人生の転機
こどもの頃は憧れがあったとはいえ、高校・大学時代にはプロ野球選手になるという意識は笠原投手に無かったそうです。
県予選で佐藤和也監督率いる名門・新潟明訓高校に敗れ、高校野球生活が終わった笠原投手。
理学療法士を目指し、新潟医療福祉大学の受験勉強をしていました。
ところが、大学に野球部が新設されることになり、佐藤監督が就任するという話を笠原少年は知ります。
そこで野球を続けていこうと思い直し、当初志望していた学科から、野球部ができる健康スポーツ学科に変更。一般入試を通って入部したのでした。
ただ大学でも「できれば社会人野球に行ければなあ」というくらいの気持ちだったそうです。
しかし、創部1年目で先輩もいないため試合に出る機会が多く、めきめきと力を付けていったのでした。体重も10kg以上増えたといいます。
肩を酷使しておらず、急成長したことからまだまだ伸びしろがあるとスカウトから判断され、見事プロの道を進んでいくのでした。
ステップアップの1年
初めてのプロのキャンプを完走し、オープン戦に4試合起用されますが、終盤の試合で打ち込まれ惜しくも開幕は二軍スタート。
そこで、投球フォームが固まってないと感じた笠原投手は、大学時代の動画を改めて見て、全然違っていると確信。当時のフォームに戻そうとしました。
すると、段々良くなっていったそうです。
「大学時代の投球を見てプロに評価された訳だから、戻せば良くなると思って」と笠原投手。
まさにドラゴンズのスローガン"原点回帰"そのものですね。
そしていよいよ6/30、広島東洋カープ戦でプロ初登板。二軍とは丸っきり違う雰囲気でしかも敵地・マツダスタジアム。
ただオドオドせずいい緊張感の中で投げられたと笠原投手は言います。
その後一旦登録抹消されるも、再び9/1に一軍に上がるといきなりプロ初先発。しかも高校時代は手の届かなかった甲子園球場です。
「夢のまた夢の場所だったんで、楽しかったです」と語る笠原投手。緊張のマウンドを楽しむとは、結構度胸が座っているようです。
9/18には読売ジャイアンツ戦でプロ初勝利。
10/3には横浜DeNAベイスターズ戦で負けたもののプロ初完投。
プロでも徐々に成長していっています。
小さいことは気にしない♪
その後、「こんなこと、あんなこと、自分のことどこまで知ってるのクイズ」というコーナーでは、こんな問題が出題されました。
問題「ルーキーイヤーを過ごした笠原投手。チームメイトの1人、小笠原慎之介投手に聞きますと、笠原投手はどんな人と答えたでしょうか?」
笠原投手「どんな人ですか…うーん。『絡みやすい人』とかですかね」
ブーッ!ハズレです。
正解は「優しいし、方言も使うので面白い人」でした。
そして、「すごくいい人。僕の同期で言うと佐藤優さんみたいに優しい。けれど、マウンドでその優しさが出るのが佐藤優さんで、笠原さんはその優しさがマウンドで出ない。ポーカーフェイスですね」とも。
ちなみにクイズは全5問で、正解は1問でした。
このクイズはゲスト本人を題材にしていて、自分のことだから簡単に答えられるものが多いハズなのですが、いちいち気にしない鈍感力に長けているとも言えなくもありません。
ええ、きっとそうです。いい加減とかじゃないんです。
謎の食べ物、イタリアンとは?
リスナーから笠原投手あてにたくさんの質問メッセージが届いたので、その中からこのおたよりを紹介しましょう。
おたより「地元新潟で、オススメの食べ物と観光地はありますか?また、笠原投手がにいがたで好きな食べ物があったら教えてください」
笠原投手「『みかづき』っていうチェーン店があるんですけど、そこの"イタリアン"っていう、太麺の焼きそばにミートソースみたいなのをかけたものが有名です」
全国的に「イタリアン」と言えばパスタやピザのことを言いますが 、新潟で「イタリアン」と言えばこちらの方。
1960(昭和35)年に新潟の繁華街・古町(ふるまち)にあった甘味処「三日月」が 始めたメニューです。
自家製太麺とキャベツ・もやしを特製ソースで炒め、粉チーズで味付け。
白生姜を添え、特製トマトソースをかけて提供しています。
麺の見た目や歯ごたえは焼きうどんのようですが、中華麺なので「焼きそば」なのです。
これが今や新潟のご当地グルメ、ソウルフードとなっているのです。
ちなみに「みかづき」と経営者同士で親交のあった「フレンド」というチェーン店もイタリアンを提供しています。食べ比べてみるのも一興ですね。
これからもどんどん活躍したら、新潟観光大使に任命されるかもしれない笠原投手でした。
(岡戸孝宏)