小堀勝啓の新栄トークジャンボリー

昭和の名作曲家・古関裕而のバラエティに富んだヒット曲

6月14日『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』は、NHK連続テレビ小説『エール』のモデルとなった名作曲家の古関裕而さんが書いたヒット曲について、クラシック音楽の伝道師ツーさんこと都築義高さんが語りました。
小堀勝啓も懐かしそうに話に加わります。

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最初のヒット曲「船頭可愛や」

小堀「いわゆるお座敷ソングのように、“あ~ヨヨイのヨイ”とは違いますね」
都築「メロディーラインが素晴らしいんですよ。淡く美しいメロディーラインで、これが古関裕而のヒットメロディー。一番の整合作ですねえ」

古関裕而さんの最初のヒット曲が昭和10年に作曲した「船頭可愛や」。歌ったのは音丸。この曲の大ヒットによって作曲家としての地位を固めました。

日本調の歌謡小唄が全盛だった当時、クラシック調で書かれています。古関裕而さんはもともとクラシック音楽を目指していました。
クラシック調を意識して作曲したら、他にはない品のある美しい旋律が書けたんだそうです。
 

「船頭可愛や」はアリア

「船頭可愛や」を気に入ったのが「蝶々夫人」を歌って有名だった三浦環。ヨーロッパで活躍したプリマドンナです。昭和14年、三浦環が55歳の時に吹き込みました。

都築「格調高くて、サビのところが非常に歌いやすくドラマティックにできてる。そこを三浦環が気に入って吹き込んだんですね」

小堀「ツーさんの耳から聴いても、芸者調で歌う人と、オペラの歌手では違うテイストになってますか?」
都築「やっぱり曲に真正面から取り組んでいる。彼女にとってはオペラアリアという感じだったんでしょうね」

アリアとはオペラの中の抒情的な旋律の独唱曲をいいます。三浦環の「船頭可愛や」には、曲に対するリスペクトがあると言う都築さんです。
 

別れが日常だった時代のヒット曲

次に都築さんが取り上げたのは昭和23年、菊田一夫の作詞で、古関裕而が作曲した「フランチェスカの鐘」。ブルース調で別れの歌です。

「失うことと別れは日常的だった当時の人々の心に染みたんですね」と都築さん。昭和23年は、まだまだ戦争の傷が生々しく残る時代でした。

「フランチェスカの鐘」は、昭和27年に菊池一夫が書いてヒットさせる「君の名は」と同じドラマ仕立て。勘違いが男女を引き裂くという内容です。「流石、菊田一夫。ドラマチックな歌ですわ」と感心する都築さんです。
 

のど自慢の定番

女性歌手のヒット曲が続きましたが古関裕而さんは男性歌手に多数の曲を書いています。昭和26年、やはり菊田一夫の詞に曲を付けた「イヨマンテの夜」が有名です。歌謡曲史上類を見ない歌曲的な流行歌です。

都築「伊藤久男の豪快な本格的な歌いっぷりがすごいですね。当時の、のど自慢大会の定番曲です」
小堀「ちょっと歌に自信のある人は朗々と歌い上げたいんですが…」

素人参加で鐘で審査する『NHKのど自慢』は長寿番組。上手い人は1コーラス歌わせてもらえて鐘が盛大に鳴りますが、下手な人は鐘一つ鳴ってそこまで。

前奏がなくて、いきなり「アーホイヤー」と始まるこの曲は、聴く分には気持ちよさそうですが、歌ってみるとなかなか歌えません。伊藤久男はクラシックを勉強していたそうで、素人が挑戦すると悲しい結果に…。

小堀「これは小さい時に、よくのど自慢で見ました。アーホイヤーって歌い出したらカーンってすぐ鐘が鳴っちゃうって、よくありました」
都築「なかなか難しい歌ですよね」

歌い出してカーン、までがのど自慢の定番でした。
 

古関裕而の神髄

古関裕而さんの作ったヒット曲、最後は昭和29年に作詞者の丘灯至夫とのコンビに寄る乗り物歌謡の代表作「高原列車は行く」。
これは明るくて、情景が浮かぶような曲です。団塊以上の世代でこの曲を知らない人はいないというくらいのヒット曲だそうです。

都築「国民的な快挙ですわ。洒落た歌詞でねえ」
小堀「汽車の窓からハンケチ振ればってね」

作詞の丘灯至夫は「高校3年生」を書いた人。

都築「これなんか、当時、僕たちはワクワクして歌いましたね」

「『高原列車は行く』は明るくて軽快で、心が躍る名曲なんですね。これが古関裕而作品の神髄ですね」
(尾関)
 
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
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2020年06月14日08時07分~抜粋

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