小堀勝啓の新栄トークジャンボリー

チーマーから火付盗賊改役長官へ。実際の鬼平ってどんな人?

11月28日、歌舞伎俳優で人間国宝の二代目 中村吉右衛門さんが心不全で亡くなりました。

12月5日『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』では中村さんを偲んで、彼の当たり役だったドラマ『鬼平犯科帳』の「鬼平」こと長谷川宣以(平蔵)について深掘りしました。
実在した「鬼平」とは一体どんな人物だったのでしょうか?

[この番組の画像一覧を見る]

鬼平はいつの人?

「いつの世にも悪は絶えない。その頃、徳川幕府は火付盗賊改方という特別警察を設けていた」と『鬼平犯科帳』のオープニングの真似をする小堀。

小堀「もう、このオープニングだけでワクワクします」

鬼平が生きた時代。オープニングのナレーションで言う「その頃、徳川幕府は」とはいつのこと?まずは時代背景から。

鬼平こと長谷川宣以(のぶため)、通称長谷川平蔵が生きたのは延享2年(1745年)から寛政7年(1795年)です。

お父さんの宣雄は400石取りの旗本。火付盗賊改役から京都の西町奉行の役に就きます。
この時、宣以も京都へ同行しますが、宣雄が亡くなり、宣以は江戸に戻って家督を継ぎました。
通称は父と同じ「平蔵」を名乗りました。
 

チーマーな平蔵

若い頃は滅茶苦茶な人だったという宣以。
ドラマの中で「銕ちゃん(てっちゃん)」「本所の銕(てつ)」と呼ばれていましたが、幼名が銕三郎だったのがその由来。

小堀「いわゆるチーマーみたいな人だったんですよ。いろんな悪いのを組織して滅茶苦茶なことをしまくったらしいですわ」

チーマーとは昭和の終わりから平成初期にかけて主に渋谷でたむろしていた不良集団。一般人から暴走族まで喧嘩を売ったり、犯罪は何でもありの反社会的集団でした。

チーマー生活が改まったのは、父の死後、家督を継いで、旗本として江戸城へ上がるようになったからです。
 

対照的な上司

この時代、享保の頃は、日本史でお馴染みの田沼意次の時代です。田沼は賄賂政治で知られた人です。
将軍の跡継ぎの警護役などを経た長谷川平蔵が仰せつかったのが、田沼意次の贈り物の整理係。

しかし、田沼意次が失脚し、代わって登場したのが寛政の改革で知られる松平定信。
田沼意次と対照的に杓子定規な性格でしたが、平蔵を火付盗賊改の長官に登用します。
 

荒れる江戸市中

無法者が火事は起こすわ、火事に乗じて盗みを働くわと、当時の江戸は無法地帯でした。

平蔵は、時には裁判をせず、捕り物中の乱闘の中で相手を斬り殺してもいいという強権を発動していました。

小堀「ドラマの中でも斬り殺してますよね。これ、ええんか?と思いますが、本当にそうだったようです」
 

厳しいだけじゃない

平蔵は厳しいだけではなくて、犯罪の根底には貧しさがあると見て、犯罪者の厚生施設を設けました。それが忍足寄場、今で言う職業訓練施設みたいなところです。

最初に松平定信に提案したのですが、倹約家でケチで知られた人で拒絶されました。
そこで平蔵は、なけなし自分の給金を出資します。
旗本が禄高として幕府から貰うお金、つまり公金を金相場につぎ込み、その儲けで忍足寄場を作ったのです。

これは違法行為だと松平定信に報告されますが、定信は「あれぐらいの男でなければ火付盗賊改役はできない」と手腕は買っていたようです。
 

今で言う過労死

とは言え、お堅い松平定信。田沼時代の置き土産の感もある平蔵を嫌っていたようです。

ここからがまた平蔵の不幸です。普通は激務の火付盗賊改役を2年ぐらいやると、もっと上の方の花形である江戸町奉行に栄転というコースでした。
ドラマでいうと『大岡越前』とか『遠山の金さん』にあたります。

しかし平蔵は栄転することなく8年間も火付盗賊改役を務め、ついに身体を壊してしまいお役御免を届け出ます。
届け出て3か月後に死去。どれだけ激務だったかがわかります。

小堀「ドラマの中で、妻の久栄が内助の功で、『そのように根を詰めてお仕事ばかりでは疲れ死にしてしまいますよ』と言ってました。そういう言葉が昔はあったんだ。今で言う過労死ですわ」

実際の長谷川平蔵のエピソードを頭に入れ、中村吉右衛門さんの名演を再確認してみてはいかがでしょうか? 
(尾関)
 
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
この記事をで聴く

2021年12月05日11時03分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報