2017年6月6日(火)

【エッセイ】ラジオ化するテレビ -その3- トライ&エラーです。

RadiChubuスペシャル / カルチャー

「ラジオ化するテレビ」という話を書いています。

このRadiChubuの担当者からは好きなように書いてくださいとのお墨付きを頂いておりますが、頂いているとはいえ、怒られちゃうんじゃないか、東海3県の方々の心象を悪くしてしまうのではないか、前に郡上八幡で食べた焼肉の店のことや、夜10時半頃の錦三は最近どうなのかなどを気にしながら、放送とは何かを考えています。

ビバラジオ!リスペクト小堀勝啓!

前回は小堀勝啓さんのテレビ番組『ミックスパイください』(CBCテレビ 1990-1999)が、その後の夕方のテレビ情報番組のはしりだったことを書きました。アニメやドラマの再放送が並んでいた夕方のテレビの時間帯に、本格的な情報番組として、全国に先駆けて始まっています。

それは単にスタート時期が早かったというだけでなく、新しいことを取り入れていったことで、それまでのニュース・情報番組とは違う向きのテレビ番組の時代がやってきました。
ラジオの人気者をテレビに出すことで、テレビの司会者然としていた人のおしゃべりから、ちょっとだけフランクに、自由なお喋りがテレビから聞こえるようになりました。フロム名古屋!

ゴールデンタイムでは大失敗?

ところで、この当時、ゴールデンタイム・プライムタイム(夜の7時~11時)で「ラジオっぽいテレビ」をやると、なかなか上手くいかなかったようです。

東京のキー局は、大物タレントがMCを務めるゴールデンタイムの情報番組(もちろん全国ネット)に、FMのバイリンガルのDJを起用して、スタジオの一角にラジオブース風のセットを構え、そこで情報を紹介し、CMの前に「Coming Up!」みたいなことを言う番組を放送していましたが、尖りすぎていたのでしょうか。半年を待たずして終わってしまいました。

また、かの『ニュースステーション』(1985-2004 テレビ朝日)はこの頃、もっと大胆に、スタジオのセットを映さずにその日のニュースを放送した日がありました。
代わりに夜の東京を走る車の中からの映像をずーっと映し、声だけは久米宏さんらの声を流す試みをやったところ、苦情が殺到したそうです。まぁ、言ってしまえば「やりすぎた」。

もっとも、今の時代、夜のTVニュース番組で、ラジオっぽくキャスターが向き合って喋っている番組がありますけどね。

やっぱり深夜か、深夜なのか。

反対に深夜番組などでは、ラジオ的な試みが数多く定着しました。

予算が少ない深夜番組でミュージックビデオを紹介する番組などは、ラジオ出身の喋り手を起用し、曲と曲の合間にレコードやCDを持って解説するなど「ラジオに画面がくっついてきたテレビ番組」というのが80年代のMTVブームの頃のトレンドでした。

かの”We are the world”のあたりから、海外ミュージシャンがビデオクリップを作り、ビジュアルを重視した時代、日本のテレビでそれを紹介する際は「ラジオのビジュアル化」というフォーマットに落とし込んでいったのは、面白い傾向だと思います。

一方でトークだけの番組もまた、ラジオで喋りを磨いてきた人が、テレビカメラを意識せずに喋りまくる番組が多数登場しました。代表的なのは『鶴瓶・上岡 パペポTV』(読売テレビ 1987-1997)。

とはいえ、スタジオのセットやお客さんを入れてのスタイルは、トークライブのような雰囲気でもありますが、やはり大阪を軸にラジオの活動をスタートさせ、ともに名古屋でもラジオ番組を持ったことのある2人。複合的な要素の中にもラジオの存在は醸し出されていたといえます。

「関西夕方テレビ戦争」の決め球

後に読売テレビは、森脇健児さん・山田雅人さんのコンビの夕方のバラエティ番組『ざまぁKANKAN!』(1988-1990)を立ち上げます。

当時の関西地方、夕方は生放送のバラエティ番組がひしめく時間帯。
ダウンタウン司会の『4時ですよ~だ』(1987-1989 毎日放送)、圭修司会の『素敵! KEI-SHU5』(1987-1989 関西テレビ)の後を追ってスタートした、読売テレビの夕方のバラエティ番組。先発の2番組が公開生放送の王道を行くようなスタイルだったのに対し、森脇さん・山田さんは、視聴者からのハガキを読む「ラジオスタイル」をテレビで実践することで、人気を得ることになりました。

そう、これが森脇健児という人が、世に知られるきっかけ。
その後の紆余曲折・そして再ブレイクは、先日も北野誠さんが『北野誠のズバリ』で話された通りです。

ラジオみたいなテレビ~関西の場合~

ところで、大阪に5つある民放テレビ局。そのうち2つがラジオから始まった局です。
前から不思議に思っているのが、テレビ単営として始まった局の方が、ラジオ的な番組に対し、意欲的に取り組んでいたような印象があるのです。
なんだろう、ラジオに憧れがあったのかな。

ラジオから始まった2つの放送局の場合、ラジオ的に番組を作るというより、ラジオをテレビ的に昇華させ、テレビ単営局(ラジオを持たない局)の場合、よりラジオの空気感をテレビに取り入れる例が多かったような印象です。

前者である毎日放送は、現在も続くラジオ番組『MBSヤングタウン』(1967-)の人気をテレビに持ち込み、全国ネットの『ヤングおー!おー!』(1969-1982)というバラエティ番組を作り上げました。
この番組にはラジオの要素は皆無に近い番組で、タレントがゲームに挑戦したり、ゲストの歌などを楽しむ番組に仕立て上げました。
また関西のお笑いタレントが全国進出するきっかけの番組にもなりました。

また、朝日放送も、ラジオで喋りを磨いたアナウンサーを朝の情報番組「おはよう朝日です」(1979-)に起用。ラジオ的な要素はありましたが、これも当時では珍しかった大阪、神戸、京都、3都市のお天気カメラの映像を駆使。
テレビだから当然なのですが、映像の「売り」をしっかり持った番組として誕生しています。

一方、後者の場合、読売テレビの番組もそうですが、同じくテレビ単営局の関西テレビでもラジオでの人気者を深夜番組に起用した番組がありました。しかも視聴者からのハガキを読み、視聴者に電話をかけ、さらに番組終了時間を未定とすることで、時間にとらわれない自由さを生み出した深夜番組『エンドレスナイト』(1984-1990)がそれ。
番組のパーソナリティーは、こちらも名古屋でおなじみ、そしてCBCラジオとも縁のあるばんばひろふみさんと兵藤ゆきさんでした。なんだみんなテレビでラジオしてるじゃないか。

「ラジオ的」はどこにある?

80年代当時、ラジオはすでにワイド番組化真っ只中の時代。
それをテレビで活かすには、長時間の枠が必要で、でもそういう時間帯は深夜にしかできなかったのでしょう。

そういえばCBCの近くのビルから毎晩やってた、よその局のテレビ番組もあったじゃないですか。何もラジオそのものをテレビにしたからって「ごめん」って謝ることはなかったんじゃないのか。ごめんで済むなら愛知県警岐阜県警三重県警はいらんのですよ。謝らなくてもエーネン。

長時間というのが「ラジオ的」自由さの筆頭に位置するのか。
無数のネット配信コンテンツが並ぶ今、ラジオ的なコンテンツとは何か、今度はネット上にそれ探すことで、おもろいものにも出会えるような気がしています。

テレビの話からネットの話へ行くのか、行かないのか。
私は今、どうやってラジオの話に戻るかを真剣に考えています。郡上八幡や錦三くらい真剣に。


河野虎太郎

放送作家。今月、担当番組に放送休止日があることを知り、その時私は何をすべきかを真剣に考えている。それがたった1日でも、輝かしい日のように私には見えている。見える。

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