小堀勝啓の新栄トークジャンボリー

加山雄三80歳の原動力は、黒澤明監督との衝撃の出逢い 

6月17、18日に大阪中央体育館で開催される『加山雄三生誕80周年ゴー!ゴー!若大将FESTIVAL』を控えた加山雄三さん。

老若男女問わず「永遠の若大将」として知られる加山さんですが、実は芸能界に入った当初、こんなに長く続けるつもりはなかったそうです。
小堀勝啓のインタビューはそんな意外な話から始まります。

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こんなに長く続けるつもりはなかった


「僕の場合はうちのオヤジが凄い有名人でね。オヤジがウケたっていうのをこどもとして見てたんですけど、頂点を極めれば落っこってくるんだな、というのも目の当たりにしてるわけですよ」

加山さんの父は、戦前戦後を代表する映画俳優の上原謙さん。

「そうすると、例えば若大将で売れたとしても、いずれ落っこってくる時があるんだから、という気持ちがある。いつ落っこちるかわかんない、竿の先に乗っけられたような気持ち。だからいつ辞めても良いという覚悟はあった。若大将やってウケてんですけど、いつ辞めようかなって本気でそう思ってたんですよ」

ところが、そんなことを考えた時に登場したのが、あの黒澤明監督でした。

黒澤明監督の登場が人生を変える


黒澤明監督から『椿三十郎』の9人の若侍の一人として声がかかったのです。
加山さんは黒澤監督と初めて会った時のことを、こう振り返ります。

「世の中にこんなすごい人がいるんだって思うぐらい衝撃を受けたんです。周りが物凄く恐れおののいている存在だったわけですよ。お会いした時にニコッと笑って、『加山、白紙でいいからな』ってその一言ですよ」

「白紙」の意味に戸惑った加山さんですが、「色を塗るのは監督なんだよ」と言ってくれた人がいて、自然体でいいんだと納得したそうです。

黒澤伝説は本当だった


小堀が「よく伝説でね、撮影するんじゃないのに、きちんと扮装してやってたと言われてますが」と尋ねます。

「最初からすごいですよ。本読みの段階からちょんまげ結うは、羽織袴は着けるわ。本物の刀を差して。
撮影所の中を歩いているうちに、本身の重さで帯が少し、傾いてくるわけですよ。その感触を覚えろ、歩く時はこうなるだろうと。
そこまでリアルを追及する人っていうのは、今まで遭遇してないんで、物凄い衝撃を受けたんですよ」

早起きしてサーフィンしてから撮影に


黒澤監督から可愛がられたという加山さん、その『椿三十郎』の撮影中にはこんなエピソードも。

9人の若侍がずーっと座ってるシーンで加山さんは末席。
加山さんとは関係ない芝居でNGが何度も出てたそうです。

「僕は朝5時半ごろ起きてサーフィンやってから来てるから。だんだん『よーいスタート』の声が遠くなって、一瞬わかんなくなったなと思ったら、いきなり肩をこう小突かれて。ハッと気が付いたら助監督が耳元でね、『おまえ、今寝てたろ』って。
すると、黒澤さんがすっと立ち上がって来たから、今度は怒られると思ったら、『加山のために30分休憩。お前、外行って寝てこい』って。それから2時間休憩。陽の当たってる外で寝られないですよね」

「寝てこい」と指示する黒澤監督にも衝撃ですが、サーフィンしてから撮影に来る加山さんにも衝撃です。

『赤ひげ』が自分とだぶる


黒澤監督から、今度は『赤ひげ』の青年医師・安本役で声がかかります。

「呼ばれた時には、やったあ!と思ったんですよ。それで赤ひげのストーリーを全部読んでやっているうちに、本当にこの人凄いって思い始めて」

『赤ひげ』とはこんなストーリーです。
輝かしい未来を夢見ている青年医師・安本登が幕府から派遣されたのは小汚い小石川養生所でした。最初は嫌がっていた安本ですが、熱意をもって患者と接する”赤ひげ”に惹かれ、養生所に残る決意を固めます。

「結局、あの中の主人公、赤ひげが黒澤さんで安本登が僕にダブっちゃって、養生所が撮影所になっちゃったんですよ。俺はここで生き残る。ここへ残っていくんだという決心をしましたね。
蘭学を学んでいてね。こんな汚いところで冗談じゃない。俺は御天医になるんだなんて気持ちでいたのがね、赤ひげに魅せられて。そういうのが現実の自分とダブったんですね。」

「僕の中でどんどん偉大な人になっていくんですよ」と黒澤監督に心酔した加山さんの青春時代。
80歳となった現在も活躍する原動力は「黒澤先生のおかげなんですよ」とのひと言に尽きるようです。
(尾関)
小堀勝啓の新栄トークジャンボリー
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2017年06月11日08時16分~抜粋

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