ドラ魂キング

プロ野球キャンプイン!中日OB牛島和彦、若手から監督までの気持ちを解説

2月1日、プロ野球セ・リーグ全球団がこの日から春季キャンプに入りました。
中日ドラゴンズは、沖縄県北谷町のAgreスタジアム北谷でキャンプインです。

この日のCBCラジオ『ドラ魂キング』では、中日ドラゴンズOBの牛島和彦さんが、現役時代の宿泊事情、キャンプに望む選手たちの気持ちを語りました。
聞き手は高田寛之アナウンサーです。

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昭和の宿泊先はどこ?

「キャンプで一軍と二軍に分けられますが、ホテルとか食事とかは差があるんですか?」(Aさん)

「昔はありましたよ。一軍はホテル。二軍は旅館。僕が入った時は旅館でしたもん」

旅館は複数人部屋。ホテルでも二人部屋もあったそうです。

1979年(昭和54年)のドラフト1位でドラゴンズに入団した牛島さんは、1年目と2年目の広島遠征では旅館。
リーグ優勝した1982年(昭和57年)でも、大阪遠征では旅館だったと振り返りました。

キャンプの部屋事情

さらにキャンプでの宿泊事情を尋ねます。

ドラゴンズのキャンプは沖縄県北谷町と読谷村で行われていますが、牛島さんが入団した頃のキャンプ地は、宮崎県串間市でした。
高校を卒業したばかりの牛島さんの当時の部屋割りは?

「同期の高校生4~5人部屋でしたね。襖を挟んで一つ上の学年の人が3人部屋とかでした」

先輩と同室になることはなかったそうですが、ロッテ時代にはキャンプの1カ月間「若い選手の面倒を見ろ」と言われ、ホテルで同室だったことがあるそうです。

どっちが気を使う?

牛島さんの現役時代はスマホも携帯電話もありません。
当時の通信手段はもっぱら固定電話。さらに若手選手の場合、キャンプ中のホテルに電話がかかってくることはありません。部屋にかかってくる電話は全て牛島さん宛てです。

そのため牛島さんは若手に「自分が出るから出なくていい」と告げていたそうです。

「でも、ちゃんと電話に出てベッドの上で正座して、僕に『お電話です』って差し出すんです。そこまでしなくていいから、ゆっくり寝ててくれ。こっちも気を遣いましたね」

しかも夜は先に寝ていていいという優しい対応だったそうで、若手は楽だったのではないかと推測しました。

「僕は夕方とか夜いないから、一人の時間が多くなるわけですからね。で、僕は寝る時間になったら帰ってくるわけですから。もちろん気を遣って出て行ってたんですよ」

同室だった若手選手がベテランになって、牛島さんの気遣いがわかったことでしょう。

キャンプ中のリアルな気持ち

若い選手はとにかく練習についていって、一人でも追い越して、早く一軍に行きたいという心境です。
そしてレギュラーになってくると、「1ヶ月は長いな」と感じるようになるそうです。

さらに監督になるとまた気分が変わるようです。
横浜ベイスターズの監督時代は、沖縄県宜野湾市でキャンプを行っていました。

「前の夜ぐらいから、1ヶ月間誰も怪我しないでくれよと、全然心境が変わりますよ」

監督時代は、選手の怪我の心配だけでなく天気の心配もしていたという牛島さん。
特に2月の沖縄は天気が急変するため、毎朝5時半に起床して空を見て、テレビをつけて天気予報を確認。

雨の場合は、ひとつしかない室内練習場を、一軍とファームでどう使うかの振り分けをする必要があったそうです。

「あの時の宜野湾って赤土なんですよ。黒土じゃないから水はけが悪いんですよ。だから凄い神経使いました」

プロ野球はいよいよキャンプイン。若手、ベテラン、監督。それぞれのリアルな気持ちを解説した牛島さんでした。 
(尾関)
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2024年02月01日17時52分~抜粋

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