ドラ魂キング

牛島和彦、キャンプが消化不良の年ほど好成績だった理由

キャンプインを控えたプロ野球ですが、不完全なキャンプほど、いい成績を残せたというのが、元中日ドラゴンズ投手で野球解説者の牛島和彦さんです。

1月26日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』では、牛島さんがその理由を語ります。
聞き手は高田寛之アナウンサーです。

[この番組の画像一覧を見る]

人にお酌はNG

「牛島さんが選手時代、キャンプで怪我をしたり病気にならないように気をつけていたことはありましたか?」(Aさん)

牛島「病気も怪我も気をつけてやってました」

ドラゴンズからロッテに移籍した牛島さん。当時のロッテ独特の食事について振り返りました。

ロッテの食堂には酒が置いてあり、いつ飲んでもよかったそうです。

ただし、自分が飲みたいだけの量を飲むというルールで、他の選手にお酌することはいっさい禁止だったとか。
その理由は、お酌を断れずに酒量が増えることを防ぐためだったといいます。

飲む前に麺類

練習後に空腹のまま飲酒すると倒れることがあります。そのため食事も考えられていたそうです。

牛島「ロッテでは、一番最初にちっちゃめの麺類が出てくるんですよ。それを食べてからお酒飲んでご飯食べ始めるみたいな」

牛島さんによるとドラゴンズはバイキング形式だったのに対し、ロッテではその日の料理がテーブルに出てきたそうです。
食事には各球団の文化があるようです。

完全ではないキャンプ

「牛島さんがロッテに移籍した時は、どんな気持ちでキャンプに参加しましたか?」(Bさん)

牛島「移籍して頑張らなきゃって思ったんですけど、キャンプの途中まであんまりできてないんですよ」

移籍した1987年(昭和62年)は、雪で川崎球場が予定通りに使えず、アスファルトの上をランニングしたら膝を痛めてしまったという牛島さん。
なんと右側の側副靱帯を痛めて歩けないほどの重症でした。

ところが牛島さんはこの1987年のシーズンで、最優秀救援投手のタイトルを獲得したのです。

シーズンもキャンプの延長

その理由を語る牛島さん。

牛島「キャンプで身体ができてないと思ってますから、シーズンに入ってもキャンプの延長みたいな感じで練習量を増やしてましたね。
そうやって丁寧にやったのが良かったのかもしれないですね」

実は万全にキャンプを終えた年は良い成績を残していないそうです。
1982年(昭和57年)、ドラゴンズが近藤貞夫監督のもとで優勝した年はリリーフエースとして活躍しました。
この年も牛島さんはキャンプの頃に身体を壊しており、投げられるようになったのはオープン戦の中盤ぐらいから。

シーズンに入ると一軍の試合で投げて、さらに二軍の試合でも投げるというように、意識的に負荷をかけていたそうです。

仲地投手への期待

「ドラゴンズのドラフト1位の仲地投手、阪神タイガースで活躍された藤川球児さんが投球フォームを絶賛していました。仲地投手はシーズン一軍での出番はいつ頃になると予想しますか?」(Cさん)

牛島さんは期待のルーキー・仲地礼亜投手を、まだ映像でしか見てないそうですが、よく曲がるスライダーを評価します。
その上で牛島さんが気になったところは…。

牛島「左足の突っ張りが早いんですよ。これでコントロールできるかどうか。コントロールに若干不安がある感じに見えましたけどね」

牛島さんの見立てでは、仲地投手は完全に先発タイプのピッチャー。
ドラゴンズの投手陣は充実しているので過度な起用はないと思われますが、問題は当人のマインド。

仲地投手に対し、牛島さんはこうアドバイスを贈ります。

「先発ピッチャーの枠に入るために、頑張らなきゃという気持ちが出てきます。試合に出たいでしょうが、無理しないようにして欲しいですね」
(尾関)
 
ドラ魂キング
この記事をで聴く

2023年01月26日18時29分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報