小堀勝啓の新栄トークジャンボリー

GS時代、ホテルの部屋で、かまやつひろしが画用紙に象を描いた理由

1月12日『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』は、1月12日は2年前に亡くなったかまやつひろしさんの誕生日。この日はかまやつひろしトリビュートとして、小堀勝啓がかまやつひろしさんについて語りました。

[この番組の画像一覧を見る]

なぜかヒットしない

アメリカンポップスの日本語カバーがヒットチャートを賑わせていた時代。
かまやつさんは、カントリー&ウェスタンのバンドボーイをやりながらギターを弾いていたそうです。
お父さんはジャズシンガーのティーブ・釜萢さん。ティーブさんの依頼によりバンドで歌モノをやる時はかまやつさんが歌っていたんだとか。

時はもうカントリー&ウエスタンからロカビリーの時代へ。
「月影のナポリ」(1960年)や「G.I.ブルース」(1960年)などのアメリカンポップスを多数歌いますが、なぜかかまやつさんが歌うと見事にヒットしませんでした。

変な歌を歌う人

小堀「僕がこどもの時は、映画が黄金時代でした。日活映画とかにチョイ役で、かまやつさんが出てました。ジャズ喫茶のシーンなんかで歌う三枚目っぽい役で、そんな時は、変な曲を歌ってましたよ」

その頃かまやつさんが歌っていた「変な曲」とは、「チョイチョイ節」(1961年)「江戸っ子風来坊」(1961年)「ズンドコ人生」(1961年)「裏町上等兵」(1961年)など。

「なんでこの人は、こんな歌を歌うんだろう?と思ったりしていた、そんな時代がありました」と続けます。
当時は後のポップスターとしての片鱗はうかがえなかったようです。

トレンドに乗っていく

小堀「ロカビリー時代の大スターが日本にもたくさん登場しました。ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さん、飯田久彦さん、平尾昌晃さんなど。
作曲家になった平尾昌晃さんは特例として、大体がロカビリーとともに終わるんですよね」

かまやつさんはちょっと違って、トレンドのミュージックシーンに乗っていきました。
ロカビリー時代が終わると、ビートルズ旋風があってバンドブームがやって来ました。日本には数多のグループサウンズが生まれました。

かまやつさんは、ザ・スパイダースに参加。バンドの一つの顔として、ヒット曲を書いていきます。
そんな中で、未だにカバーされ歌い継がれているのが「バン・バン・バン」(1967年)です。かまやつさんの凄さは曲だけではありません。

小堀「かまやつさんって、モンキーダンスみたいなちょっとした踊り、ギターを弾きながらのちょっとした振りを取り入れたり。ファッションを含めたビジュアル面のプロデュース力が抜きん出た人だったんだろうなと思うんですよね」

音楽のDNA

小堀「後のアーティストがムッシュトリビュートみたいなアルバムを出す時は、その時々のミュージシャンと一緒に演ったり。今井美樹さんとか森山良子さんなどの女性歌手と一緒にカバーしてみたり、いろんなアプローチを試みる人でしたね」

森山良子さんはかまやつさんは母方のいとこ。ですから森山直太朗さんは、いとこの子供に当たるわけです。

ちなみにかまやつさんの息子であるTAROかまやつさんは、フジテレビの社員でしたが、その時から音楽活動をしていて、現在ではプロとして独立。
ティーブさんから三代に渡るミュージシャン家系なのです。

原点回帰

小堀「さすがのGS(グループサウンズ)ブームもだんだん下火になってきます。ロカビリー、グループサウンズという二つの時代をスターとして生きたかまやつさんも、ついに、ここで終わるか?と思ったら原点回帰です」

ザ・タイガースの岸部修三(現、岸部一徳)さん、岸部シローさんの兄弟ユニット、サリー&シローのために書いたのが、カントリー&ウエスタン調の「どうにかなるさ」(1970年)でした。

グループサウンズが終わり、フォークからフォークロック、そしてニューミュージックへと、現在のJ-POPの萌芽とも言える時代。
この「どうにかなるさ」に感銘を受けて、かまやつさんに声をかけたのが、フォーク時代の大スターだった吉田拓郎(当時の芸名は、よしだたくろう)さん。

小堀「かまやつさんの凄いところは、後から来た世代が一緒にやりたがるとこ。しかも大御所になったからといって、座って顎で指図するんじゃなくて、一緒にやってしまうんです。すごいもんだなあと思います」

かまやつさんが吉田拓郎さんと一緒にやったのが「シンシア」(1974年)。
写真家の篠山紀信夫人、南沙織さんの相性がシンシア。吉田拓郎さんがシンシアのファンだったそうです。

照れながら歌う

吉田拓郎さんが自分の世界をムッシュにぶつけてきたのが、バンカラな青春時代へのオマージュでもある「我が良き友よ」(1975年)。
この曲は歌謡曲として大ヒットしました。当時のかまやつさんのステージを見た小堀がこんなエピソードを…。

小堀「今までのかまやつファン以外の人たちもいっぱい来てたんですけど、『我が良き友よ』はやらずに…最後まで歌わないんだなと思ったら、アンコールで、これを出してきたんです」

今までは、ギターとバンドでやっていたのが、「我が良き友よ」はカラオケで歌ったそうです。

小堀「お馴染みのイントロがかかると一人で出てきて、ムッシュがめちゃくちゃ照れ臭そうで可愛いんですよ。歌謡曲テイストの中で歌う自分を半分楽しんでる部分もあって。古くからのファンもすごく愛情をもって、一緒に歌ったのを思い出します」

かまやつひろし伝説

小堀「かまやつさんとは特番で、長い時間ご一緒したことがあるんです。ダジャレも好きで、古き良きミュージシャンの匂いも持っていて、新しいところもいっぱいあって…」

かまやつさんは1989年2月、ベルリンの壁がまだ存在している時に、壁の上に乗ってギターを弾きながら「バン・バン・バン」を歌ったことがありました。その様子はテレビ番組で放送されました。ちなみに壁の崩壊は11月。

小堀「あれ、カッコよかったですよねと言ったら、『無茶苦茶、冷や汗出て、本当にバンバンバンと撃たれるんじゃないかって、ドキドキ感があったよ』と話してくれました」。さらに、「これは忘れてもらっていいですけど…」

スパイダースのツアーでは、あまりの人気でホテルに入ると外に出られなかったそうです。かといってやることもなく退屈。

小堀「大変だったでしょ?と聞くと、『画用紙買ってきてもらって、メンバーみんなで象の絵を描いて鼻のところをくり抜いて』…そこまで言うと、自分でプッと吹きだしちゃった。
後は言わなくてもわかりますよね。そういうお茶目なところもある人だったんですよね」

卓越したセンスとおちゃめの塊、かまやつひろしトリビュートでした。
(尾関)
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
この記事をで聴く

2020年01月12日08時21分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報