小堀勝啓の新栄トークジャンボリー

悪魔が発明した楽器を悪魔以上に操るバンドネオンの貴公子、小松亮太

デビュー20周年を迎えたバンドネオン奏者の小松亮太さんが、7月22日放送の『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。

20周年を記念した数々のアルバムのリリースやツアーに多忙な小松さんですが、今回のインタビューでは、タンゴの神様・ピアソラの話題や、バンドネオンを始めた当時の話まで原点に立ち返った話題が中心となりました。

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悪魔が発明した楽器

バンドネオンは「悪魔が発明した楽器」と言われるそうです。

小松「誰が言ってんのかって考えた時に、たぶんバンドネオンの人が自分で言ってますね。そう言うと自分が偉く見えるかな、みたいな」
小堀「だけど、あらゆる世の中の楽器のセオリーと別のものですもんね」

バンドネオンはアコーディオンの蛇腹の両方がボタンになったような楽器。

「これが伸び縮みのノイズです。僕がスーハーいってるわけじゃないです」と言いながらバンドネオンを操作する小松さん。

小堀「ラジオを聴いてる皆さんは人間が息してると思うでしょうが、これが悪魔の息遣い」

しかも小松さんのバンドネオンは螺鈿細工(らでんざいく)で装飾が凄いのです。楽器でもあり、民芸品のようでもあり。

小松「ワシントン条約前だし、1930年代ぐらいだからアールヌーボー的に美術品もレベルが高かったんです」

アールヌーボーとは19世紀末から20世紀にかけて流行した美術運動で、自然の有機的なフォルムと自由な曲線などを組み合わせたり、当時開発された先端の素材を取り入れて既成概念に囚われないのが特徴です。

アルゼンチンタンゴの夜明けぜよ

1998年の7月1日にCDデビューした小松亮太さん。期せずして、今年はアルゼンチンと日本が国交を樹立して120周年。アルゼンチンには何かと縁があるようです。

「ちなみにマラドーナさんは僕と同じ誕生日なんです。10月30日です」と言う小松さんに、「ほら、神の子だもん。神の子と悪魔の楽器の男ですから」とノセる小堀。

デビュー20周年を記念して数々のアルバムがリリースされますが、今回紹介したのは『小松ジャパン~ザ・グレイテスト・ヒッツ』と『ピアソラ:ブエノスアイレスの四季 他 with イ・ムジチ合奏団』の2枚。『小松ジャパン』のジャケットは紋付き羽織袴です。

「坂本龍馬を意識して、赤いブーツを履いてて、紋付袴で、バンドネオンを持っています」

こちらのアルバムは小松さんのオールタイムベストです。

ピアソラの四季

もう一枚が世界的にも有名なイタリアの室内楽団、イ・ムジチ合奏団との演奏ですが、こんなエピソードがありました。

スケジュールを見ると「イ・ムジチ」と二日分書いてあったそうで、てっきりイ・ムジチ合奏団の招待券が貰えるものと思っていた小松さん。
スタッフに催促したところ「ゲストに出るんだ」と言われてびっくりしたそうです。

「イ・ムジチっていったら、ヴィヴァルディの四季で泣く子も黙るオーケストラですよ」

そのイ・ムジチとバンドネオンの神様、アストル・ピアソラが作った「ブエノスアイレスの四季」で共演しました。

「ピアソラは最初、『夏』を一曲目に作ったんですよ」と解説する小松さん。
外国からの飛行機での帰り、あるバレエの音楽を依頼されていたのを思い出したピアソラが、急いで書いたのがまず「夏』でした。

「夏」がうまくいったので、じゃあ「冬」も「秋」もと増やしていって、ヴィヴァルディは春夏秋冬書いてるから、俺も書いてみるか、と「春」も書きますが。

「ピアソラは、自分では『春』だけは気に入らなかったらしくて、その後まったく演奏してないんです。春以外の3曲は生涯やってましたね」

ピアソラが作った四季の4曲が、一枚の盤に入るということは、なかなかレアなようです。

「ピアソラ自身も一回しかレコーディングしてないです。この中の『冬』は、(フィギュアスケートの)高橋大輔選手が、一時期これで滑ってらっしゃったんで、割と知られています」

中古でバンドネオンを買う時の注意

小松さんのようなバンドネオン奏者に憧れてやってみようと考える人は決して少なくありません。しかし…

「僕がアマチュアの人によく言ってんのが、一人で買いに行くはやめなさいってことです」

当たり前ですが、初心者は試し弾きができません。ちょっとでも弾ける人について行ってもらって、試しに弾いてもらって、壊れてないか確認して買うように勧めているそうです。それにはこんなエピソードがありました。

「90年代、バンドネオンを習いに来た人が持っていたのを、ちょっと触らせてくれる?って僕が思いっきり音出してみたら、いきなりボタンがピョーンと飛んだんですよ。バンドネオンにもいろいろ個体差があるわけで、そこの判断基準がわかんないうちに、いきなり買うのは止めた方がいいです」

バンドネオンのお値段は?

実はバンドネオンを売る方もあまりわかってなくて、カビが生えた状態のままで売っていることもあるようです。

「でも、バンドネオンって、結構安くて、バイオリンなんて例えば弓だけで400万円とか、どんどん値段上がって、何億円とかある。だけど、あれは要するに、バイオリンが弾ける人が世界中にいるから値段が上がるんですよね」

バンドネオンの場合はプレイヤーがまだ少なすぎて、取り合いがそれほど起きないんだそうです。需要と供給のバランスで値段が決まるのでバンドネオンは安いということです。

「象牙まで使ってるのに、ふっかけられても100万なんて聞いたことないですね。だからお値段と、この楽器の希少性のイメージが釣り合わないっていうか」

何となく楽器に失礼な話ですね。

バンドネオン奏者不在

「僕の父親がタンゴのギタリスト。母親がタンゴのピアニストで、昔、昭和30年代から活躍してたオルケスタ・ティピカ東京っていうタンゴのオーケストラがあって、そこの一番最後の代のピアニストか僕の母親なんですよ」

小松さんの両親は、80年代、バンドネオン奏者がいなさすぎて、仕事がやりにくくてしょうがなかったそうです。当時、バンドネオン奏者は日本で5人ぐらいな状況。そこへ、あるアコーディオンの人が、バンドネオンをやってみたいと来たそうです。

「うちの両親がかなり崖っぷちだったらしく、不用意にもですね、いきなりバンドネオンを、来日中のプレイヤーから買っちゃって」

その来日中のプレイヤーも80年代は祖国アルゼンチンの国情が悪く、現金が欲しかったようで、ツアー最終日に弾いていたバンドネオンを売ってくれたそうです。

バンドネオンとの最初の出会い

「当時、凄く良い楽器を40万ぐらいで手放しちゃって、家の両親がそれを持ってきて、そのアコーディオンの人に、じゃあ弾いてごらんって渡したんですよ。膝の上でいろんなボタンを触ってみた挙句、ごめんなさいキャンセルさせてくださいって」

アコーディオン奏者からすると、何か関連性があって弾けると思ったようです。例えば、ラーメンが作れるんだから、パスタも作れるだろうという考えです。
ところが手も足も出ずに諦めてしまったわけです。さすが悪魔が発明した楽器。

それで余っちゃった楽器を小松さんが使うことになりました。

「当時は教則本もなかったし、アルゼンチンととにかく連絡が取れないことが困りましたね。今はFacebookのメッセンジャーで、どこの国の人でも無料で連絡できるけど、ファックスを一枚したら4,000円とか。そういう感じでした。

だから、ある一曲を勉強するために3年かかったり、ある一曲を聴くために4年かかったり。かえって、それで音楽をやるモチベーションが高まったんですけどね」

DNA

バンドネオン奏者となった小松さん、両親のDNAもあり、そういう運命もあったようです。DNAで言えば、小松さんの奥様はタンゴのヴァイオリニスト。
なんと、お子さんもギターをやってるそうです。

「タンゴには全然興味なくて、80年代のフュージョンとかを一生懸命やってます。角松敏生さんのコピーとか一生懸命やってて。
うちは三人兄弟で、真ん中だけ女の子。一番上と一番下がギターをやってて、僕の父親がギタリストですから、フェンダーのギターアンプ、今、買うとプレミアが付いて25万円ぐらいのやつをもらって、それで練習してるの」

「ファミリーバンド的なこととか、セッションとかもあるかもしれない」と言う小堀勝啓に、「将来的にはあるかもしれませんけどね、どうもタンゴは全く興味ないみたいなんですよ」と言いつつも嬉しそうな小松亮太さんでした。

12月4日、火曜日は名古屋ブルーノートでデビュー20周年記念コンサートがあります。
日本は寒い時期ですが、反対側のアルゼンチンは真夏です。その情熱も感じ取ってもらいたいです。
(尾関)
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
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2018年07月22日08時18分~抜粋

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