小堀勝啓の新栄トークジャンボリー

「歌手」じゃなくて「バンドマン」。寺尾聰が呼び方にこだわる理由とは?

俳優でミュージシャンの寺尾聰さんが、5月8日放送のCBCラジオ『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。
名古屋にほど近い愛知県一宮市で久しぶりのホール公演を控えた寺尾さん、今回は専ら音楽活動について語ります。

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若い人は分からない?

寺尾「共演した若い俳優さんが、そっと俺んとこ来て、何言うのかと思ったら、『寺尾さん歌ってたんですね。お母さんに聞きました』」

最近テレビCMで寺尾さんの代表作のひとつ「出航 SASURAI」がオンエアされています。
若い人の中では「俳優なのに歌も歌うんだ」と知った方が多いのかもしれません。

実はこの番組のスタッフの中にも、そう思っていた人がいたそうです。

今、若い人の間で見直されているシティポップ。そのバイブルとして愛されているアルバムが、1981年(昭和56年)リリースの『Reflections』。
このアルバムを作った人と、ドラマや映画に出ている寺尾聰さんが同じ人だとは思っていない人が増えているとか。

「同じ人ですよ」と呼びかける寺尾さんです。

GSのベーシスト

寺尾さんのデビューは1966年(昭和41年)、ミュージシャンとしてです。
ザ・サベージというグループ・サウンズ(GS)のバンドでベースを担当していました。

1968年の『黒部の太陽』出演を機に、俳優業と音楽活動を並行して行うようになりました。

テレビでは『大都会』『西部警察』など石原プロ作品で人気となり、映画では『乱』『夢』『まあだだよ』の黒澤明監督作品や『半落ち』などに出演。

小堀「ザ・サベージ。僕はリアルタイムで高校くらいの時、世の中は勝ち抜きエレキ合戦とかの時代ですわ。フォークロックっぽい感じですよね」

寺尾「世間のブームが、フォークソングからエレキバンドに移る分岐点だと思う。だからGSの第一期生ですけど、カレッジポップって言われた感じだったですね」

映像が浮かばないとボツ

小堀「GSの人かと思ったら、後の寺尾さんの唄世界は『SHADOW CITY』でも『ルビーの指環』も、全体の音が絵画のように溶け込んでいる」

寺尾「そういうふうに褒めてもらえてすごく嬉しいですね」

これら80年代初頭のヒット曲は、歌詞を有川正沙子さんと松本隆さんが手掛けていますが、作曲はすべて寺尾さん自身によるもの。
寺尾さんは目をつぶって映像が浮かばないメロディーは曲として成立しないと判断して、どんどん捨てていくんだそうです。

寺尾「自分の書いた曲は、どれもちゃんとしたストーリーで映像を持っていないといけない。それを目指して書いてる感じですね」

歌うということは、そうしてできた一曲一曲のストーリーを演じていくことなんだそうです。

厄介だけど面白い

小堀「歌ってる姿もすごく色気があって、曲によっても違いますね」

寺尾「音楽の場合、『歌手』っていう言葉を自分では使わないんです。『バンドマン』っていう言い方をする。ベースを弾きながら歌うってことは本当に厄介です」

ベースラインはメロディラインとは逆の音を弾く時もあります。ベースを弾きながら歌うことは、2つの歌をいっぺんに演奏しているようなもの。

寺尾「その中で、ベースとメロディの両方持ってる自分を出していくっていうのが、すごく厄介で面白いんですよね」

こいつら、頭おかしいぞ

ギターを弾いて歌う人は大勢いますが、ベースを弾いて歌う人はポール・マッカートニーやスティングなど世界でも少数派です。

寺尾「そういう人たちを見ると、指と口と全然違うラインを動いてて、それが1つの曲の中にちゃんと納まってる。すごいなこいつら、頭おかしいぞと思う」

小堀「ご自分もそうですよ」

寺尾「だからベースやってるヤツは、だいたい頭おかしいんです(笑)」

みなさんも、ベースを弾きながら歌う、寺尾さんのマジックぶりを一度見に行ってください。 
(尾関)
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
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2022年05月08日10時25分~抜粋

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