9月16日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』では、パーソナリティの加藤里奈が、今季で引退を発表した中日ドラゴンズの中田翔選手について話題にしました。
中田選手の経歴紹介から加藤の熱い気持ちがひしひしと伝わります。聞き手は三浦優奈です。
ちっちゃな時から
加藤「まさか2024年にドラゴンズに来てびっくり」
こどもの頃からドラゴンズファンだった加藤が、唯一他球団で応援していたのが北海道日本ハムファイターズにいた中田翔選手だったそうです。
その中田選手は日ハムから読売ジャイアンツ、そしてドラゴンズに。
加藤「パ・リーグ時代からの推し選手の最後の姿が、まさか中日ドラゴンズのユニフォーム姿で見られるなんて想像もしていなかった」
最初はキャッチャー
加藤「中田翔さんのすごい経歴をお話します。小学校3年生。最初はキャッチャーで野球をスタートして6年生からピッチャーでした」
中田選手の経歴を紹介し始めた加藤。
プロ野球選手の紹介は、甲子園からが定番ですが、まさかの小学3年生の時から。かなり早い時期からの紹介に、加藤の中田選手への思い入れがわかります。
中3の時に日本代表入りをして、エースで4番の活躍。アメリカ遠征では4本のホームランを打ちMVPに選ばれたそうです。
おまけの最新情報
大阪桐蔭高校では、1年生の夏にベンチ入りを果たし、ピッチャーで5番のスタメン出場。この時の甲子園で中田選手を知った方もいるのでは?
この時、4番を打っていたのが現ドラゴンズのコーチ、平田良介さん。ちなみに平田さんは体重がキャリアハイになったそうです。
加藤「夏バテしないように食べた。夏バテしないように休日は動かなかった。そしたらキャリアハイになったとのこと」
大阪桐蔭高校の当時の4番、5番がドラゴンズに一緒にいるのもあとわずかです。
1年生からスター
1年生の夏の甲子園では、1回戦、2番手のピッチャーとしてマウンドに上がり、最速147キロ。スライダーで相手打線を抑え、同点で迎えた7回にホームランを打ち、4打数4安打で勝利に貢献しました。
加藤「当時からスターだったわけです」
2007年に、高校生ドラフト1位で日本ハムに入団。2021年の途中から2023年まで巨人。2024年から2025年がドラゴンズです。
主なタイトル。打点王が2014年、2016年、2020年。ベストナインが2013~2016年、2020年。ゴールデングラブが2015年、2016年、2018年、2020年、2022年。
大砲のイメージがある中田選手ですが、意外にもホームランのタイトルはありません。
声援の大切さ
加藤が印象に残っているのは、栗山英樹監督時代の2014年9月の試合。日本ハム対オリックス・バファローズの最終戦。
延長10回裏、ワンアウト、ランナーなしで4番中田選手。
スリーボール、ワンストライクからホームラン。27号でジャスト100打点目。
この時の「声援がホームランを生んでくれた」というヒーローインタビューでの言葉が、加藤には印象的だったそうです。
15日にナゴヤ球場で行なわれた二軍最後の試合。中田選手は4球粘って5球目にショートフライでアウト。試合後のコメントで「最後まで声援がありがたかった」と語っていました。
加藤「日ハムの時は単に素敵なコメントだなと思ってたけど、改めて声援が中田翔選手にとって大事なものだったんだと感じました」
常にあったプレッシャー
加藤は、中田選手について落合英二二軍監督にも話を聞いていました。
「寂しいですね。苦しい時に自分たちがちゃんと手を差し伸べられたかどうかが、すごく心残りになっている」
落合二軍監督らしい優しいコメントが返ってきたそうです。
期待のプレッシャーが他の選手とは桁違い。年齢によって衰えていく中、ずっと期待を背負って戦っていくのは大変だったろうと話していたとのことでした。
最後に中田選手の記者会見で、加藤が胸躍った経験を告白。
加藤「私はしゃべるタイミングがなかったんですが、偶然、平田さんと一緒に記者席にいた時に、なんと目を見て、お疲れ様ですと声をかけてくださって感動しちゃいました」
加藤里奈が、引退する中田翔選手について熱く語りました。
(尾関)
ドラ魂キング
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2025年09月16日16時34分~抜粋