6月1日『ドラ魂キング』では、パーソナリティーの大谷ノブ彦(ダイノジ)が、1972年リリースのボビー・ウーマック「110番街交差点」(原題:Across 110th Street)を選曲しました。
この曲がリリースされたのは大谷が生まれた年。この曲をきっかけに、自分が生まれた年の出来事について語り始める大谷と、清水藍です。
血がたぎる曲
大谷「僕が生まれた年にリリースされた曲で、聴くと血がたぎりますね」
この曲は同名の映画『110番街交差点』(監督:バリー・シアー)の主題歌でした。
『110番街交差点』はブラックスプロイテーションというジャンルの映画です。ブラックスプロイテーション映画は、主に郊外に住むアフリカ系アメリカ人をターゲットとして作られ、B級映画のカッコよさ満載。
もちろん主演は黒人俳優。ダウンタウンが舞台で、ポン引き、麻薬密売人、ヒットマンなどが出てくる内容が多く、1970年代初期に一大ブームになりましたが、黒人の地位向上とともに、そのネガティブイメージが災いして1970年代後半には一気に姿を消しました。
大谷「クエンティン・タランティーノが『ジャッキー・ブラウン』で思いっきりこの曲を使ってました」
1997年の映画『ジャッキー・ブラウン』のオープニング、主演のパム・グリアの横顔が移動して行くバックに「110番街交差点」が流れます。
自分の生まれた年のヒット曲
「最近、家にいることが多くてYouTubeで自分の生まれた年にヒットした曲を聴いています」(Aさん)
「わかるわかる」と頷く大谷。
Aさんは1989年、平成元年生まれで当時はバンドブーム真っ只中。
「特に最近はバービーボーイズ、『目を閉じておいでよ』にハマってます。今でも全く古い感じはしないと思いました。
ちなみに大谷さんの生まれた1972年に流行っていた曲は、ちあきなおみさんの『喝采』です」(Aさん)
大谷「ちあきなおみの『喝采』大好きですけどね。ホントに歌上手いよ。この人一番うまいんじゃないかなぁ。全然古く感じないですね」
1991年のヒット曲
大谷「ちなみに清水さんは何年生まれですか?」
清水「1991です」
この年はCHAGE and ASKA「SAY YES」が大ヒットしました。オリコンシングルチャートで51万枚を売り上げて初登場1位。翌年もヒットし続けて、累計282万枚以上売れたそうです。
この年から2000年ごろまでは、ミリオンを超えるのが当たり前のような感じでCDがどんどん売れる時代でした。同様のミリオンヒットには小田和正「ラブストーリーは突然に」がありました。
大谷「『ラブストーリーは突然に』のイントロのトゥキュトゥトゥーンっていうギターは松たか子さんの旦那さんですよね。ギタリストの佐橋佳幸さん」
自分の生まれた年の事件
大谷「自分の生まれた年を調べると面白いよね。僕は1972年、沖縄が日本に返還された年なんだけど、1月に、あさま山荘っていうとこに連合赤軍が立てこもったんです」
1972年2月19日、長野県軽井沢町にある保養所「浅間山荘」に、新左翼の過激派「連合赤軍」のメンバー5人が、管理人の妻を人質に立てこもりました。警察は山荘を包囲し、解決までに10日を要しました。これが「あさま山荘事件」です。
テレビ局は編成を変更し、ひたすらこの模様を中継しました。視聴率が70%とも90%とも言われます。
大谷「警察の人が食べてるあの美味しそうなものは何だ?って、それでカップヌードルがバカ売れしたらしいですよ。それが72年」
前年の71年に日清食品が発売したばかりのカップヌードルは、包囲する警察官たちの非常食として配布されました。彼らが食べる姿が中継によって映し出され、一気に普及しました。
現在では世界に広がるカップヌードルですが、どういうきっかけで普及するかわからないものです。
1991年には何があった?
続いて清水が生まれた1991年について。
清水「とりあえず覚えてるのはベルリンの壁崩壊とか、そういう時期だったのを小学校の時調べた気がしますね」
大谷「ベルリンの壁崩壊って89年じゃないの?壁が崩壊したのは91年なのか?」
ベルリンの壁が崩壊したのは大谷の言う通り1989年です。1991年はソ連崩壊の年。清水の勘違いでした。
ベルリンの壁崩壊当日には、ベルリンにチベット仏教の指導者、ダライ・ラマ14世が来ていたり、翌年には崩壊直後の壁の上でかまやつひろしさんが「バン・バン・バン」を歌ったり、というエピソードもありました。
大谷「面白いですね。リスナーのみなさんも、生まれた時のホットトピックをチェックして送ってもらいたいですね」
(尾関)
ドラ魂キング
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2020年06月01日17時03分~抜粋