2017年10月2日(月)

仕方なく無理やりシンガーソングライターになった、柴田淳

丹野みどりの よりどりっ! / エンタメ

シンガーソングライターの柴田淳さんが、9/29の『丹野みどりのよりどりっ!』にゲスト出演しました。

1976年11月生まれの40歳。2001年にデビューして以来、10枚のアルバムをリリース。
シンガーソングライターとしての活動の他にも、楽曲提供や、ナレーション、ラジオパーソナリティなど幅広く活躍しています。

しかもその美貌も評判とあって、番組パーソナリティー・丹野みどりは初対面ながら「キレイな人が大好物なんです」とハイテンションです。

音楽が嫌いな子どもだった

さて、そんな柴田さん、小さい頃からシンガーソングライターになりたかったかというと、答えは「NO」。

将来は芸術大学か音楽大学に入ることを親から望まれていた柴田さんは、3歳からピアノ塾に入れられ、その後複数のピアノに関する英才教育を施されていました。
しかしある時、親に「音大には行きたくない」と訴えた少女・淳さん。まず一番スパルタ教育だった塾を小学校で終わりにし、徐々に他の所も辞めていって、高校ぐらいで全部辞めたのだそうです。

ただ、それまで「ピアノを弾きなさい」と言われ続けた生活が一変し、「弾きなさい」と言わなくなった親が何となく怖くなったという柴田さん。ポーズとして、大学ぐらいまで自発的にピアノをやっていたといいます。
何だか面白い心理ですね。

ところで、なぜ柴田さんは音大に進みたくないと思ったのでしょうか?

「芸大や音大を出たところで、ピアニストになれる人なんて氷山の一角ですよね。じゃあそれ以外の人は?って考えたら、ピアノの先生になるだけだと思ったんですよね。私、ピアノの先生が大っ嫌いだったんですよ!(笑)」とぶっちゃける柴田さん。

「いい先生、立派な先生もいっぱいいらっしゃいますけど、柴田さんにとっては嫌な人しかいなかったんですよね」と、丹野が笑いながらフォローします。

それで、ピアノをやりたくない、音大に行きたくないという発想になった柴田さん。音楽はツラいものという認識ですから、シンガーソングライターなんて発想は生まれるわけもありません。

音を楽しむ音楽へ

ところが一方で、新たな音楽の認識が芽生え始めます。

中学生の頃、放課後に友だちみんなと歌っている時に「あれ?歌うのって楽しいな」と思ってきたという柴田さん。
高校に入ると、音楽に詳しい友だちが一気にできて、自分も音楽を聴くようになって、好きなアーティストも出てきたのだそう。

3歳からスパルタで植えつけられた音楽は、まさに義務。拒否反応でおなかが痛くなってしまうほどでした。
それが、中学・高校で音楽を楽しめるようになったのです。クラシックからポップスへの転身です。
(クラシックもやり方さえ違えば楽しめるものになったのでしょうけれど…)

こうして音楽に目覚めた柴田さん。歌手になりたいと思うようになりますが、何せ「音大に行け」という厳格な親ですから、「歌手になりたい」なんて口が裂けても言えなかったそうです。
しかし未成年では、親の承諾がないとオーディションを受けられません。だから、自由に行動できる20歳になるまで我慢していたというのです。

無理やりシンガーソングライターに

そうしてやっと20歳になった柴田さんは、オーディションを受けました。
ところが、歌手と言っても、歌だけでやっていこうとなると、アイドル歌手という道になる。だけどアイドルなら10代じゃないと難しい。
レコード会社の人からは「キミ、遅過ぎる」と言われてしまったんだとか。音楽業界のシビアなところです。

そこで柴田さんは仕方なく、オーディションに受かるために作詞・作曲を始めることにしたのでした。

「だから別に、『昔からノートの片隅に歌詞を書くのが好きでぇー』とか、そういうエピソードじゃなくて、ただ受かりたいがために始めたって感じです」と、柴田さんはあっけらかんと話します。

もちろん、作詞作曲は未経験の柴田さん。作詞なら何とか取っ掛かりもありそうですが、作曲は専門的な知識がないと難しいのでは?
まあでも、柴田さんはピアノを習ってたからそこは大丈夫なんでしょうね。…と思ったら大間違いでした。

「ピアノをずぅーっとやってきたというプライドがあったから、『ピアノで作ればいいんでしょ』と軽く思ってたんです。だけど私がやってたのは譜面をたどるだけだったんですよ。いざピアノの前に座った瞬間、『・・・で?』と思ったんですよ」と柴田さん。

譜面は読めても、それだけじゃどうにもなりません。プライドが一気に崩壊した柴田さん、ここから凄い行動をとります。
レコード会社に電話して「曲の作り方を教えてください」と前代未聞のお願いをしたのです。

幸せって何だっけ?

自分の夢を叶えるためなら、何でもやるという心意気の表れですが、そんな大胆なお願いが通る訳もなく、結局自分で試行錯誤しながら、1年かけて1曲作り上げたのでした。
そして翌年は半年で1曲。その翌年は3ヶ月に1曲。その次は1ヶ月に1曲…と作れるようになり、25歳目前で晴れてデビューすることとなったのです。

大学在学中から挑戦が始まり、就職活動も蹴って曲作りに励んだ柴田さんには、もうシンガーソングライターになるしか道はありませんでした。

そんな、突貫工事から長いトンネルを貫通させたところから始まった柴田淳さん。通算11枚目となるオリジナルアルバム『私は幸せ』がリリースとなりました。

「ジャスフォー(ジャスト・フォーの略。ちょうど40歳)だからこそ書けた曲がたくさん入ってる」と話す柴田さん。
“私は幸せ”と言いながら、結構荒ぶった曲が多いといいます。

40歳になって強くなったのか、「人にどう思われようが構わない」と考えるようになり、歌詞の中に自分の気持ちを断言できるようになったとか。

そこから柴田さんは“幸せって何だっけ?”論を語ります。
「今の世の中、他人に自分の幸せを決めてもらいたがってる人、多くないですか?『インスタ映え』を気にするとか」

丹野も呼応して柴田さんと語り合います。
「自分が幸せに感じられるならそれでいいじゃない」「なのに自分の幸せの視点を周りに置いちゃってる」「もし周りから“幸せじゃない”とか言われたらどうするの?」

『私は幸せ』はそんな思いも詰まった、深いアルバムなのですね。

ただ柴田さんの場合は、歌手になった経緯からして、ジャスフォー関係なく結構昔から自分の幸せを貫いていそうですけれども。
(岡戸孝宏)

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