元中日ドラゴンズ投手で野球解説者の牛島和彦さんが、10月19日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』に出演しました。
ロッテへの電撃トレードや、ドラゴンズ入団当時のエピソードについて、高田寛之アナウンサーが尋ねます。
25歳で世紀のトレード
ちなみにこの日のおたよりテーマは「私のアイドル」でした。
「私は牛島和彦さんの大ファンでした。牛島さんが中日をトレードになった日、ショックで打ちひしがれておりました。年月を重ねて解説者としてお声が聞ける幸せ、感謝です」(Aさん)
1986年オフ、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の落合博満選手と1:4の大型トレードが行われました。
ロッテにトレードされたドラゴンズの4選手のひとりが牛島さん。「世紀のトレード」と言われ話題になりました。
当時25歳の牛島さんは「年末の突然の出来事にびっくりした」と振り返ります。
高田「あの時の映像を見ると、もうちょっと貫禄があるように写ってるんですよ。20代真ん中の感じじゃないんですよね」
当時牛島さんはパーマを当てていました。
牛島「昔の野球選手ってあんなんですよ。ちょっと老け気味(笑)。みんなパンチパーマにゴルフウェアみたいな感じでね」
”さん”を付けろ
中学時代から野球漬けだった牛島さんにとって、アイドルは野球選手でした。
父親の影響でジャイアンツファンの牛島さん、浪商高校に進学を決めたのも当時巨人の選手だった高田繁さんから直接誘われたからでした。
「中学三年で初めてお会いした時に『牛島君、浪商入ってくれないか?』って。憧れと言うより唖然。びっくりする感じですね」
こうして1979年(昭和54年)、浪商高校からドラフト1位でドラゴンズに入団。プロ野球の世界に入ると、憧れの選手たちが周りにいました。
「高校からプロに入ってナゴヤ球場で、長嶋だ、王だって言ったら『もう同じ土俵に上がったんだから"さん"ぐらい付けろ』って、先輩にパコーンって殴られましたね」
プロ野球選手がいる光景はこどもの頃にテレビで見たそのままだったとか。
史上最高の二塁手のアレ
昭和の野球少年にとって最大のアイドルは、なんといってもジャイアンツのON。王貞治選手と長嶋茂雄選手は、球団の枠を超えた、プロ野球界の2大スターでした。
牛島さんが一軍に上がった1980年(昭和55年)、長嶋茂雄さんはすでに現役を引退してジャイアンツの監督。そして王さんは現役最後の年でした。
この年を最後にドラゴンズを引退した選手がいます。
「プロ野球史上最高の二塁手」と言われた高木守道さんです。
牛島「高木守道さんのグローブを触りたくて仕方なかったんですよ。名手のグローブってどんなんだろう?と触ろうとしたら、こらっ!て怒られました」
木俣さんの無茶振り
この1980年、牛島さんは2打席だけ王選手と対戦できたそうです。
牛島「木俣(達彦)さんが来てね。『脚を上げた時に膝に投げるな』って」
木俣達彦さんは当時捕手でした。一本足打法が王選手の特徴。膝に投げたらストライクです。
牛島「『太ももに投げてこい』って。投げられるわけないじゃないですか(笑)。流石の僕でも投げれなかったですね」
昭和の野球人は結構無茶振りが多かったようです。
歴史を体験
王選手との対決をこう振り返る牛島さん。
牛島「その時の2打席は、テレビの画面にボールを投げてるみたいでした。こどもの頃、ジャイアンツ戦をテレビで見てて、その画面にボールを放ってる気分でしたね」
高卒1年目で一軍に上がれるとは全く考えていなかったという牛島さん。
選手としては晩年の王さんと対戦することもないだろうと思っていたところへ、突然巡ってきたチャンス。
しかし「同じ空間にいる気がしなかった」と振り返ります。
牛島「東の背番号1番(王さん)、西の背番号1番(高木さん)が同じ年に引退して、その年に、ルーキー1年目でそれを見られたっていうのが自分の中でもよかったです」
偶然の巡りあわせで対戦し、歴史の変わり目を体感できた牛島和彦さんでした。
(尾関)
ドラ魂キング
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2023年10月19日17時52分~抜粋