ドラ魂キング

星野仙一さんが、二軍落ちに落ち込む宣銅烈投手に掛けた言葉

CBCラジオ『ドラ魂キング』で、ドラゴンズの名場面を振り返る「甦れ、あの名シーン」のコーナー。

10月5日の放送ではOBで野球解説者の中村武志さんが出演し、現役時代にドラゴンズでバッテリーを組んだ宣銅烈(ソン・ドンヨル)さんや、監督だった星野仙一さんのことを振り返りました。

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初めてのドーム球場

中村さんと振り返るのは、まず1997年のドラゴンズ。
この年はナゴヤドーム(現バンテリンドーム)の元年で、2回目の星野仙一監督体制で臨んだ2年目でした。
シーズンではドームに対応できず苦戦し、さらに怪我人も多く出して最下位に沈みました。

当時捕手としてスタメンに入っていた中村さんから見て、ナゴヤ球場からドームに変わった印象は? 

中村「まずドームを見てびっくりしました。なんだこれ?と思った。すげえなって」 

当時屋根付き球場は東京ドーム(1988年)、福岡ドーム(1993年)のみで、大阪ドームはナゴヤドームと同じ97年にできたばかり。まだドーム開催が珍しい時代でした。 

中村「屋根付きだし、もちろん新しいからきれいだし。いくら打っても飛ばないなというのが第一印象でしたね。練習で普段飛ばす人でも入らなかったですもん」 

初めての人工芝

ドーム元年は、人工芝に馴染めずコンディション作りも大変だったと振り返る中村さん。
キャッチャーは土の部分が主な守備範囲ですが、それでも練習では人工芝を走るので、膝と腰に変な張りが出たそうです。 

中村「今までも身体は張ってたんですけど、違う部位が張るんです。それが抜けそうで抜けない。そういうのが1年間続いたっていう感じでした」 

当時の星野監督下ではそんな弱音が吐けない環境。
しかしシーズンが終わってみると、ほとんどの選手から「変な張りが出た」と話していたそうです。 

気分はもう優勝

最下位に泣いたドラゴンズですが、2年後の99年には優勝を飾ります。

中村「あれは星野監督が野球を変えてくれましたもんね。この球場で勝つためには、これでいくしかないと」 

この99年はなんと開幕11連勝。改めて数字で書くと11勝0敗。 

中村「もうあの時点で気分は優勝です。選手もファンも世の中も優勝だって。でも、たかが11試合目ですよ」 

実は中村さんが後に星野監督から聞いた話によると、99年は優勝できるとは思っていなかったそうです。星野監督はその翌年の2000年での優勝を目論んでいたとか。 

韓国のスーパースター

この99年の優勝で貢献したのが、韓国から初の日本プロ野球へ移籍して来た宣銅烈(ソン・ドンヨル)投手。
来日1年目の96年はプレッシャーに苦しみ、セーブの失敗が続き二軍落ちも経験しています。 

中村「もう帰るって言ってましたからね。で、星野監督も「帰れ』って」 

このやり取りは監督室であったそうですが、実は中村さんもその場にいたそうです。
当時の宣投手と星野監督の会話を振り返る中村さん。 

中村「でもスーパースターが帰れるか?って話ですよね」 

宣投手は韓国では数々の記録を残したスーパースター。日本のプロ野球で例えれば、長嶋茂雄さんのような存在でした。
うまく行かないからと言って、簡単に帰国するわけにはいかなかったのです。

星野監督にニクイ言葉

中村「ここから星野監督の憎い言葉が出てくるんですよ」 

「気持ちはわかる。お前も帰れないだろ?」と星野監督。
しばしの静寂の後、監督は続けて「わかった。どこに行ってもいいから、お前が野球をやりたくなったら帰ってこい。ずっと待っててやるから」と言ったそうです。 

当時の抹消期間は一週間でした。いったん登録を抹消された宣投手でしたが…

中村「そんなに長くかからずに戻ってきました。星野監督は練習しろとか調整しろとかじゃないんですよ」 

ここで失敗したら

ドーム元年の97年は宣投手にとって2年目となりました。
最初の登板で、あわや再び二軍落ち?という場面がありました。 

相手は横浜で9回ツーアウト、ランナー三塁の状況。
ここで宣投手はバッター谷繁選手に大暴投してしまいます。キャッチャーだった中村さんも捕球できず、拾いに行っている隙に三塁ランナーがホームに突っ込んできました。 

中村さんがボールをホームのカバーに入った宣投手へパス。
間一髪のタッチアウトで、無事にセーブが付きました。 

浮かぶのはあの人の顔

この暴投について語る中村さん。

中村「ミットに当たったと思う。ちょうどホームプレートとネット裏との真ん中ぐらいで投げたらアウト。正直、僕から見たらセーフに見えました。今のシステムだとちょっとヤバかった」 

この初戦でのセーブがあったからこそ、宣投手は2年目で劇的な復活を果たしたのかもしれません。 

中村「いま思い出しましたけど、みんなワーッてハイタッチしてて、僕が星野監督にハイタッチしに行ったら思いっきり頭叩かれました(笑)。
ということは、あのボールは監督から見ると、捕れたという結論じゃないですかね」 

中村さんはその時の気持ちをハッキリ覚えていました。 

中村「やった瞬間に、勝ち負けよりヤバいと思いました。すいません。いま天を見て言ってます」 

当時の選手たちはミスをすると星野監督の顔が浮かんだとか。

そして宣投手はリリーフの大エースとして、99年の優勝にも貢献しました。 
(尾関) 
 
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2023年10月05日18時16分~抜粋

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