3月25日『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』「都築義高のツーカークラシック」のコーナーでは都築義高さんが「蛍の光」の謎を解き明かしました。
卒業式で歌われるあの「蛍の光」と、お店の閉店に流れる曲は実は別の曲、という都築さんの講義に小堀勝啓も納得です。
知ってた?卒業式は「蛍の光」、閉店で流れるのは「蛍の光」じゃない?
酒を酌み交わして歌う歌
「『蛍の光』は卒業式はもちろんですが、デパートやパチンコ屋さんが閉店する時のお別れの定番の曲ですよね」と小堀勝啓。
「原曲は『オールド・ラング・サイン』というスコットランドの古い民謡です。スコットランドの詩人ロバート・バーンズという人が、老人から教えられた古い歌詞を書き改めて作った曲です」と都築義高さん。
原曲「オールド・ラング・サイン(Auld lang syne)」は日本語に訳すと「遥かな遠い昔」となります。古き良き絆的なことです。歌詞の意味は、酒を酌み交わして旧友との友情を確認する内容です。
歌詞も"old"ではなくて"auld"。"long"も"lang"。イギリスの古語です。
歌とハープによる当時の曲を再現した「オールド・ラング・サイン」を聞いてみました。「古典的というか古雅な感じがします」と小堀。
徳育唱歌として取り入れる
「歌詞は『蛍の光』じゃないみたいですよね。今もこの『オールド・ロング・サイン』を向こうの人が歌う時には、みんなが握手して肩を組み合って歌うんです。そういう飲み会の終わりとか、親しき仲間が集まった時に、最後に歌われる歌なんです」
この曲が、明治15年(1882年)に日本に入って来て、小学唱歌集第20番の唱歌「蛍の光」として紹介されました。この年の7月に、東京女子師範学校の卒業式で初めて歌われました。
実際に、当時を再現した琴と胡弓による歌を聞いてみました。
「当時の、明治時代の東京女子師範学校の雰囲気がよく出ておりますね」と都築さん。
先ほどの古いスコットランドの演奏とは打って変わって、高級料亭で流しても似合いそうな完全に和風になっています。
明治23年(1890年)頃から、卒業生が「仰げば尊し」を歌って、在校生または全員が「蛍の光」を歌うことが定着したそうです。
当時、道徳教育の一環で、徳育唱歌として「蛍の光」を取り入れたそうです。
「朋友の交誼、友達との交わりを深くすることを教えんがためにこの曲を入れたんです。偉いですねえ、これ、作った人は」と感心する都築さん。
歌詞は違えど原曲の「オールド・ロング・サイン」と同じ意味。「オールド・ロング・サイン」と「蛍の光」は、実は底流できちっと意味が繋がっているんですね。
今は歌われない歌詞
昭和7年(1932年)、桜田小学校児童による「蛍の光」を聞いてみると、今は歌われていない3番4番の歌詞がありました。内容は、千島列島から沖縄まで団結して国を守ろうというもの。
「真義を厚くして、国家のために力を尽くすことを誓う歌。日本国の防衛域の歌を歌ってるんですね」
満州事変が1931年(昭和6年)ですから、日本は当時のソ連と満州で睨み合っている時代です。戦前の愛国教育の歌詞なので、3番4番は今では歌われなくなったわけです。
「別れのワルツ」
「このように『蛍の光』は日本中に浸透したわけですけども、1949年『哀愁』という映画が封切られたんですね。原題は『Waterloo Bridge』。ロバート・テイラーが演じる大尉とヴィヴィアン・リーの演じるバレーの踊り子の悲恋物語です」
ヴィヴィアン・リーといえば1939年の映画『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラ役でアカデミー主演女優賞を受賞しています。ロバート・テイラーはちょっと甘いマスクの二枚目俳優。
この二人がウォータールーブリッヂの上で出会いますが、やがて大尉は戦争に行くことになり別れなければなりません。
とあるクラブでキャンドルの灯りの中、ダンスを踊る時に流れるのが「別れのワルツ」という曲です。
「これが『オールド・ラング・サイン』から引き継いだ曲なんですね。でも蛍の光とは別物です。だんだんと別れになってくると、キャンドルがひとつずつ消えていくんです。その時に流れてくるのがこのメロディー。当時、この曲は大ヒットしたの」
それ以来、この「別れのワルツ」がデパートの閉店とか港でフェリーが出航する時に流れる「別れ」の定番曲になったそうです。
ユージン・コスマンって誰?
実際にユージン・コスマン楽団の「別れのワルツ」を聞いてみると、みなさんが「蛍の光」で知ってる、あの拍子の取り方と違います。「蛍の光」は四拍子。「別れのワルツ」はワルツだから三拍子です。
「ユージン・コスマンというのは当時の日本の作曲家、古関裕而なんです。古関裕而が楽団を作って、映画の音楽を採譜して演奏したもの。だから映画のサントラではないんです。これをコロムビアレコードから発売して大ヒットした。だから閉店とか港で流れてるのは全部、これです」
ユージン・コスマンがユージ・コセキ、あの「モスラの歌」の古関裕而からの変名、ということにもびっくりです。
原曲の「オールド・ラング・サイン」が一方では「蛍の光」になり、時が経って今度は「別れのワルツ」になりました。
別物としてできた曲ですが、「蛍の光」は卒業式、「別れのワルツ」は閉店の曲として、「別れ」が日本人の心情に訴えて、すっかり定着しています。
「これが蛍の光の謎なわけです」と都築さん。
ザ・ピーナッツの凄さ
最後にザ・ピーナッツが歌う「別れのワルツ」を聞きました。
「別れのワルツは元々インストゥルメンタルの音楽です。そこへザ・ピーナッツが『蛍の光』をワルツにのせて歌ってるわけ。だから日本人の発明っていうか、『別れのワルツ』と『蛍の光』を合体させたんです」と興奮気味の都築義高さん。
「日本人のいわゆる加工貿易の原点と言いましょうか。見事に謎の鍵がカチャっとはまりました」と小堀勝啓も納得でした。
「オールド・ラング・サイン」が「蛍の光」と「別れのワルツ」に分かれ、ザ・ピーナッツがまたそれを一つにする、まるでドラマみたいですね。
(尾関)
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