ドラ魂キング

新人・立浪和義がいきなりセカンド。小松辰雄が1988年のチームの空気を激白

元中日ドラゴンズ投手で野球解説者の小松辰雄さんが、11月3日放送の『ドラ魂キング』(CBCラジオ)に出演し、入団当時の思い出を語りました。
また印象深い新人選手として、立浪和義現監督を挙げました。

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三学期までちゃんと出る

今回中日のドラフト1位・仲地礼亜投手は、150キロを超える速球と6つの変化球が武器です。
小松さんの意見を聞きました。まず最初に出た言葉がこれ。

小松「男前ですね」

小松さん曰く、身体が大きいので先発タイプ。1年目からの活躍を期待しました。

小松「1年目から、無理使いすることないですしね。今は気を使って育てる時代ですからね。我々の時は全く気を遣ってもらえませんでしたからね」

小松さんは1977年(昭和52年)のドラフト2位でドラゴンズに指名されました。
当時は、高校の授業がある間はちゃんと授業に出るように、との方針だったそうで三学期まではしっかり登校したそうです。
ちなみに近年のドラフト選手は、年が明けるとすぐに入寮のニュースが流れます。

小松「だから初めてキャンプに出たのが2月の10日ぐらいかな。今は自主トレから高校生も出てますけどもね」

稲尾コーチ登場

小松「当時ピッチングコーチが稲尾さんだった。神様、仏様、稲尾様ですよ。初日「ピッチングやるか?」っていう感じですからね」

1958年(昭和33年)西鉄ライオンズに所属していた稲尾和久さんは、日本シリーズで巨人と対戦しシリーズMVPと最優秀投手賞を獲得。
「神様、仏様、稲尾様」の見出しが新聞を飾りました。

高校では一年中投げていた小松さん。冬でも体育館にマット敷いて投げていたそうです。
そのため、キャッチボールから徐々に肩を作って行くイメージはなかったそうです。ドラフト後は全然練習していなかった小松さんですが…。

小松「自分の順番になってブルペン見たら、先輩方が投げてるでしょ。こりゃ勝ったなと思いましたね。スピードだけなら俺の方が速いと思いましたもん」

ちなみに前回のゲストだった牛島和彦さんの場合。小松さんと鈴木孝政さんの間で初めて投げさせられて、「えらい世界に来てしまった」とビビったと語っていました。

新人投手残酷物語

小松「肩が"休み肩"だから軽いわけですよ。で、ガンガン投げてやったんですよ。そしたら、みんなが見に来るわけですよ。速いなって感じでね」

調子に乗って100球ぐらい投げたという小松さんですが、翌日には肩が上がらなくなってしまいました。

小松「キャンプ終わるまでずっと陸上選手です。ノースロー。そういう時代ですよ。全く気を遣ってくれませんでした」

いかにも昭和50年代のエピソードという感じです。平成、令和の世ではあり得ない話です。

権藤コーチ登場

小松「二軍に行ったらピッチングコーチが権藤さんなんですよ。だから最初のピッチングコーチが稲尾さんと権藤さんですからね」

権藤博さんも昭和を代表する投手。1961年(昭和36年)にドラゴンズへ入団すると一年目から連投。「権藤、権藤、雨、権藤」という流行語もできました。

二軍では、いきなり「俺が権藤だ。お前、俺を知ってるか?」と言われたそうです。

小松「もちろん知ってましたけども、あんまり偉そうに言われたんで、思わず『知りません』って言っちゃった(笑)」

やっぱり浪商は違う

ドラゴンズのエースに上り詰めた小松さん。
ドラフトで新しいピッチャーが入って来る度に気になったそうです。

小松「スピードには自信があったから『俺より遅えな』と思ってました。牛島は二つ下で、ちょっとやんちゃでしたね。車はトランザムじゃなかったかな。やっぱり浪商は違うなと思いましたね」

浪商高校では、二年生の春の選抜、三年生の春の選抜、夏の選手権と3度甲子園出場を果たした牛島和彦さん。当時の甲子園のスーパースターでした。
1979年(昭和54年)のドラフトで、ドラゴンズが1位指名しました。

小松「フルカウントからフォーク投げるようになったのは、牛島くらいからじゃないですかね。
身体はそんなに大きくはないが、度胸とフォークがあった」

ヤバいと思った後輩

ドラゴンズのエースとして自信満々だった小松さんでも、自分の立場が危なくなると思った後輩がいたそうです。それは近藤真一投手。

1986年(昭和61年)のドラフトでは、5球団が1位指名して競合。交渉権を獲得したドラゴンズに入団しました。

小松「いい選手取ったなと思ってね。いきなりノーヒットノーランやるしね。運が悪くて肩を壊しちゃいましたけど」

鮮烈なデビュー戦を飾った近藤投手。
1987年8月9日。ナゴヤ球場で行われた巨人戦。プロ野球史上初の初登板でのノーヒットノーランを達成しました。

いきなりセカンド

野手で印象に残っているのは、現在の監督である立浪和義さん。
入団1年目の1988年(昭和63年)、宇野勝選手をセカンドにコンバートしてショートを務めました。

「これは星野監督の大英断だった」と言う小松さんですが、チーム内の空気はどうだったのでしょうか?

小松「結果出しましたからね。宇野さんも守備は悪くないですよ。でも印象があるんで」

1981年(昭和56年)8月4日の巨人戦。先発し完封を狙っていたのは星野仙一投手。
ところがショートの宇野選手がフライ球を捕球失敗、ボールはサッカーのヘディングのように見事な放物線を描いて跳ね返りました。

このシーンが珍プレーとして何度もテレビで放送されたため、宇野さんといえばヘディングの印象がついてしまいました。

小松「宇野さんをセカンドに押しのけて立浪を使うのは、星野さんしかできないんじゃないかな。しかも、そのことに文句言わせなかった立浪はセンスの塊ですよ」

さすがミスタードラゴンズです。 
(尾関)
 
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2022年11月03日18時30分~抜粋

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