11月20日放送の『ドラ魂キング』(CBCラジオ)に、元中日ドラゴンズの投手で野球解説者の牛島和彦さんが登場。
現在開催中の「第3回WBSCプレミア12」で侍ジャパンを率いる井端弘和監督との知られざるエピソードを披露しました。
侍ジャパン・井端弘和監督の原点!中日OB牛島和彦が語る「井端少年」との絆
憧れの投手からもらったボール
これは井端監督が、まだ「井端少年」だった頃の話です。
かつて川崎球場に通い詰めていた井端少年は、憧れのピッチャーからフェンス越しにボールをもらい、とても大切にしていました。
そのボールを手渡したのが、なんと牛島さんだったのです。
宮部和裕アナウンサーがこのエピソードを披露すると、「えー、すごい話!初めて知りました!」と安藤渚七は驚きを隠せません。
牛島さんによると、当時の川崎球場は控え室がスタンドにあり、選手たちがファンのすぐ近くにいたそうです。
牛島「こどもたちが『ボールくれ!ボールくれ!』って言うてね。ピッチング練習が終わってから、ほいほいってあげてたんです」
時は流れ、「野球評論家」と「プロ野球選手」として再会した際、井端さんが牛島さんにこの話を伝えたそうです。
かつて川崎球場に通い詰めていた井端少年は、憧れのピッチャーからフェンス越しにボールをもらい、とても大切にしていました。
そのボールを手渡したのが、なんと牛島さんだったのです。
宮部和裕アナウンサーがこのエピソードを披露すると、「えー、すごい話!初めて知りました!」と安藤渚七は驚きを隠せません。
牛島さんによると、当時の川崎球場は控え室がスタンドにあり、選手たちがファンのすぐ近くにいたそうです。
牛島「こどもたちが『ボールくれ!ボールくれ!』って言うてね。ピッチング練習が終わってから、ほいほいってあげてたんです」
時は流れ、「野球評論家」と「プロ野球選手」として再会した際、井端さんが牛島さんにこの話を伝えたそうです。
「野球を好きになってほしい」
牛島「『10個ぐらいもらいました!』って言うから」
宮部「10個!多いな!」
安藤「牛島さん、すごいサービス精神旺盛」
実は、牛島さんのこの太っ腹な行動には理由がありました。
牛島「あの時の川崎球場、人が入ってないのよ。ガラガラで。こどもが野球見に来てて『ボールください!』とか言うてるから、『これで野球好きになってくれるんやったら』思って」
この時手にしたボールが、井端少年の野球への情熱をさらに燃え上がらせるきっかけとなったのかもしれません。
牛島「だから、特別応援してますよ。頑張れ!」
そして今、井端監督が侍ジャパンを率いる姿は、未来の野球少年たちに夢を与えています。
宮部「10個!多いな!」
安藤「牛島さん、すごいサービス精神旺盛」
実は、牛島さんのこの太っ腹な行動には理由がありました。
牛島「あの時の川崎球場、人が入ってないのよ。ガラガラで。こどもが野球見に来てて『ボールください!』とか言うてるから、『これで野球好きになってくれるんやったら』思って」
この時手にしたボールが、井端少年の野球への情熱をさらに燃え上がらせるきっかけとなったのかもしれません。
牛島「だから、特別応援してますよ。頑張れ!」
そして今、井端監督が侍ジャパンを率いる姿は、未来の野球少年たちに夢を与えています。
一生忘れない感触
安藤「今でも私、ファールボールが飛んでくると取りたい!って思いますもん。プロが触ってる硬式球、夢ですから」
牛島さん自身、初めて本物の硬式ボールを触った時の手の感触、初めてスパイクで黒土を踏んだときの足の裏の感触をいまだに覚えているそうです。
牛島「黒土を踏んだ時にサクッて土に入る金具が、もう心地良かったです」
安藤「重みや感触は一生忘れないものなんですね」
宮部「ましてや井端少年はそのボールを、これからマウンドに上がる守護神からポーンともらって!」
安藤「まだぬくもりも残るボールを!」
牛島さん自身、初めて本物の硬式ボールを触った時の手の感触、初めてスパイクで黒土を踏んだときの足の裏の感触をいまだに覚えているそうです。
牛島「黒土を踏んだ時にサクッて土に入る金具が、もう心地良かったです」
安藤「重みや感触は一生忘れないものなんですね」
宮部「ましてや井端少年はそのボールを、これからマウンドに上がる守護神からポーンともらって!」
安藤「まだぬくもりも残るボールを!」
映画化必至のエピソード
そんな井端少年ですが、実はこのボールを壁当てでかなり使ったそうです。
牛島「そうやって使ってね、プロに入って来れたから。僕としては嬉しいですよね」
宮部「壁当てで使って、あの守備が。後に“アライバ”が生まれたわけですから」
安藤「ちょっと映画化できそうなお話ですね」
牛島「貢献してるでしょ、お客が入らない川崎球場に」
安藤「『あの牛島からボールもらえた!』って、もう次の日学校でヒーローでしょう」
井端少年が牛島投手からもらったボール。
これこそが、日本を背負う監督としての道を開いた原点だったのかもしれません。
(minto)
牛島「そうやって使ってね、プロに入って来れたから。僕としては嬉しいですよね」
宮部「壁当てで使って、あの守備が。後に“アライバ”が生まれたわけですから」
安藤「ちょっと映画化できそうなお話ですね」
牛島「貢献してるでしょ、お客が入らない川崎球場に」
安藤「『あの牛島からボールもらえた!』って、もう次の日学校でヒーローでしょう」
井端少年が牛島投手からもらったボール。
これこそが、日本を背負う監督としての道を開いた原点だったのかもしれません。
(minto)
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