「小堀勝啓と都築義高のツーカークラシック」ではクラシック音楽の伝道師ツーさんことオペラ研究家の都築義高さんがフランツ・リストの恋について語りました。
乱れた世界に唖然とした小堀も最後は納得。
5月3日放送『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』から。
超絶技巧の秘密は指の長さ?
フランツ・リストは1811年にハンガリー生まれ、1886年に亡くなっています。シューマン、ショパンと同時期のロマン派です。
当時、世界最高のピアニストでもあり、豪快で超人的な技巧は人々を驚かせました。彼の作曲した練習曲に付けられた「超絶技巧」は、彼の代名詞ともなっています。
石膏でリスト本人の手型にとったものがあるそうです。その指の付け根から指先までを測ると、人差し指が11センチ。中指は12センチ。
都築「僕の指を測って見ました。人差し指が8センチで 中指が9センチなんで、普通の人より一関節分長いという事かな。そりゃあ弾けますわ」
ちなみに非常に手の小さい小堀は、人差し指7センチで中指8センチでした。
フェロモン系
都築「またこれが長身の美男子で、情熱的な演奏ですごいの。出てくるとね、白い手袋してる。脱いでパッと放る。すると貴婦人がキャーと失神する」
いやらしい演出です。さらに演奏の途中でハンカチで汗を拭き、それをパッと投げると、みんながキャー。
小堀「エルビス・プレスリー、矢沢永吉、トム・ジョーンズ、純烈…」
都築「そういうのの走りです」
リストはフェロモン系アーティストだったんですね。
愛がエネルギー
都築「フランツ・リストは伯爵夫人と不倫、駆け落ちするという衝撃的な愛にひた走った人」
小堀「恋と言ってもそっちの方ですか」
都築「不倫系ですねえ」
小堀「あららら」
リストの芸術活動のエネルギーの源は、マリー・ダグー伯爵夫人とカロリーネ・ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人という二人の女性への愛でした。
二人とも貴族の婦人。美貌であるとともに才子に優れていました。
当時は不倫するにも才能が必要な時代。
マリー・ダグ―伯爵夫人は作家でジャーナリスト。カロリーネ・ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人は文学、哲学を研究していました。
出世の近道はサロン
この時代のパリはサロン文化真っ盛り。上流社会の婦人が主催者するサロンに出入りすることが、芸術家にとっての出世の糸口だったそうです。
『レ・ミゼラブル』を書いたビクトル・ユゴー、『三銃士』のアレクサンドル・デュマなどの作家や詩人もサロンに出入りしていました。
1833年、このサロンでエクトル・ベルリオーズがリストにマリー・ダグー伯爵夫人を紹介しました。
都築「このマリー伯爵夫人は、パリで最大の人気者だったの。で、6歳年下のリストを愛人にするんだよ」
小堀「あら~」
都築「二人はスイスへ駆け落ちするんだよ、これ」
小堀「めちゃくちゃですね」
マリーとの恋
当時のパリの貴族は、その多くが男も女も結婚後の恋愛を楽しんだそうです。
当然、上流社会の恋愛の多くは不倫。妻は年下の男性を、夫は高級娼婦などを愛人にしたんだとか。
都築「リストはマリー・ダグー夫人と一緒にスイスへ逃避行するんだけど、飽きる」
小堀「あらららら」
愛の逃避行をしたリストですが、音楽への欲求は抑えられず、演奏するために、多くの賛美者と女性の群がるサロンのステージに。
結局、マリーとは別れることになりますが、二人の間には1男2女が生まれて、その一人が後にワグナーの妻になりました。
カロリーネとの恋
マリーとの破局後の1847年、リストは演奏旅行先のロシアのキエフでカロリーネ・ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と会います。
この女性は夫がある身でありながら真剣にリストを愛しました。
全財産を手放してまで、夫ニコラウスとの離婚を決意。そしてリストと結婚しようとしましたが、リストを嫌ったヴィトゲンシュタイン侯爵家がこれを阻止。
結局、結婚は諦めることになります。
これを期に二人の熱は急速に冷めていきましたが、二人の間には生涯手紙のやり取りがあったそうです。
ちなみにカロリーネはリストが亡くなって6ヶ月後にローマで亡くなりました。
納得して聞ける
都築「でも、やっぱりこの二人の女性は偉いですよ。常にリストにインスピレーションを与えて、リストはそのために、たくさん作品を書けた。芸術の源は愛にあったんです」
ここでリストがカロリーネへの愛の夢を描いたと言われている曲「愛の夢 第3番」を聴きました。
都築「いかに二人の女性がリストに愛を捧げたか。リストはそれをちゃんと受け止めて、こういう曲を書いたんだよな」
小堀「なるほどな。ただの不倫でないってことがわかりました」
(尾関)
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
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2020年05月03日08時07分~抜粋