ドラ魂キング

彦野利勝のバッティングを変えた、星野仙一さんの一言とは?

1月9日の『ドラ魂KING』では、野球解説者の彦野利勝さんが4日に亡くなられた星野仙一さんとの思い出を振り返りました。

彦野さんのバッティングを変えた星野監督の一言など、ドラゴンズファンなら思わず納得のエピソードが満載です。

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気分はクリーンナップ


彦野さんは、星野監督がドラゴンズを優勝に導いた1988年、一番バッターでした。
この年に初めて規定打席に到達し、ゴールデングラブ賞も獲得しています。

「88年もまずまず自分ではやれた年なんですけども、実は次の89年が僕のキャリアハイなんですよ」

1989年は26本のホームラン。14年間の現役生活で最もホームランの多い年でした。

「ちょっと勘違いした年でしたけども。オールスターまでに18本打ったんですよ。勘違いしますよね」

ホームランが多かった反面、この年のバッティングは、ついつい振り回し気味になることが多かったそうです。

「一番バッターって初回だけは一番バッターですけど、試合が始まってしまえば一番じゃないというのが僕の持論だったんです。だからクリーンナップのような気持ちでやってたんです」

懲りない男


彦野さんは、1985年に優勝した阪神タイガースで、一番バッターだった真弓明信さんに憧れていたそうです。85年に真弓さんが打ったホームランは34本。

「ものすごく憧れてましたから、なんとか30本までっていう気もありました。ある時の金沢の試合で、先頭でいきなりホームランを打ったんですよ。気分良かったんですね。二打席目も、同じようにまたレフトスタンドに放り込んでやろうといったら、とんでもないボールを振ってファーストフライだったんです」

この時には「それではアカン、調子に乗るな!」とベンチですごく怒られたそうです。そして迎えた第三打席。

「ちょっと反省して、普通に打ったら、またホームランだったんですよね。そしたら、また頭ん中が緩んだんですね。四打席目で、また狙ったらショートゴロです。また怒られました」

一試合で2本のホームランを打って、なおかつ二度怒られる人は、そうはいません。

「それも同じことで怒られちゃいましたもんね」

一番らしくない一番


実はこの金沢、彦野さんが生まれたところで、半分地元みたいなもので気分が良かったそうです。それだけに、怒られたことに納得できない部分もあったとか。

「二本打ってるんだぜ、今日は5割じゃねえか、とね。
一番バッターっぽくないのが俺の魅力で、だからこそ、星野監督は俺を一番バッターで使ってくれてるんだと思い込んでましたね。今でも、そうじゃないかと思ってるんですけど」

三振と凡打は違う


この1989年、彦野さんは82もの三振をしています。100に届こうかという数字です。
フォアボールよりも三振の方が多い一番バッターでした。

「あの時は振り回してましたから、やたら三振も多かったんですよ。だから、ある日のインタビューで『三振も凡打も一緒だ』って発言してしまって、星野監督はそれをどっかでお聞きになったみたいで…」

試合前のウォーミングアップ中に、フラッと来て冗談でなごませてくれる星野監督ですが、ある時、真面目な声で「お前、こんなこと言ってたらしいな」と話しかけてきました。
思わず「ハイ」と返事をした彦野さんに、星野監督がこう言ったそうです。

「三振と凡打は違うやろ?三振っていうのは何も起きない。それで終わり。アウトになってしまうんだ。凡打っていうのは前に飛ぶことや。な?」

監督の言葉で変わった打撃


この言葉をこう捉えた彦野さん。

「前に飛べばエラーもあるし、何が起こるかわからない。だから、もうちょっとしつこいバッターになれよ、という意味だと思うんですよ。それを初めて言われました」

星野さんが言おうとしたのは、ホームランを打つのも大切だが、勝負強くしぶといバッターになれ、ということです。

「それで僕のバッティングはだんだん変わっていったんですよ。ホームランを止めたわけじゃないんですけど、少しずつ反対方向にも、という意識も出て来て、最終的には、ちょっとしつこいバッターになれたんで、そこが転機でしたね」

そのため翌1990年の彦野さんの三振は51にまで減っています。

「そういう失敗もあって、星野監督のその一言で変わった。だから、キャリアの高い時に星野監督でよかったっていうのはありますね」

ピッチャー出身である星野さんが、投手目線で嫌なバッターになれ、という指導だったのでしょう。
多くの選手に影響を与えてきた星野仙一さんの野球観の一端がうかがえるエピソードでした。
(尾関)

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2018年01月09日18時19分~抜粋

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