ドラ魂キング

中村武志が告白!1988年に中日を優勝に導いた謎のトレーニング

ゴールデンウィークも不調が続く中日ドラゴンズ。
「4月の戦績は、1988年に似ている」と話すのは中日OBで野球解説者の中村武志さん。

実はこの1988年、ドラゴンズは星野仙一監督の下でリーグ優勝を果たしています。

5月1日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』では、中村さんがダイノジの大谷ノブ彦に当時の優勝の理由を語ります。

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ホームランが出ない

「ネット記事にもなっていたんですが、中日のホームラン数を年間143試合に換算すると、たったの24本。そこにいらっしゃる守備の人でも年間20本打った年があります」(Aさん)

「そこにいらっしゃる守備の人」とは中村さん。
20本打ったのは1991年で、この年はチームで178のホームランを記録しています。
また1984年のホームラン数は191本。この年は宇野勝選手、谷沢健一選手、モッカ選手、大島康徳選手の4人がそれぞれ30本以上打ちました。

「いくら球場が広くなったとはいえ、最近の中日打線はフェンス直撃の惜しい当りも見られません。ホームランが打てない原因は何でしょう?」(Aさん)

ドーム球場になってからは、どこの球場よりもホームランは少なくなるとわかっているので攻守ともに脚を使う野球をしなければいけないと答える中村さん。
ところが…

野球は打点

中村「一時、ブランコだとかウッズだとかいた時にすごいの打ってましたけど、あそこは忘れることです。過去ですから」

元も子もない発言をする中村さん。
現在4番で期待のかかる石川選手については、重圧でバッティングフォームを崩すことが懸念材料だそうです。

中村「ホームランより打点。野球は打点です。同じ点の取られ方でも、意外とホームランって相手にダメージないんですよね」

大谷「ここまで来たら、最小ホームラン数で優勝するチームになった方がいいと思う」

優勝の年と同じ成績

「横浜戦3連敗で意気消沈です。まだ4月ということが救いです。ひとつご紹介したいデータがあります。優勝した88年のデータです」(Bさん)

1988年4月は16試合で5勝11敗で勝率3割程度。首位広島に8ゲーム差をつけられての最下位だったそうです。

しかし5月から調子を上げ、しかも7月の頭に6連敗を挟みつつ、毎月勝ち越して2位巨人に大差をつけて優勝したのです。

「つまり、まだ諦めるのは早いという事です。ナゴヤ球場みたいにホームランは出ないと反論があるかもしれませんが、チームを信じましょう。
この頃、試合に出ていた中村さん、当時のチームの4月終了時の雰囲気はどう感じていましたか?」(Bさん)

大谷「これは聞いてみたい!」

やたら走り出した

中村「Hさんの時ですね」

1988年のドラゴンズを率いていたのは燃える男・星野仙一監督。
中村さんによれば、88年4月時点でのチームは暗い雰囲気だったそうです。

中村「でも、あの時、監督が怒ったのかキレたのかわかんないですけど、あんまり技術練習しなくなったんです」

バッティング練習やピッチング練習はあまりしなくなり、とにかく走ったそうです。

中村「だから僕らはキツかった。シーズン中なのに、なんでこんなに毎日走ってるんだ?陸上部か?っていうぐらい走ってました」

5~6人倒れる

成績が上がらないので、とにかく、みんなモヤモヤしていたという当時のチーム。

中村「今でいうと脱水症状。それぐらいやりました。でもねえ、なんかスカッとするんですよね。今の時代はやっちゃダメですよ。だけど昭和の時代は、あの手この手です」

5月か成績は上向きでしたが、連敗となるとまた走ることに。

中村「ナゴヤ球場ですよ。バッティング練習なしでずっと3時間ぐらい走ってましたよ」

若手ばかりかベテランの落合博満選手も走ったそうです。

中村「一応、個人的に本数の違いはありますけど、みんな走ってた。5~6人倒れてたんじゃないですかね。でも勝っちゃうからダメなんですよ。これが正しいってことになっちゃう」

大谷「どんどん走っちゃうんだ(笑)」

勝てばまた走るの繰り返しで、結局優勝してしまった1988年のドラゴンズ。
今シーズンのドラゴンズはどうなるのでしょうか? 
(尾関)
 
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2023年05月01日17時04分~抜粋

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