ドラ魂キング

宮部和裕アナ、高木守道さんの取材メモを振り返る

今年1月、中日ドラゴンズの元監督で野球解説者の高木守道さんが急逝されました。

高木さんを「少年時代からの憧れ」と語るCBCの宮部和裕アナウンサーが、今回高木さんのお世話になった解説時代に感謝し、取材メモを振り返ったエッセイを綴ります。

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福谷投手を指名した監督

「監督は、ボクを一位指名してくださった方。直接お話ししてくださる機会が多いわけではなかったので、一つ一つの言葉が、とても心に残っています」

こう語るのは、今やドラゴンズの先発ローテーションの軸の一人、プロ8年目の福谷浩司投手だ。

「監督」とは、去る1月17日に78歳でご逝去された高木守道元監督。
ミスタードラゴンズ、バックトスが代名詞の名内野手として多くのファンを魅了した高木守道さん。
追悼試合は、春先にナゴヤドームと故郷、岐阜長良川球場での予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大に伴い延期。

今週末10月10日の土曜にナゴヤドームで、そして11日の日曜に、あの"10.8決戦"の舞台、ナゴヤ球場で開催される。
 

9年前に訪れた、運命のタイミング

ローテーション順でいくと、同カードでの先発が予想される福谷投手だが、守道元監督との出会いは、9年前、ドラフト会議直前の神宮球場。
ナイター前、守道元監督が屋内練習場からメイン球場へ早めに移動すると、東京六大学リーグ秋の終盤戦が行われていた。そこで、慶応義塾大学のストッパーとして登板する福谷投手の姿を、目の当たりにしたのだ。

私は、遠征に同行取材できたお陰で、その運命的なひと言を直接耳にすることができた。忘れられない守道元監督の呟きはこうだ。

「右打者の外角低めに、力のあるボールを投げとるねえ」

もちろんスカウト陣からの報告もあがっていたことだろう。ただ何よりも、ドラゴンズの公式戦がビジターの神宮であったことと、当時の福谷投手が、ケガからのカムバック直後で、リリーフだったことが生んだ運命のタイミング。

そして、元監督は、その眼で直接確認できた逸材を、数日後のドラフト会議で一位指名。会議終了直後、慶大野球部合宿所へ駆けつけるサプライズ訪問、自ら福谷投手にドラゴンズの帽子を被らせ、感激させた。
 

待ち望んだ「力のある」先発投手

守道元監督は語る。

「本当に力のあるボールを投げる先発投手が欲しいんです。先発ができると聞いている」

その後、ケガなど紆余曲折ありながら辿り着いた現在の姿を、誰よりも待ち望んでいたことだろう。

福谷投手本人も改めて振り返り、迎える登板へ意気込んだ。

「監督は、小さい頃からテレビで見ていたイメージより、温厚な方でした。新人で初めて一軍に呼んでいただいた時、失敗は気にせず、どんどん腕を振って投げてくれよ!と、直接声を掛けていただいたのが印象深いです。話せる機会が多いわけではなかったので、一つ一つの言葉がとても心に残っています」
 

ミスタードラゴンズの継承者

一方、福谷投手の一年前のドライチは、高橋周平選手。

2011年秋、守道元監督、二度目の監督就任直後のドラフト会議。まさに初大仕事。東海大甲府のスラッガーは、競合必至と言われていた。
守道元監督は当日朝のホテルの自室で、

「窓を開けたら、綺麗な天気で、富士山が、右手に見えた。つまり、甲府の青年を右手で!」

と、3球団競合の末、抽選で交渉権を勝ち取った。

現役時代は、いぶし銀の寡黙な名プレイヤーだった守道さんは、監督再就任会見時から、敢えて『JOIN US』を合言葉に、努めてユーモアをもって雄弁に語った。

高橋選手ドラフト会議直後も、

「最近の左打者は走り打ちが多いが、彼は、腰が据わって、軸足で踏ん張って打てている。ホームランを打てる選手だなと。ウチの看板内野手として、何十年と守れるように」

と、"ミスタードラゴンズ"の継承すら匂わせた。
 

追悼三連戦へ挑む「二人のドライチ」

さすがにそれでも、入団直後のまだ高校生の一軍オープン戦帯同は重荷に見えた。そんな中、守道元監督の呟きが忘れられない。

「いろんなこと考えんでええ。とにかく今は、お前さん、強く引っ張りゃあ。それができる選手はなかなかおらん」

左打者が、ライトスタンドへ、しっかり引っ張る。これができていれば、センター返しも、流し打ちも、あんたのセンスがあればできる!相手投手も勝手に恐れてくれる!ということなのだろう。
まさにそれは、現在の周平選手が近づきつつある姿ではないか。

さあ、守道元監督が、ドラフト会議で、いの一番に指名した二人が、追悼試合のあるジャイアンツ三連戦でも躍動する。燃えよ、ドラゴンズ
CBCアナウンサー 宮部和裕
 
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