昨年70歳を迎えた吉田拓郎さん。
6/7には様々なアーティストが参加したトリビュートアルバム『今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA』が発売されました。
小堀勝啓がリスナーからのリクエストに答えながら、拓郎さんの楽曲の裏話を紹介していきます。
吉田拓郎が作曲した「襟裳岬」大ヒットのウラ話
宮崎美子は「元気です」
「拓郎さんの『元気です』懐かしいなあ。宮崎美子さんが出ていたドラマ思い出します。可愛かったなあ」(Aさん)
TBSのドラマ『元気です』の主題歌ですが、当時の宮崎美子はアイドルです。
斎藤哲夫の「今のキミはピカピカに光って」をバックに、木陰でジーンズ脱いだらビキニというカメラのCMがありました。
小堀曰く「健康的な美人の肉体美。キュッ、ポン、パッじゃなくてキュッ、ポン、ポンポンと言う感じ」。
どこが膨らんでどこがくびれているのか分かりませんが、雰囲気は分かります。
今はクイズに出て答えまくるインテリな熟女ですが、当時の元気なノリは変わりません。
拓郎節さく裂「明日に向かって走れ」
まず小堀が選曲したのは、1976年3月25日リリースの曲で11枚目のシングル「明日に向かって走れ」。
『明日に向って撃て!』という映画があったんですが、それを連想させる曲名です。
映画は、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドという実在の銀行強盗をモデルにした映画で、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが出演しています。同じ「明日」という字ですが曲は「あした」、映画は「あす」です。
吉田拓郎さんの歌詞は字余りで、拓郎さんらしいメロディもいっぱい出てくる曲です。
ちなみにエレファントカシマシにも同名異曲の「明日に向かって走れ」がありました。
アレンジャーは松任谷正隆さん。拓郎さんの尖ったところを、大人っぽくしてうまくまとめたアレンジです。
アレンジしだいで、まるで別の曲「襟裳岬」
次の曲は、アレンジ次第でこんなにも変わってしまうのか、という曲。
「拓郎さんの曲の中でも一番は『襟裳岬』です。森進一さんの大ヒットですが、森進一さんよりも強烈な迫力が残ってます。殺気だった若い頃の拓郎さんが、クリスマス特番で小田和正さんとコラボされた時は時代の流れを感じました」(Bさん)
レコード会社のビクターで、ある会議が開かれていました。
議論されていたのは、橋幸夫や青江三奈、森進一といったビクターの屋台骨を支えている人たちに、何か新しいことをさせようという話題。
あるスタッフが「そういえば吉田拓郎と飲んだ時に、酔っぱらって森進一に曲を書いてみたいなとか、演歌みたいなのだって書けるんだぞ、と豪語してた」という話になり、オファーして出来上がってきたのが、あの「襟裳岬」でした。
吉田拓郎は演歌大好き
「前に言いましたっけ」と小堀。
「何かのパーティーの時に、拓郎さんが歌ってるところに僕がマイクを持ってギターに当てたことがあって。その時に拓郎さんが周りに煽られて歌ったのが、渡哲也の『くちなしの花』。これが味があってすごく良かった」
吉田拓郎さんが歌う「襟裳岬」は森進一さんのバージョンとはかなり違います。
森進一さんの「襟裳岬」といえばイントロはトランペット。
拓郎さんのセルフカバーでは、イントロはハーモニカから入って、アップテンポなフォークソングな曲。岬だけに山本コータローとウイークエンドの「岬めぐり」のような雰囲気もあります。
タイトルは当初「焚火」だった?
「襟裳岬」の歌詞は「旅の宿」や「落葉」で知られる岡本おさみさんが担当しています。
岡本さんは襟裳の方へ旅行した時、漁師さんに「いいとこですね」と話しかけたところ、北海道の人特有(小堀も北海道出身)の素朴な言い方で「なんもないんだー」という答えが返って来たそうです。そこで「何もないの、いいじゃないですか」と言ったら「なんもないんだ。焚火してるしか、しょうがないんだ」とまた素朴な答えが返って来たそうです。
そんなことがあり最初、「焚火」という仮タイトルで拓郎さんに渡したそうです。
これともうひとつ、拓郎さんと岡本さんのコンビで書いた曲が「世捨人唄」。
こちらの方が演歌っぽくて、レコード会社の判断でA面が「世捨人唄」、B面が「襟裳岬」となりました。
皆さんが知っているトランペットアレンジの「襟裳岬」です。
すると曲が独り歩きし始め、有線のリクエストなどでは圧倒的に「襟裳岬」の方が多く、急遽A面とB面を入れ替えると、爆発的なヒットになったそうです。
拓郎さんは、森進一さんが歌ったものを聴いた時は、卒倒したそうです。
卒倒したというのは、悪い意味ではなく「こういう風に歌うのか!これはかなわない」と驚いたそうです。
「歌というものは、歌い手のものだ」と、つくづく拓郎さんは思ったそうです。
皆さんの好きな拓郎は?
再びリクエストに戻ります。
「拓郎と言えば『されど私の人生』が好きです。75年、つま恋で松任谷正隆グループをバックに、拓郎がアコギとハーモニカだけで熱唱した曲で、斉藤哲夫のカバーになりますがほとんど別の曲と言っていいほど拓郎節です」(Cさん)
このように、歌い手次第で歌は別ものになるんですよね。
「拓郎といえば嬬恋で歌った『永遠の嘘をついてくれ』。これが最高でした。中島みゆきさんがサプライズで出てくる場面は何度見ても感動ものです」(Dさん)
「やっぱり『マークⅡ』が聴きたいなぁ。今から45年前、たえ子ちゃんといつまでも歩いた夜の道、思い出す度に胸がキュンとなります。私の明日は今でもマークⅡなんです」(Eさん)
人の名前の付いた曲と言えば「シンシア」
「たえこ MY LOVE」って曲もあるよね、と小堀。でも、人名がついた曲といえば「シンシア」。
外国人ではありません。シンシアとは、かつての大アイドルで、写真家の篠山紀信夫人でもある南沙織さんの愛称です。
「シンシア」は南沙織さんの1974年のヒット曲「早春の港」へのアンサーソングとして作られ、今年亡くなられたかまやつひろしさんとのデュエット曲です。
拓郎さんは、翌年かまやつさんに「我が良き友よ」を提供しています。
吉田拓郎は語っても語り尽くせません。まだまだ拓郎を語らず、です。
(尾関)
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