5月27日は第85回日本ダービーが開催されました。
それにちなんで『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』で紹介したのは、内藤洋子さんが1967(昭和42)年リリースした「白馬のルンナ」。
実はダービー翌日の28日は、内藤洋子さんの68歳のバースデーでもあったのです。
51年前に発売された"萌え曲"の元祖?
この「白馬のルンナ」は、内藤洋子さん自身も出演した映画『その人は昔』(松山善三監督・東京映画)の挿入歌として製作されました。シングルとしてリリースされると、なんと50万枚の大ヒットになりました。
歌詞の内容はルンナという白い馬に話しかける、非常にメルヘンな作風。作詞は監督である松山善三さんが手掛けています。
決して歌い上げるタイプではありませんが、内藤さんの可愛らしさで成立している楽曲と言えます。
「今で言うところの"萌える"曲でございます」と小堀。
黒澤明の『赤ひげ』で銀幕デビュー
この内藤洋子さんは、ある世代にとって強烈な印象を残しています。
この「白馬のルンナ」で人気絶頂となり、それからわずか3年で引退してしまったのです。
そのプロフィールについて触れましょう。
内藤さんは、小学校の時に彼女の通う学校に、エースコックのCM撮影クルーが来たことをきっかけに、雑誌『りぼん』のモデルとしてスカウトされ、中学在学中に黒澤明監督の映画『赤ひげ』(1965年)で女優デビューします。この時、内藤さんは15歳です。
三船敏郎さん演じる赤ひげを慕う若い医師、保本登を演じたのが加山雄三さん。その保本の許嫁を演じたのが内藤洋子さんでした。
黒澤監督は、最後まで配役を酒井和歌子さんとで迷っていたそうです。
その翌年に三浦綾子原作のテレビドラマ『氷点』(1966年・現テレビ朝日)に実質的な主演として出演し人気が沸騰。
青春映画や大作に次々と出演し、「白馬のルンナ」を経てアイドル的な人気を得ます。
夫は世界的ミュージシャン
そして内藤さんの芸能キャリアは突然終了します。
1970年(昭和45年)、20歳の内藤洋子さんは作曲家の喜多嶋修さんと結婚し、芸能界を引退したのです。その活動はわずか5年でした。
ご主人の喜多嶋修さんは、加山雄三さんの従弟で「真冬の帰り道」が大ヒットしたザ・ランチャーズというGS(グループサウンズ)のメンバーです。
この「真冬の帰り道」の作曲を手掛けたのも喜多嶋さんでした。
「当時は、何で、そんなグループサウンズの男といっしょになったの?というイメージがあったんです。でも、喜多嶋修さんはロサンゼルス在住で、ずっとミュージシャンとして活躍して、今では大変な地位を築いた人なので、ああ良い結婚をされたのかなと思います」
こう語る小堀勝啓、実は内藤さんと同い歳です。
内藤洋子の陰に加山雄三あり
喜多嶋修さんについて小堀の言う「大変な地位を築いた」とはどういうことかと調べてみました。
喜多嶋修さんは、内藤洋子さんとロサンゼルスに移住した後は、グローバルな音楽活動を展開して、現在まで20を超えるリーダーアルバムを発表しています。
1979年発表の『竜王』は全米・ジャズ・チャート25位にランクイン。1984年『Face To Face』はLAジャズ・チャート第1位。1988年『California Roll』はビルボード誌ニューエイジ・チャート25位まで上がり、1980年代後半から出始めたミューエイジ、ヒーリングミュージック界に喜多嶋修さんの名前が知られるようになっていきます。
ちなみに元女優の喜多嶋舞さんはおふたりの長女です。
結婚当時は、不安視されたそうですが、内藤洋子さんの目に狂いなしでした。
それにしても、映画デビュー作といい、ご主人のと血縁関係といい、加山雄三さんがその時々に関係しているのが不思議です。
(尾関)
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
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2018年05月27日11時02分~抜粋