ドラ魂キング

追悼・「一発長打の大島君」の思い出

6月30日、中日ドラゴンズ、日本ハムファイターズで活躍した大島康徳さんが逝去されました。

7月5日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』では、ダイノジの大谷ノブ彦、清水藍、CBC論説室の北辻利寿特別解説委員が大島さんを偲び、選手時代を振り返ります。

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大島選手の思い出

北辻「背番号40番で“一発長打の大島君”だった頃は、ここぞという時に代打でホームランを打ってくれたんですけど、まだちょっとムラがあったんですよね」

ドラゴンズ応援歌と知られる「燃えよドラゴンズ!」の1974年バージョンでは、5番の歌詞に代打陣ばかりが並んでいます。
その最初に出てくるのが大島さんです。この年のリーグ優勝に貢献しています。

背番号5をつけた頃からバッティングが安定してきて、近藤貞雄監督の野武士野球では5番バッターとして活躍。1982年のリーグ優勝に貢献しました。

大島選手の活躍は猛練習の賜物だったそうです。
「ガッツありましたよね」と北辻委員。
 

限りある命を自覚する

大谷「大島さんの資料を見てたら、ご自身が練習に目覚めたきっかけは、27歳の時に、2つ上のお兄様を亡くされたことだったんですね」

「このままでは自分はダメだ。何も打ち込んでないじゃないか」と、自分の命に限りがあることを思って猛練習を開始したそうです。
基礎練習から始めて、バットを振る量を増やしたら成績が安定してきた大島選手。

北辻「代打男だった最初の頃は、まさか将来、2000安打打って、監督までやる選手になるとは、正直思ってなかったです」
 

星野さんとは同期入団

中日新聞夕刊に連載されている、「この道」という大島さんの手記を読んできたという北辻委員。
ちょうどガンが見つかった回だったそうです。

内容は、星野仙一さんに電話するところから。ちなみに大島さんと星野さんは同じ1968年のドラフトでドラゴンズに入団。星野さんがドラフト1位で、大島さんがドラフト3位でした。

「何かあったんだろう?おまえは困った時しか電話してこないから」と言う星野さんに、大島さんはガンの報告。

「どこで手術するんだ?そこなら大丈夫だ、心配しなくていい」と励ます星野さんですが、その時、既に星野さんも膵臓ガンを患っていたというエピソードだったそうです。

北辻「当時の活躍を振りを返って、ご冥福をお祈りしたいと思います。その大島さんが今、ドラゴンズを見たらどう思うか?ここですよね」
(尾関)

選手起用の謎

「いいんですけど、4日は、一軍に今までいたメンバーを組み替えただけなんですよね。二軍からは誰も上げて来てない。ここが残念でした」と北辻委員。「非常に謎があります」と言う大谷。

6月29日、DeNA戦で京田選手が一軍復帰しました。しかし即、使わず、30日途中からの起用。30日の結果は2打数1安打。翌7月1日のヤクルト戦は3三振とセカンドフライでした。

「なぜか京田選手を上げたその日に使ってないんですよね。僕らとしては、二軍でしっかり日焼けした京田選手が、ここで躍動するかと思ったらちょっとズッコケちゃいましたよね」と大谷です。

「二軍から上げたら即使うっていうことが大事なんじゃないかな」というのが北辻委員の意見です。
 
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2021年07月05日17時00分~抜粋

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