歩こう

話題は、再びニューアルバム『オーライラ』へ。

小堀「タイトルチューンなんか一緒に歌いたいと思いましたよ。ライブの時なんか、みんなで肩組んで歌いたいぐらい」

石橋「まさにそれです。狙ったのは」

みんなが歌える放歌がなくなったと嘆く石橋さん。みんなが歌える歌をと作ったのが、アルバム4曲目のタイトルチューンの「オーライラ」でした。

同じ久留米出身、中村八大さん作曲の「上を向いて歩こう」へのアンサーソングだそうです。

小堀「みんなで放歌高吟できる。そしたら、すごく前向いて歩いて行ける感じがします」

石橋「それは嬉しいですね」

私の歌ば歌ってよ

5曲目の「ファンキーバァバ」は石橋さんの母を歌った曲。

石橋さんにはARB時代の「ダディーズ・シューズ」という父をモチーフにした曲があります。「ファンキーバァバ」にはこんなエピソードがありました。

ある時、母と二人で食事をしていると、石橋さんの顔をジーッと見ていたんだそうです。

石橋「『あんた、父ちゃんの歌ばっかり歌わんで、なんで私の歌、歌わんと?私の歌ば歌ってよ』って言ったんですよ」

そこで「あなたのこと歌った歌あるよ。歌詞に出てくるでしょう」と説明したそうです。
その曲はARBの「淋しい街から」。確かに「お袋が嫌いになったんじゃない」というフレーズに母親が出てきます。

石橋「私をメインにして歌ってくれって言いたかったと思うんですけど、2年前に102歳で大往生で逝っちゃいました。『ファンキーバァバ』の歌詞は彼女の人生そのまま、こういう人です」

ずっといてくれる

石橋「音を聞いて、本当にお袋が生き返ったと思ったんですよ」

小堀「フェデリコ・フェリーニの、いろんなものが混ざったハチャメチャな映画があるじゃないですか。あれを彷彿とさせる、愉快なすごい人なんだろうなと思います」

「ファンキーバァバ」は、いきなりサックスがさく裂するクレズマー調の曲。ドタバタで痛快。まるで運動会のような曲です。小堀もお気に入りのよう。

石橋「父親は、僕が12歳に病気で他界したんですが、まあ『ダディー・シューズ』という歌として、ずっと生き続けてるかなと思いますし、母親もこの『ファンキーバァバ』で、ずっといてくれるのかなと思います」

アルバム制作メンバーと共にライブツアーも開催。映画やドラマで、危ない男としか石橋さんを知らない人は、ぜひ足を運んでみてください。

石橋「今回のアルバムの新曲と、昔から歌ってきた旧曲を織り交ぜながら、皆さんに良い時間を見せたいと思います」
(尾関)
 
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
この記事をで聴く

2022年09月04日10時28分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報