2017年12月26日(火)

腹ペコでは何もできない。矢野顕子の創作の秘密

小堀勝啓の新栄トークジャンボリー / エンタメ

12月24日『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』では、17日に続き矢野顕子さんのインタビューの後編を放送しました。

11月29日にリリースされたニューアルバム『Soft Landing』には80年代から長く関わられているコピーライター・糸井重里さんと作った曲も収録されています。
後編はその糸井さんに関する話から始まります。聞き手は小堀勝啓です。

糸井さんの調子はジャイアンツ次第

去年『糸井が書き、矢野が歌う 1101曲の予定』っていうライブイベントがありましたが、今、何曲ぐらいですか?

「まだ40曲ぐらいかなあ」と矢野顕子さん。

先はまだまだ長そうです。
これまでのお付き合いも長い糸井重里さんは、オーダーするとすぐに詞を書いてこられる方なのでしょうか?

「っていう時もありますし、頼んでないのにできたっていう時もあるし。この『野球が好きだ』(アルバム収録2曲目)っていう曲は、実は大変にこの詩をもらうまでが長くて、何度も私が催促して、やっともらった詞ですね」

どのぐらい待ったんですか?

「2年ぐらい待ったんじゃないかな。最初に野球の曲を書こうよ、いいよって言ってたんですが、とにかく彼のご贔屓のジャイアンツの調子が悪くて、ジャイアンツの成績が上がらない限り彼の気持ちも上がらないわけですね」

糸井さんの仕事はジャイアンツ次第なのだそうです。
矢野さんの曲作りでは詞が先になるんでしょうか?

「糸井さんとやる時は、いつも詞が先です。自分で書く時は、ほとんどが詞が後です」

六本木は大人の街だった

小堀「『六本木で会いましょう』(新作の収録曲)」が古き良き時代の六本木を思わせて、凄く好きです」

矢野「そうですね。私が知ってる六本木っていうのは、本当に1970年代前半だったんで。エヘヘ」

小堀「バイトしてお金貯めてメビウス(当時のディスコ)とか行ったりしながら、キョロキョロキョロキョロ。楽しむどころの騒ぎじゃなかった覚えがあります」

小堀にとって70年代初頭はまさに学生生活を満喫している頃で、矢野さんと共通の六本木感があった模様です。

忖度って何だ?

現在はニューヨーク州に住まいを構える矢野さん。日本に里帰りすると、変わってきてると思うことはあるのでしょうか?

「年に3回ぐらいは仕事しに来ていますから、激変してるって感じはないですけど。でもテレビに出てる人とか、今流行ってる何か、みたいなものにはやっぱり疎くなりますね」

何かでチェックするんですか?

「そういうの教えてもらうんですね。スタッフとかに。今も”忖度”っていうの?あの言葉の意味がわからなくて。まず、何て読むんだろうって」

小堀「急に日本で使うようになったんだけど、流行語みたいなもんです。僕、アナウンサー長くやってるけど、あの字はあまり使わないし、”忖度”という言葉自体も使わなかったですね」

矢野「初めて聞きました。どっから来た言葉?みたいな」

大統領が変わって

矢野さんのアメリカ暮らしは、大統領がトランプ氏に替わって大きな影響が出ているそうです。

「あの大統領になりましたけど、彼のやっていること、そして、どういう人間であるかとか、それを日本に住んでる人にわかってもらうことはできないと思います」

矢野さんは、さらに日本のメディアにも驚いたとのこと。

「すごく大きな変化を及ぼすようなことをしますよってトランプを大統領が言った時に、日本のメディアのいくつかは、それをGoogle翻訳で書いていたっていうのを知って、まあ、それはそれはびっくりしました。
好き勝手なことを言ったりやったりする、とんでもない人っていうこと以上の大きな意味が実際はあるんです。まあ、それはしょうがないですよね。当事国ではないから」と矢野さん。

日々の生活で、アメリカへの不満や怒りを感じることはあるんですか?

「生活していく上では基本はそうですね。やっぱり社会の一員なので。逆に、日本の生活の実感の方が薄いですね」

自分の全ては関連している

「どうやってお金を得るか。自分がどういう人間として評価されたいか。自分の仕事と作るもの…全部関連があると思っているんです。ですから作るものからは、こういう風に見られたいという自分を作り、実生活では違うっていうことは、私はできないと思います」

実生活が確実に反映しているという矢野さんの楽曲。

小堀「ものを作って表現していくという人たちの厳しい覚悟があって、これがすごく素敵だなと思います」

矢野「それは必要なことだと思います」

37年後の RETURNED

このアルバムの中には1980年に書かれた伝説の名曲「SUPER FOLK SONG」の続編「SUPER FOLK SONG RETURNED」が収録されています。
「SUPER FOLK SONG」は糸井さんが1980年に発表したアルバム『ペンギニズム』のために、矢野さん提供した楽曲。誕生から37年目にしてリターンした曲が出てきました。

矢野「これは私が注文して書いたのではなくて、彼が書きたくなったから書いたんだそうです」

小堀「僕なんかもビートルズ世代。曲の中に、キーワードのビートルズの曲”When I’m Sixty Four”、しわとしわとで32。倍してSixty Four。ポール・マッカートニーが64歳になったらって書いた時には、自分もならないと思ってたけど、なってみたら、こんな楽しんだなって思います」

矢野「まあ、そういう風に言えるのはいいですよね」

小堀「歳をとるのは楽しいでしょ?」

矢野「ええ?そうかなあ。もちろん否応なしに歳はとるわけですけれども、どうやってとるかが重要ですね」

腹ペコではいけません

CDのブックレットを見てたら、しっかりご飯も楽しみながら撮っています。

「私はね、お腹が減るとダメなんですね」

ライブの前もしっかり食べるそうです。歌う人は、お腹いっぱいになると声が出ないと言いますが?

「って言うでしょ?コンサート前には、食べないっていう人が普通なんですけど、私は、どうして、そんなので歌を歌うんだろうと思っちゃうくらい、しっかり食べます。
その生身の人間の機嫌が悪かったら、出るものだってそんなに期待できないわけですね。なのでいろんな手を変え品を変え、私を気持ちよくさせるわけですね。そうすると、そのままニコニコして出て行って、気持ちよく出来るんです」

そのニコニコのハッピーがみんなに伝染していくんですね。

「そうなるためには、やっぱり腹ペコではいけないんです」

「うちの家内も、 お腹空くと機嫌悪くなります。見ててわかる。もうお腹すいてるんだなって」と言う小堀に、「やっぱりねえ」と納得の矢野さん。

「僕は初めてお会いしましたが、良い人からしか、良い作品は生まれないだろうし。これからも品よくハッピーに、皆さんに素敵な世界をプレゼントしてください」と小堀が締めると「はい。頑張ります」と優しく答える矢野顕子さんでした。
(尾関)

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