2017年7月24日(月)

ショック!祇園祭のちまきは食べられない!しかし食用ちまきが登場!

つボイノリオの聞けば聞くほど / カルチャー

毎年7月1日から1ヶ月間に渡り繰り広げられる、京都の夏の風物詩・祇園祭。
7/21の放送では、その祇園祭に関する話題でひと盛り上がりしました。

山鉾(やまぼこ)と呼ばれる美しい装飾の山車(だし)が、京都市内を練り歩く「山鉾巡行」は祇園祭のハイライト。
その様子は「動く美術館」と称賛されるほどです。

京都でもラジオのレギュラー番組を持ち、京都とは縁の深いパーソナリティー・つボイノリオが、その祇園祭である“革命”を体験したといいます。

祇園祭の起源とは?

その前に、まずは祇園祭についておさらいしましょう。

京都市東山区の八坂神社で行なわれる祇園祭。そのルーツは西暦869年、平安時代の貞観(じょうがん)11年にまでさかのぼります。

二条城のすぐそばにある寺院・神泉苑(しんせんえん)。元々は宮中に造られた大庭園でした。

「神泉苑というのは、京都で一番古いお庭と言ってもいいでしょう。794年の平安京遷都とほぼ同じ時期にできた場所で、いろいろ神事も行なわれてきました。弘法大師(空海)もあそこで雨乞いをやったんですよ」と語るつボイ。

824年、空海が天竺から竜神・善女竜王(ぜんにょりゅうおう)を呼び寄せ、雨乞いに成功したと伝えられています。
それ以来、神泉苑の池には善女竜王が住むようになったとか。

「隣には平八(へいはち)という、美味しいうどんの鍋の店がございます」と、サラッとグルメ情報も挿し込むつボイ。
さすが、長年ラジオ界を引っ張ってきただけあって、話を飽きさせません。

さて、当時は「恨みを残して亡くなった死者の怨霊が祟り、疫病や災害を引き起こす」という考えがありました。
その怨霊の怒りを鎮めるための儀礼が、御霊会(ごりょうえ)。

貞観11年、京の都を始め全国的に疫病が大流行しており、その対策として、神泉苑に66本の鉾(矛)が立てられました。
66というのは、当時の日本にあった国の数にちなんだもの。鉾に諸国の悪霊を移らせ、祓い清めるという意味があったのです。

更に、牛頭天王(ごずてんのう)という、疫病を防ぐ神様をまつり、鎮静を図ったのでした。
ちなみに牛頭天王はスサノオノミコトの化身とも言われています。
これが「祇園御霊会」。祇園祭の起源とされています。

過去から学ぼう

実は、同じ年の貞観11年、陸奥国(むつのくに。現在の青森・岩手・宮城・福島・秋田辺り)で大地震が起こりました。
これは貞観地震と呼ばれ、津波も発生し多数の犠牲者が出たといいます。
その数年前からも、全国で頻繁に地震が起こったり、富士山が大噴火したりするなど、天変地異が多発していたそうです。

そのため、祇園御霊会は単に疫病だけではなく、こういった自然災害も含めた社会不安を振り払うための催しだったという話もあります。

ところで、上記の貞観地震、似ていると思いませんか?
そう、2011年に起こった東北地方太平洋沖地震。これと同じような規模の地震が、遥か昔に発生しているのです。

これに関してつボイは警鐘を鳴らします。

「東日本大震災の時は『想定外のことが起こりました』とよく言われました。けど、想定外じゃないんです。文献では、過去にものすごい地震があったとわかってるんですよ。想定外という言葉で逃げてもらいたくないです」

祇園祭の見所は山鉾だけじゃない!

現代の祇園祭に話は変わります。

年によって詳細は変動しますが、2017年現在、7月17日の前祭(さきまつり)では23基、7月24日の後祭(あとまつり)では10基の山鉾が披露されます。
合計33基の山鉾は、八坂神社の近辺にある33の町が、それぞれ保存・運営しています。その町を山鉾町(やまぼこちょう)と言います。

山鉾は、祇園御霊会の66本の鉾のように、悪霊を祓い清める役割を持ちます。その山鉾が通って先祓いした後の道を、神様がお乗りになった神輿(みこし)が通るという流れになっているのです。

つボイは以前、町内の方の厚意により、その神輿を担がせてもらったといいます。

「かなり重い神輿でしたねえ。それで京都の町をずーっと行って、榊(さかき)の葉をピッと取って店に入るだけで『いらっしゃいいらっしゃい!よう来てくれた!』と大歓迎。その榊1枚で酒を一杯でも二杯でも飲める。普段は入れないような店でももてなしてくれて、神様の使いに一瞬なれます」

山鉾巡行だけじゃなく、後からくる神輿も見所ですよと話すのでした。

エアーちまき?

ここでリスナーから質問のおたよりが。
「テレビで祭の中継をみていたんですが、祇園祭では“ちまき”を食べるんですか?」

あの、端午の節句に食べる菓子でおなじみの粽(ちまき)?もう7月なのに?

京都に詳しいつボイが説明します。

「大概、初めて祇園祭に行って、ちまきを買った人は、家で開けてみてガッカリするんですけれども(笑)、あのちまきは食べるヤツじゃないんですよ」

見た目は食べるちまきと見分けがつきにくいのですが、中には何も入っていません。
玄関の上のほうに飾る縁起物で、しめ縄のようなものだといいます。

こんな言い伝えがあります。

昔、ある男の家に、みすぼらしい姿に変装した牛頭天王(スサノオノミコト)が訪ねてきて、一夜の宿を求めました。その男は貧乏でしたが、手厚くもてなしました。その心遣いに喜んだ牛頭天王はお礼に「お前の子孫は末代まで私が守ってやろう。目印に、腰に鉾(矛)の輪を付けていなさい」と言い残していきました。
そのおかげで男の一族は、疫病にも負けず繁栄していったのでした。

この時のお守りになった矛の輪は、「矛」を束ねて「巻」いたもの…ということから、「矛巻(ちまき)」と呼ばれ、食用のちまきになぞらえて、似たような見た目になったのだとか。

時代と共に祭も変わる

各所の山鉾町や八坂神社で売られているという、このちまき。先日、つボイが仕事のついでに山鉾町グルッと回ってきたところ、ある町で衝撃のセリフを耳にしたというのです。

「ちまき、いかがですかー!食べられるちまき、いかがですかー!食べられますよー!」

初めてそこを訪れた人は「当たり前やないか!」と心の中でツッコミを入れてたことでしょう。

酉の市で「熊手、いかがですかー!落ち葉をかき集められる熊手ですよー!」と言ってるようなもんですね。いや、ちょっと違いますね。

どこの山鉾町で売られていたのか失念したというつボイ。いつから販売され始めたのかわからないが、食べられるちまきの存在を今年初めて知ったといいます。

その後のリスナーからのリアクションで「今年から、岩戸山(いわとやま)という町で、売り始めたそうです」というおたよりが紹介されました。

ですが、ネットで調べてみると実は2015年から販売しているそうです。
更に言うと、2007年から黒主山(くろぬしやま)という町ですでに販売されていました。こちらは、黒糖風味の生麩でできた独特のちまきだそうです。

どちらの町も、食べられないと知ってガッカリする観光客が多かったので、販売を始めたのだとか。

平安時代から続く由緒ある祭も、時代のニーズに合わせて変わっていくのでしょうね。
(岡戸孝宏)

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