俳優、そしてロックミュージシャン、石橋凌さんが8/6の『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。
7/19にリリースされたアルバム『may Burn!』について、開口一番、このように語ります。
「来年でデビュー40周年になるんですが、ブランクがちょっとあったにしても、40年間の音楽活動の中で、最高傑作ができたと思ってます」
そんなマスターピースを巡るインタビューは、自ずと石橋さんのこれまでの活動を総括するものとなりました。
聞き手はパーソナリティの小堀勝啓です。
石橋凌、40年のキャリアで最高傑作を作る。
石橋凌にとっての名盤とは?
新作『may Burn!』は、まさに自信作かつ名盤のようです。
石橋さんにとっての「名盤」とはなんでしょう?
「人それぞれにね、自分で思う名盤ってあると思うんですが、私はやっぱり、ビートルズの『アビイ・ロード』『ホワイト・アルバム』。サディスティック・ミカ・バンドの『黒船』。
私にとっては、日本のバンドも海外のバンドも、やはり、歌詞とメロディーとリズムとサウンドのバランスが良いものが、名盤だと思うんですよね」
果たして石橋さんの新作はどのように作られたのでしょうか。
運命の配役・田中角栄
実は今回のレコーディング中、ドラマが2作品続けて入ってきたため、アルバム製作は予定通りいかなかったようです。
そのドラマのひとつは『シリーズ 未解決事件』(NHK総合)。
ロッキード事件を扱ったドキュメンタリードラマで、石橋さんは田中角栄(前総理大臣)氏を演じました。
「あの田中角栄怖かった。なんか乗り移ってましたね」と小堀。
「お陰様で。あの時も名古屋に来たんですよ。いかにも国会の中みたいな、ああいう古い建物を使わせてもらって」
撮影には愛知県庁や名古屋市役所が使用されていたようです。
引き寄せる力
長きに渡って石橋さんの活動を見てきた小堀勝啓、かつてこのような歌詞を歌っていたことを思い出します。
政治は飛行機を眺め 落花生の皮を剥く
ロッキード事件についておさらいしておくと、ロッキード社の航空機購入を巡り政財界を巻き込んだ贈賄が行われたんですが、ロッキード社への領収書に「ピーナッツ」という賄賂を示す隠語が使われ、話題となりました。
この歌詞にある「政治」「飛行機」「落花生」は、まさにその事件を表す言葉です。
「そうなんですよ。あの『空を突き破れ!!』っていう歌を書いたのは、ちょうどあのロッキード事件があった後だったんですよね」
さらにこんな話も。
「私は中学1年、12歳で、父親を病気で亡くしたんですね。で、家に遺影があるじゃないですか。親父の顔を見てたら、誰かに似てるなと思ってたんですよ。それが角栄さんだった。ですから、今回お話を頂いた時、ディレクターさんに言いました。『実はいつか、この役が来るかなと思ってました』って」
石橋さんの持っている何かがこの役を引き寄せたのでしょうか。
歌のゲリラ豪雨がやってきた
ニューアルバム『may Burn!』の話題に戻ります。
先の『シリーズ 未解決事件』などの撮影で多忙を極めた石橋さんは、自身の作った曲をアレンジャーに依頼する時間すら持てませんでした。石橋さんはどうしたのでしょう。
「頭の中に楽器を全部セッティングしまして、自動書記をしようと思ったんです。よくありますね、作家の方が、いつの間にか上から書かされちゃう。
実は昔、数曲経験があるんですよ。例えば今も歌ってます『AFTER'45』『魂こがして』っていうのは、だいたい20~30分ぐらいでできた曲なんですよ」
今回もそれを狙って、降りてくるのを待っていたとのこと。でもその時はなかなか来なかったようです。
「どうしようかな?間に合うかな?と思ってたら、ある瞬間、ゲリラ豪雨のように、バラバラッとこう落ちてきまして」
すぐノートに書き留めた石橋さん。
この時は、詞もメロディーも、一体になったものが出てくる感じだそうです。
「これは、もう、自分にとっても、凄く感動的な瞬間でした」
神風ダイアリー
アルバム6曲目の「神風ダイアリー」。スウィングするようなジャージーな曲にのせて、特攻隊員の青春のひとコマを淡々と歌っています。
「この曲は、九州でアマチュアバンドをやってる時に、15~16歳で書いた曲なんですよ」
これには小堀もビックリ。戦争を経験した人が書いたような内容だったのです。
「いや、ただメロディーは全部そうなんですね。で、歌詞を一行だけ残したんですよ。出だしです」
一昨年が戦後70年で、第二次世界大戦に纏わる新証言などがいろいろ出てきました。
特攻隊員についても、勇ましく出て行ったと言われますが、出撃前夜、実は皆さん、お母さん宛ての手紙を枕の下に入れていた、という戦友の方の証言がありました。
いくつも出てきた手紙の内容は『死にたくない。怖い。お母さんに今すぐ会いたい』というもの。
「やっぱり、これが本当なんだなと思ったんですよ。もちろん、そういう方たちの命の重たさは、十分に尊敬に値するんですけども、そういった状況、そういった時代を美化しちゃいけないと思うんですよ。
ですから、出だしの『相合傘で ちょっとお茶でも飲みに行こうか 角のお店へ』っていう、ああいう普遍的なことができなくなること。それを歌いたかったんですよ」
好きなものに携わっていたい
役者として映画にも関わっていくことは、自分の書く歌の世界に影響を与えるものなんでしょうか?「自分がしゃべったセリフ。またその作品のバックボーンにあるテーマみたいなものが、やはり、いくつか残ってますからね。それは音楽に還元したいなと思ってますけど」
今や役者として一つの地位を確立した石橋さん。すでに若い世代には俳優としての認知が広がっています。
俳優へのきっかけとなったのが、若くして亡くなった松田優作さんとの出逢い。
「優作さんは、先天的に俳優さんとして産まれた方だと思うんですよ。手足の長さだとか、身長だとか、肉体的に産まれもっての俳優さんだったと思うんですね。
私は、やっぱり後天的なもんですから。映画が好きなので、映画に携われれば、という思いで、俳優を、始めた部分があるんです」
先に逝った者に拍手を
アルバム『may Burn!』の1曲目「サヨナラ!バディ」は、相棒に別れを告げるイメージの曲。
年齢を重ねることは、優作さんや、先に逝った人たちを讃える気持ちがあったのでしょうか。
「確かにそうだと思います。61っていう歳になったので、この歌の世界ができたのかなと思いますね。12歳で父親を病気で亡くして、私をプロのミュージシャンの道へ、導いて下さった方でラジオ局のディレクター、岸川さんも亡くなられまして」
他にも多くの人との悲しいお別れがあったという石橋さん。
「人が亡くなった時には、もちろん厳かに、しめやかに、静かな曲が流れるっていうのが定説だと思うんですけど…でもね、『いやあ、あんたの人生は素晴らしかったよ。見事にこの何十年を生き切りましたね』ってね。なんか拍手で送るお別れがあってもいいんじゃないかと思って、この曲を書いたんですよ」
前向きな献杯の仕方。
まさに、名優が舞台から去る時の拍手喝采です。
やっぱり前向きに
このアルバムは「挽回ヴィクトリー」という前向きな曲で終わります。
「これは一番最後にできた曲なんですね。もう一曲、歌ものが欲しいなっていうことで、『名も無きDJブルース』っていう静かな曲で終わる予定だったんですけど、やっぱりアッパーに前向きな曲を入れましょう、ということで」
歳を重ねて熟成した石橋凌さん。自分が送られるのはまだまだ先の話。今後もエネルギッシュな活動に注目しましょう。
(尾関)
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