2018年2月13日(火)

奇跡の復活後はパワー全開?歌もトークも絶妙なビリーバンバン

小堀勝啓の新栄トークジャンボリー / エンタメ

ビリーバンバンの菅原孝さん、進さんが兄弟揃って2月11日放送の『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。
1月8日に日本ガイシホール(名古屋市南区)で開催した『青春のグラフィティコンサート2018』バックステージでのインタビューです。

大病を乗り越えているおふたりに、小堀勝啓が伺います。

菅原進・孝は漫才コンビ?

「来たかったんだよ。こないだね、俺、疲れちゃって来れなかったんだよ。ごめんなさいね」とお兄さんの菅原孝さん。
昨年末、名古屋のライブ前日のことです。この時は、弟の菅原進さんだけが番組に出演しました。

2014年7月、兄の孝さんは脳出血で緊急入院。左半身に麻痺が残り声もうまく出せない病状でしたが、懸命のリハビリにより2015年5月に復帰。
実は孝さんが倒れる直前、弟の進さんは大腸がんの手術をしたばかりでした。

今回のインタビューは『青春のグラフィティコンサート2018』の出番を終えたばかりで収録されました。

孝「いやあ、盛り上がったね、弟。あれは素晴らしかったね」
進「もう最高。お客さんが良いね」
孝「うん良い。一人5,000円で7,000人入ったんだよ」
進「さっき計算したんですよ」

ゆるい昭和の漫才のようなお二人です。

リハビリを乗り越えて

「お兄ちゃんは驚異の回復力ですね」と小堀。「いやあ、そんなことないよ。相当つらいよ」と言いながら、そんな雰囲気は感じさせない孝さん。

「普通のやつならできないよ。俺だから出来たんだ。倒れるその日までジョギングして。毎日運動してたでしょ。筋力が残ってるから、これだけできるけどね」と言う孝さんに、「頑張ってるよね。本当に」といつも見ている進さんが言います。

孝さんが倒れた際、お二人のお母さんが進さんに電話をしたんですが、普段は夜に携帯を切る習慣のある進さんが、その時はなぜか切っていなかったことなど。
日々のトレーニングに加え、いくつかの偶然も重なって、孝さんは助かっています。

「でも、僕がお袋のところに行ってたからこうなったんだから」と言う孝さんを、「一人で倒れてたらもっとえらいことになってましたよ」と小堀が制します。「そうですよ。本当に」と冷静な進さん。

泉谷しげるが霞む兄

「白いブランコ」から、有名なCMソング「また君に恋してる」を経て現在まで、実に息の長い活動です。

孝「『白いブランコ』が出てから今年で49年。考えたら凄いでしょ。半分のセイキだからね」
進「ヘンなこと言わなくていいよ」とすかさず進さん。
小堀「放っとくとすぐシモネタを言いますからね。青春のグラフィティーのリハーサルもシモネタバンバンでした。だって、乱暴者キャラの泉谷しげるさんがたしなめるぐらいだから」
進「お兄ちゃん、ちょっと頼むよ、と感じでたしなめてた」

あの泉谷さんより傍若無人とは凄いです。

新ネタ完成

元気で、声もしっかり出ている孝さんは、ラジオを聴いている同世代の人の励みです。

孝「きっと病気してる人もたくさんいると思うんだ。僕らの年代ってしょうがないんだよ。車だってたくさん乗ってくれば、やっぱり故障するわけじゃない。トヨタはないかもしれないけどさ。
今、僕も故障中なんだよね。だからこれを修繕して乗り越えて、今年も頑張って、来年も頑張ってってやって気が付いたら、なんと50周年だってなったら、嬉しいな弟よ」
進「なるね。もうすぐです。だから、うちは本当に良いメンテナンスをしたんだよ。これで蘇った」
孝「ゴメンテナンス。ハハハハ」
進「ごめんテナンス?使えるな、これ」

「ネタ合わせしてる」と呆れ気味の小堀。新しいネタが出来たようですね。

掛け合いもバッチリ

孝「弟は偉いよ。こんな病気の僕を相手にしてさ、普通だったら、普通の格好の、普通に歌える人間を相手にした方がやりやすいじゃない。でも、僕を捨てないでさ、本当にありがたいなと思いますよ」
進「お兄さん、何言ってるんですか。お兄さんあってのビリーバンバンですよ」
孝「世間はそう言うけどさ」
進「なんでわかるの」
小堀「なんだよ」

兄弟ならではの漫才風掛け合いもあれば、兄弟ならではの融け合うハーモニーも健在です。

先生はハマクラ

孝さんが自身の音楽性について語ります。

「僕らの音楽の先生って浜口庫之助なの。浜口先生は『デビューするなら絶対に兄弟で歌えよ』って凄く言ったの。その意味は今になってわかるね。兄弟で歌うことは、その声がお互いに助け合うぞ、という意味だったんだと思いますね」

浜口庫之助とは日本を代表するソングライターです。1959年に「黄色いさくらんぼ」(作曲)「僕は泣いちっち」(作詞・作曲)が大ヒット。以降「有難や節」(作詞1960年)「バラが咲いた」(作詞・作曲1966年)「夜霧よ今夜も有難う」(作詞・作曲1967年)「空に太陽がある限り」(作詞・作曲1971年)「人生いろいろ」(作曲1987年)など、数々のヒット作を発表しました。

小堀「浜口先生は、後年は声を失って、それでも創作活動を続けられてましたね」
孝「先生は歌上手かったよ。先生の歌を継いだのは、やっぱり僕らなんだよ。本当に良い先生に音楽を教えてもらったと思いますね。僕らにはピッタリだった」

浜口庫之助さんの歌い方は、張る声じゃなくて、気持ちよくふわっと包む歌い方。そう思って聴くとビリーバンバンの歌を想起させてくれます。

兄の預言

小堀「浜口庫之助先生のためにも、まだこれから50周年、51周年と続けないといけないと思います。待ってるファンもたくさんいるし。あと”いいちこ”のヒットから、奥さんと二人で飲む楽しみが出来たという方もいます」
孝「『また君に恋してる』。あの曲が、この歳になってやっとわかる夫婦の愛情だよね」
進「お兄さん、今の『さよなら涙』も良い歌ですよ」

「『さよなら涙』はね、絶対今年ヒットするよ。病気をしてる人とか、ちょっと不幸にある人たちに元気をつける曲としてね。これは今年、一番二番を争う大ヒット曲になってくんじゃないかな。みんな聴いた人は涙する。元気貰ったよって言ってくれます」と予言する孝さんです。

二人の元気はファンの元気

小堀「お二人が元気なことが、僕らファンの元気に繋がります。これから二人は、おいそれと、身体の調子を狂わせてるわけにはいかないですよ」
孝「狂わせてもね、なんとか乗り切っていくから」
進「先のことは、はっきりわかんない。だから今、今をしっかりやる。楽しくやる。それが一番だよ」
孝「わかんないよ。僕なんかさ、毎日ジョギングして、腕立て伏せやって、腹筋運動やってたんだよ」

また脳出血の話題に戻ります。

進さんは「それがいけなかったんだよ」と突っ込みます。

とにかく前向きで

「一日1時間半のスケジュールで毎日、どこ行っても、外国行っても。食べるものも塩分を少なくしてお酢で食べるとかやってたのにね、病気は向こうから来るんだよ」

運動だけでなく、食生活など健康には人一倍気を遣っていた孝さん。

「来た時はしょうがないから、病気を友だちとして一緒に行くんだね。
病気と一緒に生きていこうと考えて、今、立ってる位置をちょっと変えれば、状況は変わるんだよ。そうやって変えることによって、自分のこの病気も変わってくんじゃないかな、と思って頑張ってるんです」

これに対し進さんは「お兄さんが、そういう前向きな気持ちで頑張ってやって来たことは、皆さんの励みになるしね。そういう今の状態で、やっていきたいですね」と語ります。

小堀「本当に進さんのおっしゃるように前向きで行きましょう」
孝「俺は後ろに行くからね。弟の名前が”進”だから」
小堀「この憎まれ口がある限りは大丈夫だと思います」
孝「どうも、ありがとうございました~」大声の孝さん。
弟「うるさいよっ!」

前回、泉谷さんがインタビューで言っていたように、倒れたお兄さんの方がうるさいほどよくしゃべりました。歌同様、絶妙なコンビネーションのビリーバンバンのお二人でした。
(尾関)

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