シンガー・ソングライターの加藤登紀子さんが、11月26日放送の『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。
時々過去を振り返りながら、ちょっと先の未来まで、盛りだくさんの話題をしゃべり続けたおときさん"に、パーソナリティの小堀勝啓も押され気味でした。
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加藤登紀子、中日劇場では最後の「ほろ酔いコンサート」
一大決心だった結婚
「僕らの世代が忘れてならないのが、加藤登紀子ほろ酔いコンサート」と小堀勝啓。
「ほろ酔いコンサート」とは客にお酒が振る舞われるコンサート。加藤登紀子さんの名物企画です。
「歌手として53年目。東京でほろ酔いコンサートを始めてから、続いた回数が45回目なんですよね」と加藤登紀子さん。
歌手を続けてこれたのは、この「ほろ酔いコンサート」があったからだと言いう加藤さん。
「知床旅情」がちょうどヒットした年に、お酒付きのコンサートを一回やっていて、その後結婚します。
「それが理由ありの結婚で、その時は、私の人生の中では、もう歌手を続けられないかもしれないっていうくらい大決心だったんです」
帰る場所は「ほろ酔いコンサート」
フォーク世代の方以外はご存知ないかもしれませんが、加藤さんの結婚は獄中結婚でした。
1968(昭和43)年、東大紛争の時に知り合った学生運動の指導者であった藤本敏夫さんと交際。1972年、防衛庁襲撃事件などで逮捕拘留中の藤本さんと獄中結婚します。
「だけど、結婚してからやっぱり歌いたくなって、それで帰って行く場所は『ほろ酔いコンサート』だったんですよ。1973年12月31日。花開く30歳。
これが、本格的に『ほろ酔いコンサート』を続けていくぞっていう決意の元に始めたきっかけでした」
過去の音源との再会
この1973(昭和48)年のコンサートの模様を収録していたカセットテープがありました。ラジオ局の関係者が客席で収録していたものです。
「おときさん、このカセット、結構良い音で録れてるから聴いてみたら?」
この音源と再会した加藤さん。
「1973年っていうのは、こどもが初めてできて、いったんは歌手を辞めようと思ったんだけど、再開したばっかりの時。もう、うるうるしちゃうような感じでそれを聴かせてもらいました。
何年やっても、その時の今が私の旬なわけだから、過去はいいのよって思ってきたけれども、こうやってボーンと何十年前の過去を目の前にした時に、やっぱり、全部の曲に旬の時期があるんですよ」
このカセットテープには「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」に合わせ、観客が全員手拍子をしながら大合唱してる模様が収録されていました。
「この感じって、ちょっと今はもうできないなって思って。しかも客席との対話がすごいんです」
これをきっかけに80年代、90年代の音源も掘り出してまとめたのが『超録 加藤登紀子ほろ酔いコンサート 20世紀編』という5枚組CDボックス。
11月15日に発売されました。
中日劇場での一回目
「私が初めて中国のハルビンにコンサートに行こうって決めた時に、メンバーで決起式みたいなのを中日劇場でやってるんですよ。これがね、やっぱりテープがあったの」
メンバーは、センチメンタル・シティ・ロマンスに、ムーンライダーズのくじら(武川雅寛)さん、フルーティストの今は亡き西沢幸彦さんなど名うてのアーティストばかり。
「この時は、ほろ酔いコンサートとまだ銘打ってなかったんだけど、お酒付きで。この一回目がきっかけになって、その後、中日劇場で35回、ほろ酔いが続くんですが、これも歴史的なテープだったんですね」と懐かしそうな加藤さん。
客も本人も飲む
ほろ酔いコンサート、お客さんだけでなく、加藤さん本人も飲んでいます。
「一回目の時は、ふるまい酒を皆さんにどうぞって言ってたんだけど、始めてみたらアホらしくて。みんなが酔っ払ってるのに、なんで私だけ酔っぱらってないんだろうってね。
それからは、お酒のオープニングが私の特技。『この一杯は皆さんの気が入ったお神酒です』ということで、一杯開けてからスタートするんです」
そのほろ酔いコンサートが、今年も中日劇場で12月22日~23日で開催されます。
22日は16時半開演。23日は14時開演。
実はこの中日劇場、老朽化による建て替えのため、来年3月での営業終了が決まっています。
それゆえ、中日劇場では最後のほろ酔いコンサートとなります。未見の方はもちろん、これまで足を運ばれた方も、同窓会気分で参加してみては?
歴史に残る曲
バンドよりもソロで気楽にやっていきたい、と語る加藤さん。
「私、ジョン・レノンが好きなんだけど、これから私たちも歴史の中でだんだん消えていくわけですよね。
消えて行くけども、私はシンガーソングライターで自分の歌も歌うし、同時に、過去の人が残してくれた曲を繋いでいくことができる。その両方をやりたいと思ってるんです」
「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」「さくらんぼの実る頃」など、歴史に残る楽曲を歌い継いできた加藤さん。
自身でも、10年後、20年後に歌い継がれるような曲を産み落としておきたいと語ります。
「別にシングルヒットは狙えないけど、丹念に、毎年毎年、曲を作っておくというのが私の仕事のスタンスなんです。だから、今年のほろ酔いコンサートにも新曲を入れたいと思ってるんです」
山田かまちの詩に曲を
新曲のうちの一曲は、山田かまちさんの詩に加藤さんが曲をつけたもの。
山田かまちさんは、1960年に生まれ、17歳の時にエレキギターで感電死。
彼の残した絵と詩は心に突き刺さるものがあり、1990年代には山田かまちブームも起きました。
「私は彼がすごく好きで、『生きる』っていう彼が亡くなる直前に書いていた詩に曲をつけました。すごく"生きる"っていうことが希薄になってきた今、この時代に、もう一回、こういう歌を若い人に聞いてほしいなと思います」
本当は、かまちさんと同じ17歳ぐらいのアーティストに歌って欲しいそうです。
「お前はお前でいいんだ。お前がお前じゃなくてどうするっていう。最初は自分らしく生きる、自分の生き方を貫くって言ってるんだけど、最後の方は、生きることを生きろって言ってるんですよね。
私は、何か大きな役割を果たすから人生が素晴らしいんじゃなくて、あらゆる人が、その人であるということが素晴らしいって言うメッセージが好きで作ったんです」
そして人生は続く
「まして私たちの年齢になってくると、そのテーマに真っ直ぐ向き合います。仕事をリタイアしてからも人生は続く。
だから、そこで自分が生きるって言うことは何?今日の朝散歩して素晴らしかったね。朝日が美しいねとか、そういうことでも、自分の人生は輝くんですよね。
大きな仕事をなしたとかそういうことじゃなくて、ちゃんと生きてる。わー、すごいわ、みたいな。今日はいいね、とかね。そういうことが、確認できるっていうのは凄いんですよね」
そういう意味で、新しい一歩を、今年、またほろ酔いコンサートで感じたいと力強く語る加藤登紀子さんでした。
(尾関)
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