小堀勝啓の新栄トークジャンボリー

作詞は武田鉄矢!鳥羽一郎の新曲は歌うたびに胸に迫る

デビュー40周年を迎えた歌手の鳥羽一郎さんが、1月16日放送のCBCラジオ『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。

コロナ禍を挟んでいるため、鳥羽さんが小堀勝啓と対面で会うのは3年半ぶり。新曲の話から、コロナ後の計画まで。素朴に力強く話す鳥羽さんでした。

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名曲「兄弟船」

鳥羽さんが「兄弟船」でデビューして40年。小堀ともこの頃からの付き合いです。

鳥羽「まだ二人とも30歳だったんですよ」

小堀「二人とも若くて血気盛んな頃」

鳥羽「若くてさあ、いろんなことを言えるような時代だった(笑)」

リスナーからこんなおたよりが寄せられていました。

「あのトランペット一発で、外海にバーンと出ていく感じがあって、すっと歌に入っていく。このイントロを作った人は天才だと思います。
ところで鳥羽さんは一時、尾鷲のサンマ船に乗っていたという話を聞きました。本当ですか?」(Aさん)

鳥羽「違います。私の叔父さんがサンマ船を持ってまして、今でも息子がやってます。僕のお父さんの弟がやってたんですね」

サンマ漁は尾鷲からだと熊野灘で行われますが、大々的なサンマ漁の拠点である北海道に出ていく船もあります。
鳥羽さんはそれどころか、地球の裏側エクアドルまでマグロの遠洋漁業で行っていました。
 

俺の目に狂いはない

1月12日にリリースされた新曲「一本道の唄」の作詞を手掛けたのは、海援隊の武田鉄矢さんです。

鳥羽「武田さんは絶対演歌書ける人だからってお願に行きました。私の目には狂いはなかった」

武田さんは最初、「演歌は難しくて書けないよ」と言っていたそうです。しかし鳥羽さんは、出来上がった詩に大満足。

鳥羽「やっぱり日本語をよく知ってる。言葉をよく知ってる。そういう人が書けないはずがないと思いました」

ちなみに作曲は鳥羽さんの長男、木村竜蔵さんが担当しています。
 

グッと来るねえ

鳥羽「これは武田鉄矢さんの『マイ・ウェイ』でもあると思う」

鳥羽さんがデビューした1982年は、武田さんにとってどんな年か調べてみました。1982年は海援隊解散。武田さんはソロになり、俳優、文筆家として活動していく年でした。

ドラマから映画になった『幕末青春グラフィティ』シリーズ、映画『刑事物語』シリーズが始まったのもこの年でした。もちろん武田さんが脚本に参加しています。

鳥羽さんの言う通り、「一本道の唄」は武田さんの「マイ・ウェイ」なのかもしれません。三番の歌詞に「踵を揃えてお辞儀をします」というフレーズが出てきます。

鳥羽「やっぱ、ここ、ジーンと来るんだよね。自分を褒めてやりたいっていうのもあるし、40年お世話になった方々に、本当にありがとうございますっていう言葉が出てくるんですよ。ここへくるとグッとくるねえ」
 

古希だから鍛えたけど

小堀「久しぶりにお会いしたら体型がシュッとして。絞ったんだなあと思った」

鳥羽「古希ですから、ちょっと鍛えないとダメかなと思ってね。筋トレを二年ぐらいやったかな。でもやり過ぎちゃって腕がいかれちゃった」

25キロのダンベルを片手で上げていたという鳥羽さん。
それを1年間続けたら腕が上がらなくなってしまったんだとか。小堀もやるそうですが重さは3キロ。

整形外科に行ったら「いきなり、そんな風にやったらダメだ」と言われたそうです。
昔はカツオをつまんで振り回していたという武勇伝を持つ鳥羽さんですが…。

鳥羽「だから過信しちゃってたの。それでえらい目にあっちゃった」
 

コロナが明けたらディナーショー

小堀「聖火ランナーもされたから足も鍛えてるでしょ?」

鳥羽「足はね、四股踏んでるんですよ。結構きついの」

じわーっと上げて、ドンと下ろす。これを右左の足でそれぞれ60回ずつ。毎日120回。これもやり過ぎな気がしないでもないですが。

鳥羽「やってるとね、すっと汗が出てくる。だから腰から下は結構丈夫。でもあんまり四股は踏まない方がいい」

なぜかオススメしない鳥羽さん。

小堀「少しずつやる。何でも少しずつです」

身体を鍛えている鳥羽さん、豪華ディナーショーを考えているそうです。

小堀「鳥羽さんのことだから、昔みたいにマグロの解体ショーをやって振舞うとか?」

鳥羽「全然違います。フランス料理。それも超高級に」

小堀「豪華ディナーショー、僕もお金を貯めておきます」

みなさんも、鳥羽一郎さんの超高級フランス料理豪華ディナーショーのためにお金を貯めておきましょう。
(尾関)
 
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
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2022年01月16日10時29分~抜粋

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