ドラ魂キング

ドラゴンズ往年の名選手・大豊泰昭さんが突然練習した意外な場所

『ドラ魂キング』の1コーナー「彦野利勝のドラゴンズプレイヤー列伝」では、元中日ドラゴンズ選手で野球解説者の彦野利勝さんが、往年の中日ドラゴンズの名選手に関するエピソードを紹介しています。

11月17日の放送で紹介したのは、大豊泰昭さんでした。

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94年に二冠を達成

大豊さんは1963年(昭和38年)台湾生まれ。

王貞治さんに憧れ、高校卒業後日本に行こうとしますが、当時は20歳まで出国できない決まりだったため、2年間母校でコーチを務めました。

そして名古屋商科大学に入学した後は、日本人選手扱いとして日本プロ野球界入りするため、ドラゴンズの球団職員として1年間在籍。

1988年(昭和63年)のドラフトで2位指名となり、晴れてドラゴンズに入団しました。

星野監督の下でルーキーイヤーからスタメンの地位をつかみ、14本塁打といきなり活躍。

1994年(平成6年)には、38本塁打107打点でセ・リーグの二冠王に輝きました。

1998年(平成10年)、交換トレードでタイガースに移籍しましたが、2001年(平成13年)にドラゴンズに復帰し、翌年に引退。

引退後は名古屋市内で中華料理屋『大豊飯店』を経営しながら、ドラゴンズのアジア地区スカウトも担当し、台湾から日本への入団に導きました。
 

優しかったエピソード

大豊さんは彦野さんの1歳年上ですが、前述の通りデビューが遅かったため、選手としては7年後輩ということになります。

優しい人柄だったそうですが、リスナーからはさまざまな思い出に関するおたよりが届きました。

「錦にあった大豊さんの店にランチを食べに行きました。大豊さんは店の奥で座っているんだろうなと思ったら、お客さんが帰った後のテーブルを何度も何度もきれいに拭いていました。
とても野球界で活躍した方には見えず、すごい人だなと思いました」(Aさん)

「小学生の頃、人生で初めて甲子園球場に野球観戦に連れて行ってもらいました。その時に大豊さんがホームランを打ちました。
生まれて初めてプロ野球選手のホームランを見たのは、大豊さんでした」(Bさん)

「彦野さんがサヨナラホームランを打った後、一塁を回った所で負傷。その後、大豊さんが彦野さんをおんぶして回ったのが印象的でした。優しくて力持ちのイメージが強いですね」(Cさん)

彦野さんはもちろん覚えていて、大豊さんを「人間タンカー」と例え、その時は「変な話ですけど、よくお父さんの背中なんていう表現をするじゃないですか。僕もその時は大人ですけど」と感じたそうです。
 
彦野さんは、大豊さんについて優しいと同時に真面目な印象があったそうで、融通があまり利かないという面もあったため、「もうちょっといい加減になったら?」と言っていたそうです。

毎日、球場で早くから練習していて、30分から1時間ほどのバッティングピッチャーとの打撃練習で、ほとんどホームランを打っていたため、彦野さんが「たまには止めたら?」って思っていたぐらい。

練習が終わってロッカーに戻っても、ずっとバッティングのことを考えていたそうで、食事の最中であっても、思い立ったらいきなり一本足になったりすることもあったそうです。

彦野「一番ビックリしたのは、新幹線の通路で急に立ってやりだしたりとか」

加藤由香アナ「動いてる新幹線でってことですか?」

彦野「そうそう。何でっていうと一応理由があって、揺れてて不安定でしょ?そこで立てなきゃいけないと。鍛えてるんでしょうね。……迷惑ですけど。売り子の人とか通れませんよ(笑)」

野球に対してまっすぐだったことがよくわかるエピソードですね。

その大豊さんですが、2015年(平成27年)に病気で亡くなられています。
今でも若くして残念と、惜しむ意見のおたよりが番組にたくさん届いていました。
(岡本)
 
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2020年11月17日18時15分~抜粋

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