先週12月3日に引き続き、日本を代表する作曲家でプロデューサーでアレンジャーまで務める瀬尾一三さんが、10日放送の『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。
錚々たる重鎮の名前が次々と飛び出す秘話に、聞き手の小堀勝啓も大興奮です。
アレンジャー瀬尾一三の最終目標は「スタジオで死ぬこと」
風景を音にする
11月22日に2枚組『時代を創った名曲たち 瀬尾一三作品集 SUPER digest』をリリースした瀬尾さん。
山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」から、ももいろクローバーZ「泣いてもいいんだよ」まで、瀬尾さんが関わった曲は実に多種多様です。
「これを聞いて、僕がびっくりするのは瀬尾さんの楽器、楽曲に対する守備範囲の広さ。『岬めぐり』はとっても明るくて、波頭がキラキラしている景色が浮かびます」
と言う小堀勝啓に、瀬尾さんはこう答えます。
「海辺を走っているところの、その海の風景と、岸は牧草みたいな感じっていうイメージで書きました。何しろ牧歌的にやろうと思って」
前回も触れましたが、瀬尾さんはアレンジする時、頭の中で映像化、つまりその曲のPVを作るのだそうです。
その映像を音にしていくのが瀬尾流アレンジ術。
「アレンジする時も、自分の頭で考えた映像に合う楽器、それを表現できる楽器はどうするっていうのを、始めに考えますね」
アレンジの仕事に目覚める
元々、瀬尾さんは「愚」というフォークグループで音楽活動を始めました。
その時、すでに様々な楽器を使ってアレンジの仕事を始めようと思っていたんですか?
「まだ大学生でしたから、そこまで考えてなかったです。大学の途中で、社長に引き抜かれて、東京のアルファレコードというところに入っちゃったんですよ。そこで2年間ディレクターをやって、そこからアレンジャーというものになってみようと思ったんですね」
それは、どうしてですか?
「それまで、こういうアレンジという仕事をよくわかってなかったんです。僕の先輩のアレンジャー、服部克久さんだとか大野雄二さんとかに、僕の仕事や、僕の社長である村井邦彦っていう人の仕事を頼みに行って、隣で締め切りを待ってた時もあったんです」
それは、まるで小説家と編集者の関係で、出来上がるまで一晩付き合うこともあったそうです。
「みんな、僕と喋りながら、書いていってるんですよね。こうやって作る仕事もあるんだって、そこでアレンジの仕事が具体的に見えたんですよね。
それをスタジオに持って行って演奏した時に、あんなくだらないことを喋りながら、こんなカッコいいものを書くんだ、みたいな感じで。僕もできたら、こういう仕事してみたいなと思って、見よう見まねで始めました」
最初は譜面が書けなかった
瀬尾さんはアレンジの予算を削るため、という名目で自分でアレンジを始めたそうです。
最初は譜面が書けないから、口で説明するところから始まって、独学でどんどん自分で書くようになっていきました。
「何しろ本当に、見よう見まね。先輩方がやる実際の譜面を見ながら、出来たっていうことは、僕にとって良かったです。で、会社員を2年で辞めて、それでアレンジ一本でいこうと、無謀ですけども独立したんです」
すでに会社員の頃から、他のレコード会社からも頼まれていたという瀬尾さん。
「6時に終わって、その後から違う人のレコーディングをしていたので、会社に迷惑にならないように」
会社員の鏡です。
こんな経緯でももクロとも
瀬尾さんの幅広さが伺える最近の仕事は、ももいろクローバーZ「泣いてもいいんだよ」のアレンジ。
「これは作詞作曲が中島みゆきなので、ももクロのディレクターから依頼されました」
瀬尾さんと中島みゆきさんは、もう30年の長いお付き合い。楽曲だけでなくステージもプロデュースしています。
「(最初は)『いつも、ももクロをやっている方でいいんじゃないんですか』って言ったら、中島さんの色がもっと欲しいということだったんです。それからももクロのいろんなレコードを、え?凄いじゃんと思いながら聴いて。それで、僕なりのももクロを中島さんの曲を使ってやりました」
ももクロが普通に歌っているよりも曲が育った感じがする、という小堀。
「それは中島みゆきの作家としての能力が凄いんです。一人ずつ交互に歌う感じが、ちゃんと頭からできてて、途中からワーッとノッて倍テンのテンポになって、それから後はどんどんいく、みたいな。
ああいうのをちゃんと書いて来るので、彼女の作家としての能力は凄いですね」
ももクロファンも裏切らない、手堅い仕事ぶりです。
スタジオで死にたい
瀬尾さんは古希、つまり70歳ですが見事な健康体です。その理由は…
「現場の仕事がしたいためです。現場の仕事ってのは、やっぱり体力もいるし、精神力もいる。そのためには、ある程度の身体作りをしないと駄目だと思いました」
何年か前からお酒もやめて、ジムに通っているそうです。
「舞台の人が舞台で死にたいって言うように、僕もスタジオで死にたいっていう目標があるんです。迷惑ですよね、スタジオで死んだら(笑)」
「舞台で死ぬよりは迷惑じゃないと思う。スタジオで死ぬ分には後でニュースでみんな知るんで」
妙なフォローをする小堀です。
「でも、だったらいいな、ぐらいには思ってるので、だから身体だけは維持させとかなきゃダメだなと思ってます」
アレンジャーという仕事
瀬尾さんの数々仕事は、あらゆる年代の人たちに知られていますが、アレンジという仕事はなかなか理解されないそうです。
「アレンジや編曲をやってるって言っても、別に曲を変えなくてもいいじゃないって言われるんですけども、曲なんか変えてませんよ。そんな恐れ多い。わかりやすく言うと、イントロ・間奏・後奏はアレンジャーのものです」
それは「変曲」と誤解されているのかもしれませんね。
「テンポもこうした方が良いとか、どういうサウンドにするかというアイデアは、全部アレンジャーとプロデューサーの役です」
アレンジの仕事を分かりやすく説明してくれる瀬尾さん。
「こういう仕事は、表に出る仕事ではないので、なかなか一般の人にはわかりにくいですが、今回、2枚組CDを作ってもらって、こうやってラジオに出させていただいたことで、こういう仕事があるよ、っていうことを、ちょっとわかっていただけたと思います。
フロントでアーティストとして生きるのではなくて、ちょっと後ろにいて、音楽に関与できる仕事はないかと思ってる人たちにも、こういう仕事があると分かっていただけると良いと思います」
こう語る瀬尾一三さんでした。
音楽業界を目指してるけど、性格的に前で歌ったり演奏するのは無理という方、後ろで支える仕事もありますよ。
(尾関)
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