2017年7月4日(火)

ビートルズに最初に会った日本人。星加ルミ子インタビュー前編

小堀勝啓の新栄トークジャンボリー / エンタメ

元『ミュージックライフ』編集長、音楽評論家の星加ルミ子さんが、7/2のCBCラジオ『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。
星加さんは「ビートルズに最初に会った日本人」として知られています。

世界中のマスコミがインタビューを申し込むもままならない中、日本で初めて単独インタビューに成功しました。
音楽ファンには、着物を着た星加さんがビートルズの4人と一緒に写っている写真をご記憶の方も多いと思われます。
聞き手は小堀勝啓です。

当時の編集長の鶴の一声で決まる

ビートルズは1962年「Love Me Do」でデビューすると、それからは出す曲出す曲大ヒット。1963年4月4日付け「ビルボード」誌のシングルチャートは1~5位までビートルズ。1964年には初の主演映画『A Hard Day’s Night』も大ヒットし、世界をビートルズ一色に染めました。

当時の『ミュージックライフ』編集長は草野昌一さん。「漣健児」のペンネームで数々のアメリカンポップスの名訳詞をされた方です。

「あの方がそもそも『ミュージックライフ』を作った方なんですよ。私をロンドンに派遣したのも鶴の一声で。名指しされた私が、一番ウロチョロ、ウロチョロしてましたけどね」

実はまだ入社4年目に入ったばかりの頃だそうです。

ひとり大河ドラマでロンドンへ

その頃ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインには、世界中のマスコミから取材オファーが舞い込んでいたそうです。

「1社だけにさせると、他から袋叩きに遭うから。そう断られたんですね。君が日本から来てもダメですよ。と」

最初に出紙を出した時のことを振り返る星加さん。
“Absolute”(絶対)という言い回しの、強い口調で断られたそうです。

「にもかかわらず行ったんですから、こっちも。たいした心臓ですけどね」。

ミニチュアの兜や日本刀など日本をイメージさせるお土産を持ってロンドンへ。
「刀持って着物着て、一人大河ドラマかって感じですよね」

ドーバー海峡かテムズ川に飛び込む覚悟

英語も片言だった星加さんは、ロンドンでブライアン・エプスタインに会います。

「いつまでロンドンにいるんだって聞かれたんですけれども、私は『ビートルズに会わせていただくまでは帰れません』って言ったんですね。『もし会わせてもらわなかったら、ドーバー海峡かテムズ川に飛び込みます』って」

聞いていた小堀も「凄いハッタリかましますね!」と驚きます。

急遽もらった編集長の肩書

『ミュージックライフ』を見た当時の感想を小堀はこう語ります。

「ボブヘアーの可愛い女の子が着物着てニコニコしてる。これ、違うだろうと。この人、編集長なの?みたいな」

星加さんが最初にビートルズの現地インタビューに成功したのは1965年6月15日のこと。
実はこの頃、星加さんの肩書きは「ミュージックライフ編集長」だったのです。

「ビートルズに会いにロンドンへ行くっていうのが決まった時に、前の編集長が『肩書があった方が箔が付くだろう』とおうんで、急にくれたんです。それで慌てて、名刺を刷り直して。”Editor-in-chief”なんて偉そうに書いて。帰ってきても編集長の座は剥奪されませんでした」

その独占インタビューが掲載された『ミュージックライフ』1965年8月号、小堀も当時住んでいた北海道の帯広市で注文して入手したとのこと。

「それまで10万部も出てなかったのに、私が着物を着て、ビートルズと一緒に写ったあの号はですね、25万部出したんです」

実はビートルズには抵抗があった

よほど気に入られたのか、星加さんにはビートルズから次々とインタビューを依頼されます。
その頃の星加さんはビートルズの音楽性に対して、どのように思われていたのでしょうか?

「私は、アメリカンポップスで育ちましたんでね。ビートルズを最初に聞いた時には、むしろ、凄い抵抗がありましたね。テンポもリズムも違うし。アメリカのロックグループを真似しただけなんじゃないの?なんてね。そんな罰当たりなこと言ってたんですよ」

インタビューは後編に続きます。
(尾関) 

アーカイブス

同じカテゴリー

|
facebook twitter hatebu line